「エド イン ブラック」展:これまでの関心事、夜空表現と黒ベタを確認してみた。
長文になります。
すでに終了した展覧会の記事です。
はじめに
展覧会訪問記事は、読者の方の立場を思うと、会期中、鮮度が高いうちに書くほうがよいと思うのですが、この展覧会は4月13日にすでに終了しています。
ただ、言い訳をさせていただくと、私の場合は、「線スケッチ」を描いていく上で、西洋、日本を問わずこれまでの絵画で気が付いたことを書くことが目的なので、展覧会の鮮度を気にせず書いていきたいと思います。
さて、本展覧会のタイトル「エド イン ブラック」ですが、文字の通り、日本絵画における「黒」をとりあげています。しかも「江戸」なのです。
何故カタカナなのか、後ほど言及したいと思います。
私と黒ベタの絵画について
さて、私は日本文化における黒に若い頃から興味があり、「線スケッチ」を始めて以来、日本美術における「黒ベタ」にこだわって、何本ものブログ記事を描いてきました。
そして、なぜ、わが国では日本絵画における「黒ベタ」の美を一般向けの著書でその重要性を説いていないのか? また、マネの黒からはじまり、ビアズリーの黒、ナビ派のヴァロットンの黒、フォービズムの黒(例えばマチス)、すなわち、西洋絵画への影響の観点でも「黒ベタ」を見通してきました(詳しくは、下記の二つの記事をご覧ください)
1)鈴木春信の黒ベタ(漆黒の闇夜)、江戸絵画で誰がいつ夜空(闇夜)を描いたか(蕪村、若冲、白隠)なぜ我が国の研究者とは対照的に、海外の専門家は日本の「黒ベタ」の絵画を重要だと評価しているのか
2)ヴァロットンの黒と白、マネの黒、ビアズリーと日本美術(白描画、一遍上人絵伝、鈴木春信)との関係
以上の観点で、この板橋区立美術館の企画展は見逃してはいけないと思い訪問したのです(結局時間に余裕がなく、行けたのは最終日でした)。

感想
これまでの日本絵画における黒
日本美術においては、「黒」は、日本の古くからの代表的工芸品である漆器の、「漆黒」の地の吸い込まれるような黒の美がよく知られています。
ところが冒頭に話したように、日本絵画における「黒」といえば、基本的には江戸時代以前にはほとんど描かれることはありませんでした。
例えば、平治物語絵巻の夜景や多くの絵巻の夜景は白地のままで、黒く塗りつぶされることはありません。水墨画では、月の周りを薄く隈取り(外隈)で夜空を表現するぐらいです。
私は、日本絵画における「黒ベタ」は、特に夜空を表す漆黒の闇は、鈴木春信から始まったと当初考えたのですが、どうやら伊藤若冲および与謝蕪村、白隠ら、18世紀の人々がはじめたらしいということに気が付きました(冒頭に示した、鈴木春信の記事)。
しかも、伊藤若冲の黒は、中国の拓本の影響ではないかと言われていることも。

左:《風流四季哥嘔 二月 水辺梅》 ホノルル大学蔵
中:《寄菊》 ボストン美術館蔵
右:《夜の梅》 メトロポリタン美術館
出典:すべて「浮世絵検索」 https://ja.ukiyo-e.org/

上段:メトロポリタン美術館蔵、下段:共にボストン美術館蔵
出典:浮世絵検索 https://ja.ukiyo-e.org/
以上のことは、私は自力で調べて分かったのですが、問題は私が見る限り日本美術史の専門家は、日本絵画における黒、特に江戸絵画における「黒」について、学術知識として知っていながら、一般向けの解説書に「日本絵画の黒の美」について解説してこなかったことだと思うのです。
タイトルはなぜカタカナで表したのか?
事実、今回の「エド イン ブラック」というカタカナによるタイトル表記がそのことを示唆しています。
それは、一見日本語訳があるのにわざと英語をカタカナで発音して海外の流行の最先端に自分がいることを示したい時の使い方のようにも見えます。
しかし、私には今回の展覧会を企画した日本美術史の専門家(学芸員)の、次のような声が聞こえるのです。
私たち専門家は、多くの日本絵画を見てきたので、江戸時代以前と違って江戸時代がはじまってから墨の黒を色面に使った絵が多く存在することは知っていた。しかし、一般にはそのことは知られていないし、これまでの展覧会でも黒を基軸テーマとする企画はなかった。
よくよく考えると江戸時代の絵を取り上げて来た板橋区立美術館としては良い企画になるのではないか。タイトルは日本語の「黒」では、日本の人々にはあまりインパクトがないので、カタカナにすれば皆さんも注意してくれるのではないか。
以上は、私の勝手な想像ですが、千葉市美術館、府中市美術館と並んで江戸絵画の展覧会企画に定評のある板橋区立美術館ですから、一般の人々向けとして大変特徴のある展覧会になると考えたに違いありません。
不思議なことに、今年になって日本美術の「黒」をテーマにした展覧会が相次いでいます。
💐#黒の奇跡 展 4/5(土)~6/22(日)💐
— 静嘉堂文庫美術館 (@seikadomuseum) April 5, 2025
”黒”の色彩をテーマに #静嘉堂文庫美術館 所蔵の工芸品・漆芸品を大公開。さらに国宝 #曜変天目 が秘めるさまざまな謎と秘密にせまります。#静嘉堂@#丸の内 で皆様のご来館をお待ちしております✨ pic.twitter.com/TMtb8MloRK
これを見ると、まるで我が国の美術史の専門家、特に学芸員の方々が示し合せて互いに情報交換し、今年は黒と決めたかのように見えますが、おそらくそうではないと思います。
あえて言わせていただくと、欧米に遅れて、ようやくわが国の専門家が、日本美術、とりわけ日本絵画における「黒の美」の重要性を一般に向けて説く時代が来たのだと私は思うのです。
国内にある「黒の美」の江戸絵画と欧米にある「黒の美」の江戸絵画
実はその点について、私はこれまでに鈴木春信の黒ベタ闇夜の版画についての冒頭の記事、および鳥文斎栄之の下記の記事の中で、次のように指摘しました。
すなわち、鈴木春信の優品がことごとく欧米の主要な美術館、博物館に存在していること、鈴木春信はまだしも、鳥文斎栄之は大半が欧米に存在していること、なおかつ、今回の「エド イン ブラック」展でも、取り上げられている「紅嫌い」にいたっては、ほれぼれする作品がすべて欧米の美術館の所蔵品であることを嘆きました(図4)。

上段:《風流やつし源氏 朝顔》、中断:《風流やつし源氏 松風》、下段:《伊勢物語》
所蔵は全て大英博物館
出典:全て、CC BY-NC-SA 4.0
さらに、日本美術の欧米のコレクターは、「黒」の作品を狙って、ごっそりと収集しているのではないかと思えるほど、江戸時代の作品だけでなく、幕末・明治の作品(例えば、河鍋暁斎、柴田是真)まで幅広く集めているのです。
そして、日本美術(絵画および工芸品)の「黒の美」を欧米の学芸員が日本美術の特徴として評価していることを紹介しました。
そして、次のように考えました。
なぜ日本人専門家は(日本絵画の黒の美を)書けないのか、その理由は日本人、特に専門家にとっては、あえて日本美術全体を見るまでもなく、日本絵画、版画における墨の線や黒の魅力は自明なことだからと思います。
しかし、もう一つの決定的な理由が、何度も述べているように
国内に研究対象となる良い作品が存在しないことではないかと思います。
一昔前ならどこによい作品があるか調べることも困難だったと思うのですが、何よりも実物を直接見て研究することができないのは、専門家にとってつらいと思います。もっとも近年は高精細画像を入手するなど、研究環境としては違ってきたとは思いますが・・・。
全体の作品について
さて、国内に存在する江戸絵画作品が乏しい状況を思うと、今回展示された作品全体を見て気が付くのが、作品の所蔵先が「個人蔵」のケースが多いことです(32作品/全73作品)。
もちろん、美術館収蔵作品も展示されていますが、収蔵先は千葉市美術館(8作品)、神戸市立博物館(7作品)、ポーラ文化研究所(6作品)、板橋区立美術館(3作品)など、東京国立博物館(3作品)を除き、いずれも江戸絵画の収蔵対象を絞り、特徴を持たせた中規模の美術館ばかりです。
その「個人蔵」が多い理由ですが、大手の美術館の場合、もともと「黒」をテーマにした江戸の日本絵画が国内に少ない上に、典型的な日本絵画のテーマから外れるために、予算上の問題から購入の優先順位が下がり、その結果収蔵されなかったのではと推測されます。
一方、個人コレクターの場合は、自身の好みで購入を決定できるので、「黒」がテーマの江戸絵画作品が出現した場合でも、高い評価となれば、すぐに購入の判断ができるからではないでしょうか。
以上全体感想をまとめると、次のようになります:
鈴木春信の闇夜の作品や鳥文斎栄之の「紅嫌い」の優品を見てしまった私の目には、若干インパクトに欠けるものの、国内の乏しい作品数にも関わらず集めた作品は素晴らしい。しかも「個人蔵」が多いので、さぞかし交渉の苦労が大変だったであろう。総体として江戸絵画の「黒」の美をいろんな作品を通して世の中に発信することは成功したのではないか。
以下、作品の中で特に注意を惹いた内容を順不同で記します。
注意を惹いた個別作品について(順不同)
(1)窪俊満《桜柳下二美人図》、《砧打ち二美人図》、《夜景内外の図》
私は「窪俊満」という画家の名を始めて知りました。なぜ、気に留めたのかというと、一見してかなり実力のある画家だと思ったからです。
でも、なぜ私はその名前を聞いたことがないのか? wikipediaには、それなりに詳しい解説が載っているところをみると、おそらく専門家にはよく知られた名前なのでしょう。
どうやら、部分彩色の「墨彩色」で有名な画家らしいのです(おそらく、そのため今回のテーマのために選ばれた)。実際、展示作品はそうでした。
北尾重政門人の浮世絵師とあるので、「浮世絵検索」で調べてみました。すると、驚くべきことに、
データベースに格納された全作品、468点のうち、わずか24点だけがわが国、東京国立博物館所蔵のもので、残りは、大英博物館、ハーバード大学、アメリカ議会図書館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ミネアポリス美術館でほぼすべてを占めます。
どおりで、一般書にはもちろん、作品自身も一般の目には触れないはずです。
鈴木春信や鳥文斎栄之の場合ですら驚いたのに、窪俊満の場合は、海外流出の度合いはそれ以上です。本当にこのような状況で、浮世絵版画の研究がはたしてわが国で出来るのか、と心配してしまいます。
今回の展示作品は、ここにお示しできません。上記、浮世絵検索から、窪俊満の「黒」が美しい作品を下に紹介します。

出典:浮世絵検索 https://ja.ukiyo-e.org/

左:《黒》、右:《烏と雀》 共にメトロポリタン美術館
出典:浮世絵検索 https://ja.ukiyo-e.org/
なお、図6の右側の「烏」ですが、江戸絵画では「烏」の数多くの優れた群像作品が多く描かれています。「エド イン ブラック」展ならば、それらも展示されてしかるべきだと思いました。
(2)永沢蘆雪《月竹図》
寸評:遠目から、異常に縦に細長い掛軸。近づいて、さらに驚き。朧月夜に、異常に細長い竹が一本。永沢蘆雪らしい奇抜な構図の作品。一度見たら忘れられない。
(3)歌川国芳《筑波山遠望向島三囲堤庶民観桜之図》
寸評:フリー画像がないのでお示しできませんが、今回の中でベストと感じた作品。
(4)与謝蕪村《闇夜御舟図》

出典:「エド イン ブラック」展HPより。
寸評:タイトルの「闇夜」から、出展作品として取り上げられたのだと思います。里山部分が通常の水墨画と異なり、全体に薄墨をかけて闇に沈んだ村を表現しています。それが展示作品として選ばれた理由と思います。
作品を間近に見て、蕪村の水墨画作品として情趣のある素晴らしい作品だと思いました。しかしながら「闇夜」の表現として選ぶのは疑問が残ります。なぜなら上部の空が従来の水墨画の空の表現と同じで、黒ベタで塗られていないからです。
むしろ、「闇夜」の表現ならば、私が以前の記事で取り上げた、《夜色楼台図》(図8)や他の夜空を描いた作品(図9)を出して、若冲の拓本画と同様に、従来の水墨画と異なる方法で、夜空を表したことを強調するほうが江戸絵画の「黒」の美を強調できたのではないでしょうか。

出典:wikimedia commons, public domain.

出典:wikimedia commons, public domain.
(5)白隠《維摩像》
寸評:白隠の黒ベタ塗り背景の《達磨図》(図10)、《蓮池観音図》については、冒頭の鈴木春信の記事で紹介しました。
今回、もう一つの優品、《維摩像》の実物を見ることが出来てよかったです。

出典:wikimedia commons, public domain
(6)伊藤若冲《乗興舟》

出典:「エド イン ブラック」展HPより。
寸評:wikimedia commonsによる全体像は冒頭に示しました(図3)。今回、部分でも実物を見れて良かったです。なお、鈴木春信の記事の時点では、中国の拓本画の影響ではないかとの学会における推測を紹介しましたが、今回、中国の絵画との比較を見て、間違いないと思いました。
(7)伊藤若冲《玄圃瑤華》「瓢箪・夾竹桃」、「薊・栗」

出典:ColBase

出典:ColBase
寸評:東京国立博物館所蔵の伊藤若冲《玄圃瑤華》のうち、4枚が今回展示されました。白黒だけの絵なので、錦絵の版画に比べれば印刷でも魅力が伝わりますが、やはり実物はその大きさも相俟って、印刷物では得られない強い印象を受けます。
幸いなことに、東京国立博物館では《玄圃瑤華》が数枚づつですが常設展で時折展示されることがあるので、何枚かは実物を私はすでに見ています。ですから今回の展示作品については、再会と同じで驚きはありませんでした。それでも、その描写力とデザイン性、そして黒ベタの強力な色面からは強いインパクトを受けます。
以上窪俊満および、すでに以前、「黒」のテーマの記事の中で取り上げた与謝蕪村、白隠、伊藤若冲の作品を見てきましたが、その他、強く印象に残った作品を名前と作品名を列記して、この訪問記を終えます。
狩野了承《二十六夜待図》、森一鳳《星図》、鈴木基一《暁桜夜桜図》、歌川広重《隅田堤闇夜の桜》、酒井抱一《松風村雨図》
(おしまい)
前回の記事は、下記をご覧ください。
