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「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展(ガスミュージアム):西洋ペン画から和様ペン画(新版画)への模索の跡をたどる


はじめに

 一月前に、小平市のガスミュージアムの近代建築を背景にクリスマスローズを描いたスケッチを紹介しました。

 その記事の中でお約束した、新版画作家、ノエル・ヌエット『~ガスのある東京の暮らしを見つめて~ ヌエットの描く昭和モダンの軌跡』展の訪問記をお届けします(展覧会は終了しています)。

図1 ノエル・ヌエット
出典:「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展パンフレットより
図2 展示会場の建物(ガスミュージアム)
出典:筆者撮影

新版画とノエル・ヌエット

新版画と私

 私が「線スケッチ」との関連で、なぜ「新版画」に興味を持つようになったのかは、すでに下記の記事で述べましたので、詳しくは述べません。

新版画の作家たち

 一般には、吉田博川瀬巴水新版画作家の双璧で、橋口五葉伊藤深水山村耕花名取春仙鳥居言人小早川清笠松紫浪らの日本人作家が著名です。
 彼らは、それぞれ個性豊かで魅力的な作品を多く残しています。
 これらの人々の中で私個人の好みは「吉田博」の作品です。抒情を好む日本人の鑑賞者はおそらく川瀬巴水の詩情あふれる作品を推されるでしょうが、私の場合はキリっとして厳しさを感じる吉田博の作品の方が性に合っています。
 なお、私はかねがね画力および芸術性では、伊藤深水新版画作品が一番ではないかと思っていました。風景画美人画も一段ランクが上に感じます。しかしある時点で新版画から日本画転向したことが残念でなりません。もちろん日本画家として大成したので本人はよかったのですが、続けていれば、吉田博川瀬巴水海外で大いに評価されているように、二人と同等かそれ以上に海外で評価される新版画作家になったことでしょう。

知られざる外国人の新版画作家達

 さて、わが国ではようやく知名度を得て来た「新版画」ですが、版元渡邊庄三郎が来日している欧米画家達に新版画を作らせたこと、またわざわざ多くの欧米作家達(特に女性画家)が来日し、日本絵画の技術も学びつつ独自の作品を制作し、今日も彼らの作品は海外人気が高く高値で取引されていることはあまり知られていません。

 私は、平成21年に開催された「江戸東京博物館の「よみがえる浮世絵 ーうるわしき大正新版画展」海外作家の作品を見て、その事実を知り大変驚いたことを覚えています。

 特に私は海外作家の作品を見て、当時でもでもない独特の作風に大いに魅力を感じたのですが、彼らが自分たちの西洋絵画技法の基礎を一旦捨て、日本画日本の版画の表現方法を習得する姿が、逆に私たちが、西洋絵画技法を学ぶ上での苦労と重なる部分があり、彼らの表現上の工夫や私たちにはない感性にも関心を持ちました。

 その後中々海外作家実物作品を見る機会がなく、ようやく3年前千葉市美術館で、日本人作家だけではなく海外作家の作品も多く展示されたのです。私は早速訪問し、海外の作家の作品に焦点をあてて記事を書きました。すなわち、下記の記事です。

 上の二つに加え、海外からわざわざ来日してまで、新版画制作に参加した外国人作家ヘレン・ハイドエミールオルリックバーサ・ラム画業生涯についてそれぞれ三つの記事を投稿したのです。

 表1に示すように、千葉市美術館の展覧会では海外作家の展示数は、日本人画家の数にひけをとらず、私は千葉市美術館姿勢に敬意を表したい気持ちになりました。


表1 千葉市立美術館「新版画」展 出展作家名と作品数
赤字は外国人作家
出典:<新版画展>千葉市美術館 その2. それは無名の外国人作家の抜擢から始まった! 
起業家「渡邊庄三郎」の凄み
https://note.com/wataei172/n/nc90717f3198f  より再掲

 実は表2に示すように、千葉市美術館で展示されなかった海外作家がいます。中でもフランス人作家ポール・ジャクレーノエル・ヌエットが気になっていました。

表2 江戸東京博物館、「よみがえる浮世絵
 ーうるわしき大正新版画展」の図録(平成21年9月発行)の年表より抜粋
出典:<新版画展>千葉市美術館 その3. 第一世代の外国人作家 ヘレン・ハイドの画業と生涯
https://note.com/wataei172/n/nc8c0a3757fd2?magazine_key=m1d12ff3866d1

 そのうちの一人、ポール・ジャクレーについては、下記の展覧会で再会を果たしました。

 以下、今回の主役、ノエル・ヌエットの作品について感想を述べます。

初期のペン画から新版画の作風への変化

 ノエル・ヌエットについては、パンフレットに略歴がありましたので下記に引用します。

 明治18年(1885)3月30日、フランスのブルターニュに生まれる。
 明治43年(1910)に初めての詩集「葉がくれの星」を出版。詩人としての活動の傍ら、滞仏中の日本人との交流を持つ。
 大正15年(1926)に旧制静岡高等学校講師として来日。昭和4年(1929)に一旦帰国するも、翌年に再び来日して東京外国語学校講師に就任。その後東大、早大、アテネ·フランセなどで教鞭をとる傍ら東京各所をまわり、その風景をスケッチや詩にうたい、詩集や画集を著す。
 昭和37年(1962)に帰国後パリに居住。昭和40年(1965)に東京都名誉都民となる。
 昭和44年(1969)9月30日にパリで逝去。享年84歳

「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展パンフレットより

 この略歴には書いてありませんが、もともと本国では画家ではなく、詩人でした。趣味でペン画を描いていたようです。来日当初ペンスケッチ図3に示します。

図3 ノエル・ヌエットのペン画スケッチ:左《隅田川》、右《神楽坂》
出典:「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展パンフレットより

 いずれも、陰影樹木の葉も密度濃く数多い線で描写する典型的な西洋ペン画の線描法です。

 それにしても、趣味の絵としては上手いためか、石井拍亭の勧めもあり、白水社の雑誌「ふらんす」に発表され、絵葉書としても売り出されました。

 その後、旧制静岡高等学校時代の教え子の実家、土井版画商から木版画の刊行を依頼され制作することになったのです。

 ところが、容易に想像できるのですが、西洋ペン画では膨大な数の線があるので、エッチングによる銅版画には向いていますが、彫り師が木に凸で線を彫る木版画では、彫り師泣かせになります。

 事実、最も初期の新版画作品では、彫るのに膨大な時間がかかり彫師を泣かせたことが展示説明にありました。
 しかし、今回展示された主な作品ではかなり線の数が抑えられています。以下、パンフレットの画像を引用しながら線描についての寸評を紹介します。

図4 《日比谷》 昭和11年(1936)
出典:「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展HPよりhttps://www.gasmuseum.jp/gallery/20250108/

寸評:市政会館の陰の部分、池の水面に映った建物および樹木の暗い部分を多量の線で描いており、まだ西洋式ペン画の表現が残っている。一方、中景、遠景の樹木の樹冠については新版画の方法をとり樹冠の輪郭のみを描いている。

図5 《歌舞伎座》 昭和11年(1936)
出典:「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展HPよりhttps://www.gasmuseum.jp/gallery/20250108/

寸評:軒下部分、道路の建物の陰に、まだ線描による影の描写が見られるが、図4に比べてかなり抑えている。

図6 《両国橋》 昭和11年(1936)
出典:「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展パンフレットより

寸評:雲の輪郭、遠いビルのシルエットの線描が単純化されている。それに比べて、橋の下の暗さ、水面の波の描写は多量の線。

図7 《お茶の水》 昭和11年(1936)
出典:出典:「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展パンフレットより

寸評:手前の葉では、広葉樹の葉と松の葉の線による描き分けがきちんとできている。土手の草の線描は、西洋的な省略の線のように見える。ビルの陰、濠のコンクリートの岸壁の陰も最低限の線で表現している。

図8 《馬場先門》 昭和11年(1936)
出典:出典:「ヌエットの描く昭和モダンの軌跡」展パンフレットより

寸評:手前の松の葉の描写は樹木(幹、枝、樹幹、針状の葉)の特徴をよく捉ええている。背後の広葉樹は樹冠の輪郭だけにして前後関係がよくわかる。右側の石垣および水面に映った陰影は西洋式の描法。

 展覧会では、他に多くの作品が展示されていました。記憶が許す限り、展示作品と同じ作品を「浮世絵検索」から引用します。

図9 《日本橋》 昭和11年(1936)
出典:浮世絵検索
https://ja.ukiyo-e.org/image/jaodb/Nouet_Noel-Scenes_of_Tokyo_Views-Nihonbashi_Bridge-00038706-051121-F06

 寸評:パンフレットの表紙にも使われた、東京の街を描いたノエル・ヌエットの代表作です。 
 日本橋を描いた木版画では、当然江戸時代の浮世絵版画を思い出しますが、明治時代を描いたものでは、新版画の代表的作家、川瀬巴水の作品を見逃すわけにはいかないでしょう(図10)。
 比較すると、明らかに川瀬巴水の作品では、伝統的な浮世絵版画にならって、輪郭線のみ陰影には使われず、彩色のみを表現しています。一方、ノエル・ヌエットではビルアーチ内部の陰水面映った陰の部分をすべて線で描写しており、西洋式ペン画の様式が残っています。
 なお、興味深いのは、川瀬巴水広重北斎が好むを使わず、夜明けを選んで江戸浮世絵版画差別化していることです。
 一方、通常はほとんど人間を描かないノエル・ヌエットが、この日本橋では、雨の風景を選び多数の通行人と橋の下の船頭を描いています。むしろ、江戸浮世絵は多数江戸人々を描くことも特徴ですので、ノエル・ヌエットはそれに倣った可能性があります。事実、橋の上多数の人物傘だけ表現する方法は歌川広重表現そのものではありませんか。

図10 川瀬巴水《日本橋(夜明)》 1940
出典:浮世絵検索
https://ja.ukiyo-e.org/image/jaodb/Kawase_Hasui-No_Series-Nihonbashi_Bridge-00030905-020516-F12

以下、展示していた作品を寸評無しに紹介します(図1112)。

図11 ノエル・ヌエット、東京を描いた作品
左:《亀戸》、中: 、右:《神楽坂》、右:《東京 神田明神》
出典:いずれも浮世絵検索
https://ja.ukiyo-e.org/
図12 ノエル・ヌエット、東京を描いた作品
左:《浅草寺》、中:《赤坂見附》、右:《不忍池》
出典:いずれも浮世絵検索https://ja.ukiyo-e.org/

(おしまい)

 前回の記事は下記をご覧ください。


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