長編小説「舞台裏から愛とかを込めて」 12 技術と魂
<主なCAST>
・どん:2年 小道具・特殊効果担当
・レッド:2年 照明・音響担当
・カッパ:3年 脚本担当
・タロ:2年 演出助手
後期の講義も始まり、本公演の準備に本腰が入る時期となった。既に固まっている事項として「公演会場は学外の百人劇場」「本番は二月の第三週の土日、小屋入りはその週の木曜日」ということが周知され、学生の本分である後期試験(普段の講義も本分だが)の前には一週間の試験休みを設けることも示された。
次に脚本決めだが、今回はいつもの自由提出形式ではなく、まず「オリジナル脚本」と「既成脚本」のどちらで行くかを話し合った。理由はキャスト数に自由がきき、柔軟な内容調整ができるというオリジナル脚本の利点を活かしたいというコロの意向があったためだ。これは劇団とりいそぎの公演に参加したタロとハッシーからの情報提供をもとに、アクシデント発生時の対応のしやすさを考慮したものでもある。既成脚本はクオリティの担保はあるが、上演許可を得る際の条件として内容をそのまま上演することが定められていることがほとんどであるため、突発的な事案の発生時に現場で修正対応ができない。また、キャストを希望していても役からあぶれる者が出ることもある。活動の本来の目的を見据え、劇団員全員が自分のやりたいことにチャレンジできるようにするにはオリジナル脚本をという主張も併せてコロからされた。結論として特段の既成脚本支持の意見もなかったため、オリジナル脚本で公演を行うことになった。そう決まれば次は誰が書くかということだが、カッパ以外に申し出る者がいなかったためカッパの脚本で行くことになった。
これには前段があり、カッパからタロに事前にある打診がされていた。劇団とりいそぎにタロが巻き込まれる少し前、夏合宿から戻った頃にカッパはこう持ちかけた。
「タロくんはフルサイズのストーリーはまだ難しいってところだろうけど、シーン単位だったら面白いのを書けると思うから、本筋じゃないシーンを分担してくれない?」
「合作ってことですか?」
本公演の脚本はカッパが書くだろうなと思いつつ、自作の構想は先々のためにと軽く練っていた程度のタロには意外な話だった。
「チャーシューと打ち合わせをやってるんだけど、一回没にしてやりなおしたプロットとキャラクターのあて書きに難渋してて、スケジュールを考えるとちょっとね」
「芝居の長さと締め切りはどんな想定なんです?」
「二時間一幕で九月末までに完成、十月半ばには立ち稽古(動きながらの練習)に入りたいってオーダー」
「きついですね、ある程度できたら始めて、その後追っかけ執筆じゃだめなんですか?」
「演出イメージを膨らめて最終形を固めてから稽古を始めたいんだって」
「うーん、演出としての希望もわからなくはないですが……」
「後期試験も年末年始もあるじゃない、実質的な稽古期間は三ヵ月ってところだからそれでもギリギリくらいになるわ、オリジナルでやるならね」
実際のスケジュールを切ってみると、とてもではないがタロは今からでは自分の脚本の完成は間に合わないと実感した、これはやはり本公演はカッパの脚本の出番だ。それを少しでも手伝えるのならとの思い出でタロは尋ねる。
「とりあえず、現状の構成を見せてもらえますか?基本、やるつもりですけど……」
「ありがと、こういう流れで、本筋にちょこちょこ挟まる味付け的なサイドストーリーをお願いしたいのね」
大まかに打ち合わせの後、カッパの脚本製作に協力するためにタロはオリジナル脚本の書き手に今回は手を挙げないことを決めた。来年の新入生歓迎公演での独り立ちを目指し、今回の執筆で力をつけることを直近の目標として。
今回キャストを希望しないのは、カッパ、バッキー、どん、カメ、コロそしてチャーシューとなった。舞監のコロと他の四人はともかく、演技大好きチャーシューがキャストを外れることに小さな驚きが劇団内にはあった。漏れ聞くところによれば、卒業後の準備のために来年度には新たな劇団を立ち上げる予定のようで、その前宣伝としてこの本公演で自分の名を売りたいという目論見らしく、演出に集中することで公演のクオリティと評判を上げるつもりだという。目的は人それぞれ、それでいいのだろう。
脚本が完成し、カッパによる「本読み(メンバーへの脚本の読み聞かせ)」が行われた。執筆はタロも一部分担したが、全体のトーンの調整の都合もあり表向きの作者はカッパと示すこととした。タロは演助として脚本協力の役を担う立ち位置だ。
続いて当て書きされたキャストが発表され、振り分けられた役それぞれのセリフを読む「読み合わせ」をする。なおこの際、ト書き部分は作者のカッパが読む。
演出のチャーシューからは作品づくりの方向性が語られ、シーン割りと舞台のイメージ図も示された。これに基づき、演出のイメージを具現化するための各スタッフのアイディア出し作業が始まる。舞監のコロからは予算の割り振り、スタッフ進捗管理会議のスケジュール、演助のザワからは稽古スケジュールがそれぞれ周知された。公演タイトルは「冬の空耳」と決まり、対外的な宣伝活動もスタートする。
次いで、本公演は入場料金を無料とする提案がバッキーからされた。去年までの本公演は慣例で入場料を徴収していたが、それについて特に理由がないのなら音楽著作権の処理の関係上、使用許可を得ずに楽曲を使うことができる(使用料の支払い義務も発生しない)メリットが大きいからだ。これにより非営利・報酬なしで舞台を作るので音響面の問題はなくなる。
演劇の公演において既存の楽曲を使用する場合、権利者への許可申請が必要になる。著作権フリーのものや著作権保護期間の過ぎた楽曲を使えばその手続きは不要なのだが、いかんせん選曲の幅が狭くなる。劇団によっては「ばれなきゃいい、というかばれないだろう」という感覚で許可申請をせずに楽曲を無断使用しているケースもあるが、後輩のためにもここできちんと整理をしたいという主張である。誰からも異論はなく、使用できる楽曲の幅が広がることはピョン吉やナギにとってもよい効果があるだろうと思われた。一方、無料公演と聞くと「あんまり気合の入っていない公演なのかな」と思われる可能性もあるので、その代わりと言ってはなんだが、来場者のお気持ちによる打ち上げ用の差し入れは大歓迎とうたうことで「クオリティに自信あり!」と示すことにする。公演の運営費にあたる金品の寄付があると非営利の基準ではダメだが、公演とは切り離された会計となる打ち上げならよいのだ。この件についてはタロが演助としてきっちり裏取りを済ませ、安心して本公演を行う下準備は整った。
「さてと、使える物があるかな?」
演出のイメージを受け止めた小道具・特殊効果担当のどんは、倉庫の奥で棚を眺めて考え込んでいた。今回はこれまでの公演に比べてリアル寄りの内容のため、求められる小道具の数や種類が多い。そこに仕込むギミックによって表現したい効果のリクエストも多様であり、なかなかに手応えがある仕事になるという印象だった。ちなみにどろだんご基準だと、大道具と小道具の区分けは手で持てるものが小道具で、そうでないものが大道具というざっくりしたものらしい。じゃあ両手でなんとか運べるようなオブジェはどうなんだということになるが、そこはその都度話し合いで決まる。特殊効果は何らかの仕込みが必要になる装置で、紙吹雪やスモーク、火薬や電気を使うものなどのイメージになる。どんはもともとプラモデルやラジコンの製作が趣味で、工学系の分野に興味があったのだが、いろいろな事情があって文系の学部に進学したという経緯がある。新入生歓迎のサークルイベントで手の込んだ自作の小道具を使って寸劇をしていた先輩を偶然目にし、自分の技術でも役立つのならと思い、どろだんごの部室のドアをノックしたのだ。
今までの個人での製作経験では、模型ならいかに本物に忠実に作るかという視点で考えていたが、舞台で使用する場合は「見映え」「扱いやすさ」「コストパフォーマンス」「破損時の修理のしやすさ」などが求められ、使用する素材や塗料などについて新しい知識が次々と必要になった。持ち込まれるオーダーに対し、自分の知識と技術を総動員したうえで試作品を作り、改良を加えていくのは大変ではあるが、行き詰まりかけていた趣味に新たな方向性が感じられたのも事実だった。
「うおー、これはカッコいい、テンション上がるわー」
前回の研修公演ではバズーカ砲を作り、それを嬉々としてレッドが振り回していた。自分で作って自宅に置いているだけでは多分に自己満足の感が強い。しかし、舞台で役者によって使われると、照明や音響、さらには観客の視線によって、時には本物以上の魅力や価値がそこに生まれる。「ファイヤー!」の掛け声とともに舞台袖に向けられた砲身に効果音と赤い光が重なり、次の瞬間に爆音に追われてドリフのコントのように頭の毛が爆発した役者が転がり出てくるとき、自分も観客目線でそこに作り物を超えた何かを見たと感じたのだった。
研修公演で初めて役者をやった際、セリフを覚えるのに苦労していたどんは一番演劇経験が豊かだろうと思われるレッドに尋ねたことがある「どうやってセリフを暗記しているのか?」と、それに対する答えは意外なものだった。
「頭に暗記するっていうより、自然にその場で体から出てくるようにするって感じなんだよな」
「覚えようとはしないってこと?」
「あくまでオレの感覚ではあるんだけど、セリフを『言おう』とするとどうしてもウソくさくなるんだよ。普段しゃべってる言葉は、その人なりの背景があって、気持ちがあって、自然に出てくるものだから、頭だけで生み出しているものじゃないってことなんだな。自分の感情から生まれていない言葉を丸暗記して『必死に言っている』役者って、セリフを言わされてるって感じがして好きじゃないね」
「確かにいかにも『セリフ言ってます』って感じの演技はいまいちだって感じたなぁ」
どんは以前に見た自分の高校の演劇部員の演技を思い出していた。傍で二人の話を聞いていたのか、カッパが口を挟む。
「セリフの情報としての要素だけが必要なら、字幕を付けたり録音した音声を流せばそれでいいってことになるわよね。でも、そんな舞台が最高のものだとはあたしは思わない、言葉に心と魂を込めて観客を震わせるのが役者の身体的な力なのよね」
「セリフを過度に意識せず、自然に出るようになってようやくスタート地点、そこにさらに体の演技を上乗せしていくとクオリティは上がっていくってことか……」
役者の世界の入口に立ってのぞき込んだばかりのどんは、その奥深さを感じて極めんとする者の凄さの片鱗を見た思いだった。
「そう、自然ってところがポイント。どんがやってた柔道にも似てるんじゃないか?基礎練習をみっちりやって、こう来たらこう返すって型を体が自然に動くようにたたき込んだら、試合に入るときは何も決めつけずに臨んで、組んだときの感覚で臨機応変に反応するのが最強みたいな。演技も同じで、稽古したことはいったん頭の隅に追いやって、まるでそのとき初めて相手のセリフを聞いたように『ええっ!』て驚くことができたら見ている側も引き込まれるっていうか」
武道でいうところの形稽古や守破離に類するレッドの理論はどんにもしっくりきた。
「なるほど……そうかも、力まずに何も意図していないように立っている相手ほどやりにくいもんだったよ。背負い投げを得意としていても、いかにも『背負い投げに行くぞ』っていう雰囲気を出している相手は対応しやすいけど、『そこから⁉』って感じで出してくる背負い投げには度肝を抜かれるし、試合を見ていても熱かったなぁ」
「熱い演技を得意とする役者も、熱さ一本調子じゃ感情移入はしにくいわよね。普段は静かにしてて、熱くない面も見せて、ここぞという時に自然な流れでその役らしい熱さを出す方が役として厚みが出るのよ。よく笑いの場面で使われる緊張と緩和による効果にも通じることだけど、感情の起伏が激しいほど、観客に強い印象を与えられるってことね」
いつもは柔和な雰囲気のカッパが、やや熱っぽく語っている今の様子からもどんはその効果を感じた。熱さをキープした感じでカッパが続ける。
「例えば、真夏日に『暑い』と独り言を言うのと、隣にいる人に『暑いねぇ』と言うのでは言葉は似ていても反射的だったり目的があったりという違いはあるけど、出てきた理由がそれぞれあるのよね。その理由を理解すると、セリフは自然に出てくるようになるよ、そういうことがきちんと書き込まれている脚本であることが前提だけど」
「オレ、カッパさんの脚本好きですよ、そのへんがしっかりしててやりやすいもん」
「ありがとね。まあ、いきなりそこまでっていうのは難しいから、まずは舞台の上で相手のセリフの奥にある感情をじっくり感じて受け止めるところから始めてみるのがいいと思うよ。自分から投げかける前にまず聞くことに集中して、そこで自分の感情がどう動くかを見つめて、その気持ちのままに何かを返すの、フリーエチュードはそのいい練習になるわよ。脚本と同じ状況設定で、セリフからいったん離れて感情だけを自分なりの動きや言葉でやりとりすると脚本の理解も深まるわね」
「いわゆる『受け』の演技が得意な役者って少ないと思うんだよな、役者志望にはどうしても俺が俺がという前に出るタイプが多いけど、どっしりとセリフを受け止めてくれる役者が奥に控えていると舞台は安定する。野球で言えばピッチャーばっかりの芝居はとっちらかる、いいキャッチャーがいないと」
レッドは自分でそう言うように、確かに前に出すぎないのに思わず観客が注目してしまう魅力がある。その姿勢が舞台全体に落ち着きをもたらしているのだなと、今までの公演での立ち振る舞いをどんは思い返した。
「たまにバッターみたいなことをする役者もいるけどね、受け止めるかと思ったら打ち返してくるチャーシューみたいな。まあ、そういう個性も折り込んで脚本は書いてるんだけど、もう少し控えてくれると正直助かるわね」
カッパの弁からは脚本に役者の個性が影響を与える様が伺える。それに深くうなずきつつ、レッドは話をまとめるようなフレーズを披露した。
「役者には技術と魂が必要って言った人がいてさ、脚本上求められる役割や段取りについては技術で観客に必要な情報を見映えよく伝えるために『演じる』一方で登場人物としては一回一回その場限りの魂で役を『生きる』んだって。名優と呼ばれる役者なら、脚本も稽古もなくても自然に本人そのままで名演技ができるのかもしれないけど、オレらみたいな凡人はあれこれ考えて準備して、それをいったん軽く忘れて、可能な限り自然に舞台に立ってあたかも初めて見聞きすることのように感じるようにするんだな」
「誰かがセリフを飛ばしたり(忘れたり)、大道具が倒れたりとかのアクシデントが起きて段取り通りに芝居が進まなくなってしまったときも、あたかもそういう脚本だったかのように自然に対応できるのは役者の訓練された技術力によるわね。元の流れに戻すには『演じる』度合いをちょっと増やして、でも役としての気持ちは切らさずにちゃんと『生きて』動くように自分を制御する。『どうしよう、どうしよう』という感情は役を生きていないから見ている観客は違和感を持っちゃうから、アクシデントに対しても役として対応できるのが望ましいわね」
カッパの言葉でとりあえずセリフ論と演技論には区切りが付けられた。なかなか二人の言うような境地にはすぐにたどり着けそうもないが、役者が役をそこまで磨き上げているからこそ観客を魅了するのだという気づきは貴重なものだった。自分としても工夫をこらして作ったものが人の感情を動かすという経験は今までになかったものであり、多少無理目なお願いでも何とかしてみたいと、今日も倉庫に積まれた世間的にはガラクタにも見えるだろう努力の歴史の山をあさるのだった。おそらくまたマリが出しっぱなしにしているのだろう工具をそっと拾いつつ。
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