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長編小説「舞台裏から愛とかを込めて」 11 劇団とりいそぎ

<主なCAST>
・ハッシー:2年 衣装・メイク担当
・コロ:2年 舞台監督
・タロ:2年 演出助手
・ピョン吉:1年 照明・音響担当
・Q:1年 記録担当

・鴻巣:劇団とりいそぎ代表
・成島:同 舞台監督
・篠崎:劇場スタッフ

 謹慎期間も終わり、どろだんごは劇団最大のイベントである年度末の本公演に向けて少しずつ動き始めた。本公演は大学を飛び出して外部の劇場で開催するのがここ数年の恒例になっていて、学内とは勝手が違うことも多いため、一年生を連れての実地研修を検討していた。そこへハッシーの地元の後輩が仲間と社会人劇団を立ち上げ、旗揚げ公演をどろだんごが本公演で使用するのと同じ劇場で行うとの知らせがあった。これぞ渡りに船ということで仕込みの手伝いに行って学んでもらおうと、ハッシーを筆頭にコロ、タロ、ピョン吉、Qの五人で出かけることになった。
 電車で劇場の最寄り駅に着き、商店街を歩きながら「去年はこのお店に小屋(会場)入り中はよく食べに行った」「あっちに銭湯があって面白いジュースが売ってる」などと話しながら歩いていたところ、ハッシーの携帯に着信があった。
「あ、こーのすからだ。もしもーし、もう小屋入りしてんの?」
「先輩だずげでぐだざい‼!今どごでずがっ?」
 お手伝い一行の空気感とは異なる尋常でない様子の声色にハッシーは立ち止まる。
「何、どうしたの?神社の前よ、あんたたちの公演の成功を祈ろうと思って」
「一分で行きます、待っててください!」
 そう言って切れた電話の相手であるハッシーの高校の後輩の鴻巣浩之は、それからきっかり一分後に一行の前に現れ、直立不動の姿勢から九十度腰を折った。
「皆さん、ご無沙汰しております!」
 前回の研修公演を観に来てくれたので、全員面識はある。しかし、あいさつの後に上げられた顔に張り付いていたのは以前見た「俺は絶対成り上がる」的な野心あふれるものとはまるで違う、捨てられた仔犬のような表情であった。
「ちょっと、あんた代表でしょ、今小屋を離れていいの?」
「ひとまず仕切りを舞監に頼んできました、荷物を積んだトラックはまだ来てないんで打ち合わせしながら待機中です」
「で、何よ、助けてって?」
「今日、オペが二人いなくなりました……」
「は⁉何でよ」
「音響は、ちょっと昨日の通し稽古でタイミングをミスったのを厳しく言ったのがよくなかったみたいで『もうやってられん、劇団やめる』って朝電話が……。照明は、遠距離の彼女からどうしても今すぐ来てほしいって連絡があって『私とお芝居どっちが大事なの』って言われたらしく『すまん、俺は愛に生きる!』って言われちゃって……」
「なんとかその二人を説得できないの?」
「着信拒否されてます……メールは何度か送ってあるんですけど……」
「他に頼める人は?」
「あの、俺、他の先輩たちとケンカ別れしてこの劇団作ったもんで、上の代のコネ全く頼れない状態なんです……、友達と知り合いに限界までお願いしての今のメンバー集めたのと、後輩も受験や夏期講習で長時間拘束するのは無理で、なので、突然で大変恐縮なのですが、オペをお願いできないかと……」
「……照明と音響の両方?」
「いえ、音響は俺が演出と兼任してるんでオペをやります。なので、先輩には照明をやっていただければ……」
「こーのす、今からオペをやるとしたら脚本読んで頭に入れて全部のきっかけ覚えて照明卓の操作覚えて通し稽古とゲネと本番やるのよね。泊まりの用意もなくここにいる女が部屋に帰ってる余裕なんてないという状況をどう考えるわけ?」
「うっ……それは、ごもっともで……」
「じゃあ、僕がやるよ」
 タロが横から助け舟を出すようにすっと手を挙げてそう宣言した。
「ええっ⁉……いいん、すか?」
 鴻巣が思いがけない救いの手に驚きつつもすがるような目をする。
「今は一秒でも時間が惜しいでしょ?一縷の望みをかけてその二人にコンタクトは試みてもらうとして、男だから着替えはコンビニで何とかなるし、銭湯のコインランドリーで洗濯もできる。楽屋にもう一人泊まれるくらいのスペースはある?」
「はい、大丈夫です、でも……」
 付き合いの長い高校演劇部の先輩のハッシーならまだしもという思いがあるのか、このまま厚意を受けてよいかどうか鴻巣は迷っている様子だ。
「今回の演目の作家さんは好きでこの脚本も何度も読んだことがある。この劇場の調光卓は去年のうちの本公演で触ったし、照明プランの意図を鴻巣君が隣の音響卓から伝えてくれればなんとかなるでしょ。クオリティの保証はできないけど、全力は尽くす、それでよければだけど」
「あ、ありがとうございます。無茶なお願いですいません、よろしくお願いします!」
 タロの理路整然とした安心材料の提供に鴻巣が頭を下げる。
「決まりだね、じゃあ劇場へ行って僕以外は予定通り仕込みの手伝いに入っていこう」
「タロ、ホントにいいの?」
 ハッシーが後輩の不始末を怒っていいやら仲間を煩わせて申し訳ないやらという複雑な表情を浮かべている。
「困ったときはお互いさま、ハッシーのかわいい後輩のピンチだ、どろだんごの漢気の見せどころだよ」
 話がまとまり、急ぎ足で劇場へ向かったところ、ちょうど大道具などを積んだトラックが到着しており、荷下ろしを終えたところで鴻巣の仕切りで全体ミーティングが行われた。
「こちら、劇団どろだんごの皆さんです、本日の仕込みをお手伝いしていただきます。あだ名でお呼びして失礼ですが、舞監のコロさん、衣装メイクのハッシーさん、音響・照明のピョン吉さん、記録のQさん、演助のタロさんです。なお、タロさんには急な事情により照明オペに入っていただくことになりました、よろしくお願いします。」
鴻巣の紹介に続いてどろだんご一行が礼に合わせて声を上げる。
「よろしくお願いします」
「では、手筈どおり仕込み開始、どろだんごさんはうちの舞監の成島の指示を受けてください、お願いします。」
 全員の「よろしくお願いします」の声が返り、作業はスタートした。

「今日はありがとうございます、突然オペまでお願いしてしまって」
 成島がどろだんごの五人に駆け寄り、頭を下げる。成島は鴻巣とは小中学校の同級生で、別々の高校で演劇部に所属していた演劇仲間の女性だ。高校を卒業してデザイン系の専門学校に進み、演劇は卒業したつもりが、この劇団の旗揚げにやや強引に誘われ、舞監まで引き受けてしまったと語る。一度やると言ったからには責任を持ってやり遂げるつもりでいるが、正直勘弁してほしいレベルのトラブルが起こりすぎているとの思いがその表情に出ている。その苦労を慮り、コロが一歩前に出てにこやかに応じる。
「まあまあ、舞監は何かと頼られちゃうよね。とりあえず今日を乗り切ることに集中しましょ、さあ、指示をお願いします」
「はい、タロさんはオペ室で照明プランの確認を、その他の皆さんは分担表にのっとって各スタッフの作業の補助をお願いします」
「よし、どろだんご、行くよ!安全第一無事故でね!」
 コロの号令のもと、「はい!」の声とともにマスクと軍手を装備し、四人はそれぞれの持ち場へと散った。
 夕方、大道具と照明・音響機材の設置および調整まで進行して初日の作業は予定どおり終了した。これにてどろだんごのメンバーは、タロを除いて任務完了となった。ピョン吉が近所のコンビニで買ってきたスポーツドリンクを渡しながらタロをいたわる。
「お先に失礼しちゃいますけど、無理しないでくださいね」
「あたしはなんだか心配だから明日も来るよ、なんかタロに甘えちゃって悪いし」
 ハッシーが申し訳なさそうにそう告げて、一同は最寄り駅へと向かって行った。「劇団とりいそぎ」の小屋入り一日目がまずはなんとか終わった。

 明けて二日目。昼休憩の時間に劇場ロビーにいたタロのところへハッシーがやってきた。
「お疲れさま、昨日は寝られた?」
「まあ、疲れ切ってたから横になったらすぐに朝だったよ、いつもと違ってチャーシューさんみたいな大いびきをかく人もいなかったから」
「タロって意外とその辺タフだよね、マリちゃんなんか去年の二日目にはいびき組を機材倉庫に隔離したうえで耳栓まで買ってきてたのに」
「オペ室の狭さもなんか落ち着くし、照明卓のフェーダー(操作ツマミ)を触るのも実は好きなんだよね。じわ~っとアナログで光をフェードイン、フェードアウトさせるのが味わい深くてさ」
 去年のどろだんごの本公演ではトラブルにより役者が一人出演できなくなり、窮余の策として照明オペを担当していたタロが一時的にオペ室を離れ、何シーンか調光卓の操作を音響オペのバッキーに託して舞台に立つというギリギリの綱渡りをこなしたのだ。舞台には魔物が住むとは聞くが、それを飼い慣らすには日々の準備の積み重ねと心の余裕が必要なのだと実感したハッシーだった。たわいもない話の最中、ロビーの客席側の扉が開き、鴻巣が何やら昨日のコピーのような表情でハッシーに近付いてきた。
「先輩、お疲れさまです、あの……」
「何よー、今度は役者が飛んだとか言わないでよ」
「いえ、あの、それに近いことで……」
「はあっ⁉」
 ハッシーの眉間にしわが寄り、声の音程が一段階上がった。
「男の役者が一人、今朝からひどい下痢してて、何度も吐いてたんで救急電話相談に聞いてみたんですけど、どうも食中毒っぽくて……あの、他のメンバーは今のところ大丈夫です、どうもあいつだけ、昨日の昼の弁当の残りを夜食に食べたみたいで……」
「やばいなぁ、本人を隔離してトイレも外にしにいったほうがいいよ」
 タロの心配はもっともだ、これ以上影響が広がらないようにすぐ対応する必要がある。それにしてもという思いのハッシーに対し、鴻巣の説明が続く。
「それでですね、とりあえずきっかけ合わせは代役立ててやったんですけど……、このままだと本番が……」
「待った、何を言おうとしてんの?あんた、うちを何でもやります的な便利屋とでも思ってんじゃないでしょうね?」
「で、でも、役者を頼める人が他に……」
「おまえがやれ!」
 ハッシーの口調が変わった。目つきも一段と鋭くなっている。
「え……⁉」
「この座組のセリフと段取りを全部わかってるやつなんておまえしかいないだろ、それとも何か?あたしに今からそれを覚えて男役をやれってことか?」
「で、でも……」
「おまえが滑舌悪くて体が固くてダンスも苦手なことぐらい知っとるわ、でもな、公演中止にするか役者やるかって考えたらどっちなんだ!安全地帯で他力本願かましてないで身を切る姿勢を見せろっての!」
「や、やって、みます……」
「『やります』って言え、おまえが始めた芝居だろ」
「やります!」
「よし、で、逃げたオペとの連絡はどうなった?」
「どっちもつながりません……」
「じゃあ音響オペは私がやる。嫌な予感がしたから泊まりの用意をしてきて正解だったわ」
「せ、先輩~……」
「しゃんとしろ、こんなトラブル続きの中で代表がオロオロしてたら今日にでも空中分解して公演なんてできんぞ。さっさと脚本と音響のきっかけ表よこせ、きっかけ合わせはやったって言ったな、私がオペの練習ができるのは通し稽古とゲネの二回だけか?」
「照明のきっかけを先に全部やったので、音響のきっかけ合わせはこれからです」
「まだ運が残ってたな、よし、そこでしゃがめ」
 鴻巣が言われるままに膝をつくと、パンパンッ!とハッシーが鴻巣の両頬を一回ずつ平手ではたいた。
「邪気払いと気合入れだ!立ってさっさと仕切れ!」
 鴻巣は跳ねるように立ち上がり「はいっ!」と返事をすると舞台へ向かって走り、叫んだ。
「全員集合、緊急ミーティング!」

「ごめんね、タロ、驚かせちゃったよね、思わず昔の部活のときの雰囲気に戻っちゃった。悪いやつじゃないのよ、芝居に熱くていいやつではあるんだけど、なぜかトラブルを引き寄せる体質というか、それをリカバリーできる力がないくせに手を広げすぎるというか……」
 ハッシーの口調と目つきがいつもの様子に戻っている。
「まぁ、これもいい経験と思ってうちで活かせばいいさ。楽屋に荷物置いたらオペ室行こう」
 タロはハッシーを先導するように劇場入口左手の階段を昇り始めた。ここ「百人劇場」はその名の通り客席数が百人の会場で、一階は舞台と客席とロビー、やや天井高の低い中二階に照明・音響・映像効果のオペ室、三階に楽屋と劇場の管理事務所がある。楽屋には小さなキッチンがついていて、簡単な調理ができるようになっている。件の役者は余った弁当をチャーハンにして食べたらしいが、原因が黄色ブドウ球菌だとしたら火を通してもなかなか無効化はできないので、節約意識も考えものだ。
「食中毒の件は特にマリちゃんに伝えておこう、あと、ノスケも後追いしそうだから」
 楽屋に声をかけて扉をノックし、引き戸を右へ開く。十二畳ほどのスペースの入口正面には、温浴施設で目にするような荷物ロッカーが壁一面に位置しているのが目に入る。左には衣装がハンガーに掛けられている。左奥には機材倉庫があり、公演中は空になるので予備の作業スペースや荷物置き場、着替え場所などに用いられる。楽屋内には誰もおらず、右手奥の足の短い長机に劇団とりいそぎの公演で配布されるパンフレットが載せられているのを見てハッシーがつぶやく。
「折り込みけっこう来てるね」
「秋の学園祭の時期に公演する劇団も多いからね」
 劇団の公演のパンフレットに別の団体の公演のチラシを挟み込むことを「折り込み」という。仕込み中の楽屋はその作業場所でもあり、どろだんごも本公演の時期にはあちこちの劇場へ出向くことになる。挟み込まれるチラシが増えてゆくとパンフレットがどんどん膨らんでゆき、自重によって雪崩を起こさないように注意が必要となる。開演前に客席でそれらを眺めるのも劇場での楽しみの一つだ、イチは美術的な趣味と制作の資料集めを兼ねて部屋に大量のコレクションを持っている。ハッシーが荷物を床に下ろしたとき、楽屋入り口からがっちりした体格の男性が顔をのぞかせ、二人に声をかけた。
「おう、どろだんご、今日は折り込みじゃなくて手伝いか?」
「あ、はい、篠崎さん、ご無沙汰しています」
「鴻巣はなんかバタバタしてんな、今日は事務所にいるから何かあったら声かけてくれや」
「ありがとうございます」
 二人の返事を聞くか聞かないかのタイミングで姿を消した篠崎はこの劇場の共同運営スタッフの一人で、イベント運営業の株式会社STAGE JAMに所属して舞台製作などをなりわいとしている。百人劇場をはじめ、あちこちの会場で仕事をしており、この地域で演劇をやっている者ならば直接もしくは間接的に何かしらお世話になっているであろう人物だ。ちなみにその会社の登録バイトスタッフとしてバッキーがいることもあり、どろだんごのことを気にかけてくれている。なお、鴻巣もまた同じ登録バイトに入っているそうだ。
「は~、やっぱちょっと緊張するわね」
「ハッシーも?そうだよな~去年ちょっとあったもんね」
 去年の本公演でも篠崎の世話になったのだが、なにしろ世間の常識を知らない田舎学生の集まりであるどろだんご一同のため、時折カミナリを落とされ、小屋入り中は緊張しっぱなしでおそらくは役者の演技にも影響は出ていただろうと思われる。口調は気さくだが、いまだにその声を聞く度に背中にピリッと電流が走るくらいには印象的な出来事だったのだ。ただ一人の例外が渉外の修練を積み、年上男性になぜか気に入られやすい特性を持っていたドラで、もしいなかったらもっとやばかったよなとみんなが後に語った。
 空いているロッカーに荷物を突っ込み、楽屋のドアを閉めてタロとハッシーは中二階へ入る。今年エアコンが入れ替えられたそうで、夏でもそこそこ快適な温度になっている。ミーティングを終えた鴻巣が後追いで入って来て音響オペに必要な資料をハッシーに渡す。
「きっかけ合わせは成島にフロアを仕切ってもらいます、俺はここから指示出しをしながら音響プランと機材の説明を並行してやってきます」
 鴻巣がマイクのスイッチを入れ、二本のうち一本をハッシーに渡した後、最初の指示を出す。
「じゃ、客入れラスト曲を流すから開演時の位置に役者はスタンバイ、オープニング曲の入りから合わせていきまーす」
「合わせの前に失礼します、劇団どろだんごのハッシーです。昨日の今日で恐縮ですが、今から音響オペを務めさせていただきます、よろしくお願いします」

 二日目は何とか通し稽古まで進み、明日の朝イチでゲネプロをやり、午後の本番を迎えられればというところまで来た。とりいそぎのメンバーは全員が泊まり込みということで、タロとハッシーも一緒に商店街を抜けて銭湯へ向かった。鴻巣はどろだんごの公演や打ち上げに顔を出した際、どろだんごのメンバーの距離の近さがうらやましいとしきりに口にしていて、劇団名を決めると際にもいろいろな案があった中、同じタ行で始まる似た感じの平仮名五文字ということで「とりいそぎ」にしたのだとか。急ごしらえでいろいろ定まっていない感じが出ていて今の状況にはぴったりくるが、混乱の中にありつつも深刻なケンカにもならずに何とか明日の公演のめどを立てられるところまで来たわけだ。
「鴻巣君にもいい仲間がいるじゃない」
 入浴前に洗濯機に入れた衣類の仕上がり待ちの間、銭湯の横のコインランドリーの前の道路の縁石に座って夏の星座を見上げながらのタロの言葉に鴻巣は首をひねり「そっすかねぇ」とよくわからないといった感じの返事をした。懸念を次々と現実に変える「ミスターアクシデント」と呼ばれていた高校時代から変わらぬこの後輩に呆れつつも、それにより自分も対応力を磨いてこられたのかもとハッシーは振り返った。タロの温かな言葉がけと鴻巣を支えてくれているメンバーに感謝しつつ、いい意味でこの名前が似合わない「劇団とりいそぎ」になってくれればいいなと思い、蒸し暑いアスファルトの上に吹く風を感じていた。

「あ、パンフレットのオペレーターのお名前、明日の朝に修正します」
 劇場への帰り道、成島がしまったという表情でハッシーに伝える。
「いいよいいよ、メンバーのほとんどが役者になっちゃったんだし、そんなことしてる暇はないでしょ」
「いえ、お客さんの手元に残る物なんで、直さないのはまずいです、受付と記録のスタッフは二日だけということで三人確保できてますから、ゲネ中にやってもらいます」
 その話を聞いたハッシーはすぐさまQに連絡して明日の予定を確認した。初日を観に来る予定ではあったから、午前のゲネを観て撮影ポイントを把握し、映像記録を本公演で行う際のシミュレーションをさせてもらう案を成島に伝えた。
「受付スタッフを一人増やせるけど、どう?うちのスタッフにも経験を積ませてもらえるから持ちつ持たれつよ」
「何から何まで……、ありがとうございます、よろしくお願いします。おい、鴻巣、お礼言え……っておまえ、役者やるくせに何でコーラなんぞ飲んどるんじゃぁっ‼」
 糖分たっぷりの炭酸飲料は喉の大敵、成島のペットボトル取り上げからの鉄拳制裁(顔でなく腹へ)の流れに一切の無駄はなかった。かつて格闘技をやっていたということだ。

 翌日からの公演期間、オペレーター名が修正されたパンフレットを見てオペ席を振り返っての「なぜおまえらがそこにいる?」という反応を多数いただき、客出しの際にもどろだんごメンバーや他の劇団の知り合いにさんざん聞かれたが「まあ、困ったときはお互いさまってことで」とタロと共にハッシーは内情を明かさず乗り切った。
 バタバタの中、楽日(らくび、公演最終日)の本番もなんとか終わり、とりいそぎメンバーがらみのお手伝いさんも加わって慌ただしくバラシが始まった。大方の作業が終わり、オペ室の片付けをしていたタロとハッシーのもとへそろりと成島がやってきた。
「あの、お二人さん、ちょっとお耳を……」
 神妙な面持ちで声を落とし、タロとハッシーに手短に何事かを告げる。
「マジ?」
 ハッシーがそう言って固まる。
「ジーマーです、あとはうちの中で落とし前付けさせますんで、ここだけの話ということで」
 成島が頭を深く下げ、オペ室を出て行った。

 搬出する荷物をトラックに載せて見送り、劇場内のロビーに戻ってきた鴻巣が上機嫌な様子で叫ぶ。
「よーし、みんなお疲れー、じゃあ、お楽しみの打ち上げだー……、ってあれ、何かあった?」
 自分のテンションとロビーに充満する空気の温度差を感じたのか鴻巣の顔に緊張の色が浮かぶ。
「やるのは反省会だ!どろだんごさんはじめお手伝いをいただいた皆さん、誠にありがとうございました、うちらは今から代表をシメますんで、本日はこれで失礼します」
 鴻巣の首根っこをつかんだ成島のドスの利いた発言をもって解散となった。シメるのに値する何が起きていたのかは、誰も口にしなかった。

 タロとハッシー、Qの三人は近くの定食屋で夕食をとり、仕込みとバラシのお疲れさん会とした。今回の修羅場は貴重な経験にはなったが、自分たちの身に起きていたらと思うとぞっとするものだった。また、Qにとっては突然の記録スタッフの実地研修となったが得たものは多かった様子で帰りの電車の中で「いろいろ課題が見つかりました、帰ってコロさんに相談します。受付のことも学べたので、カメにも伝えます」とノートにまとめていた。
「後輩って、いろいろな子がいるけど、それぞれにたくましく育ってほしいと思うねぇ」
 大学の最寄り駅に戻り、Qをアパートへ送ってからハッシーと二人で歩いていたタロの言葉におおむねはうなずけるものの、どろだんごの後輩、とりいそぎのメンバー、ほかの地元の後輩、いろいろな顔を思い出しつつ、ハッシーは複雑な気持ちを抱いていた。
(自分はあの子たちに何を残していけるだろうか、先輩方にいただいたものをきちんと受け継いでいるだろうか)
 もっと自分を磨いて先へと進みたい気持ちがある、でも、まだこの心地よさの中にもいたい。卒業までのあと二年半という時間が急にとても短いものに感じられた。


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