見出し画像

『ハリケーンの季節』フェルナンダ・メルチョール (著), 宇野 和美 (翻訳) メキシコの貧しい村で底辺の暮らしをする人たち。暴力と性と麻薬とそしてその末の殺人。に関わった何人かを各章の中心にして、多角的に描いても救いは無い。救いがないことをそのまんま描くという文学ジャンルがあるのである。

『ハリケーンの季節』
フェルナンダ・メルチョール (著), 宇野 和美 (翻訳)

Amazon内容紹介

ある村で、〈魔女〉の死体が見つかる。彼女は村の女たちに薬草を処方し、堕胎もしてやっていた。彼女を殺したのは一体誰か--。暴力と貧困がはびこる現代メキシコの田舎を舞台に狂気と悲哀を描き、名だたる文学賞候補となった西語圏文壇新星による傑作長篇

本の帯から

ブッカー国際賞最終候補、アンナ・ゼーガース賞[ドイツ]受賞、他国際的な文学賞を多数受賞・ノミネート
世界の文学界が絶賛したメキシコ発の衝撃作
『ブラッド・メリディアン』(コーク・マッカーシー)
『2666』(ロベルト・ポラーニョ)に連なる、凄絶な悪を直視する傑作

ここから僕の感想

 最底辺の村、売春宿と畑と製糖工場くらいしかない本当の田舎の村で、若者はドラッグとセックス以外にすることもなく、麻薬の売人がクルマでうろつき、そこから抜け出す術はほとんどない。という全く救いのない村で、全く救いのない殺人事件が起きる。8つの章は、それに関わった人物をそれぞれ中心にして、ほとんど改行もない文体(訳者解説によると、書き言葉スペイン語ではなく、ベラクルス州という舞台になった地方の方言の話し言葉で語られているらしい)。それを日本語に翻訳するにあたり、このような文体を翻訳者宇野和美さんは選択したのだというが、初めのうちは読みにくい。が、そのうち慣れてくる。

 文体よりも、書かれている内容が、本当に最底辺の救いのない暴力と性と麻薬と壊れた家族、人間関係、ごくごくたまに美しい何かが描かれることはあっても、9割9分は救いのない話である。

 メキシコが関連した小説、麻薬カルテルを描いた『犬の力』ドン・ウィンズロウ(著)にしても1867年メキシコ皇帝となったハプスブルグ家のマクシミリアン皇帝とその妻を描いた『帝国の動向』 フェルナンド・デル・パソ (著)にしても、最終的には日本を舞台にするがスタートはメキシコの『テスカトリポカ』 佐藤 究 (著)にしても、まあ悲惨な暴力に満ち満ちていて、救いがない。メキシコという国の成り立ちから現状までの、暴力についてのぶっ壊れ方というのが、どうしても文学に反映してしまうのだろうか。

 文学には、暴力と麻薬と売春と貧困に沈んで抜け出せない人・地域・生活を描く、というジャンルがあるなあと思う。名前が何かついているのか、よく分からないが、それが現実だという国や地域や時代が、ある。あった。と過去形だけでなく、現在進行形である。それをどう描くと文学として優れているのか。いや、描くこと自体に意味がある。という考え方もあるのだろうな。どうしようもないということ自体が描かれていることに価値がある。ということもあるのだろうな。救いのない現実なんだから、文学の中だけできれいな救いを描いても嘘になるだけだから。

 複数人物の視点から描かれているから、ある視点で描かれると酷いまったくいいところのない人物にしか思えない人が、他の人から見ると、その人にとっては魅力のある人物だったり、少しいいところのある人物だ、ということが見えてきたりする。この小説の「最底辺最悪の暴力と性と麻薬との中での殺人」を描いていても、そこにはそういう、人間が生きているということは分かる。読んでいるうちにだんだん人物が立体的になっていく。

 なっていくから何か救いがあるかというと、無い。

 Amazon内容紹介で語られている「女(魔女)」の殺人事件をいろんな角度から描いていった先にあるのは・・・

 『犬の力』以降、結局今も、警察や検察や軍や政府には押さえられないギャングたち、麻薬カルテルなんかの暴力と、警察自体の腐敗が合わさって、どこにも救いのないメキシコの田舎の村に、死体がごろごろと積み重なっていくだけである。

 そういう救いのないメキシコの現実を、美談にも何にもせずに、ただひたすら直視して描いた作品。ということである。おすすめはしないぞ。救いは無い。読んでいい気持ちはひとつもしない。

 でも、メキシコの現実にはこういうところがきっとあるのだと思う。あるから、メキシコの小説は結局こういう麻薬と暴力と殺人とを描かざるを得ないのである。

 日本だと、そんなに殺人は起きない。というか、あんまり人が死なない世界なので、小説という虚構の世界で、あれこれと人の死を架空体験しておこうとして、小説の中では死が頻繁に描かれる。死は日本では貴重品なので、小説の中でいろいろ体験しておこう、というようなところがある。(いや、麻薬も性暴力も、日常のちょっと近くに、実はあって、運が悪いと巻き込まれたりするのだが、それが起きる確率は、世界の国の中でもかなり低い。殺人件数も世界の比較ではすごく低い。)

 一方、メキシコでは殺人は現実の一部で、ちょっと油断すると、いや油断しなくても、暴力とひどい性暴力と麻薬がそこらじゅうにあって、巻き込まれまいとどんなに決意しても、巻き込まれずに生きることは難しい。特に下層の生活をしていて、それに巻き込まれずに生きるのは本当に難しい。『テスカトリポカ』も、なんとかして巻き込まれずに生きようとする人の話からたしか始まっていたもんな。

 ラテンアメリカの小説の中でも、南米の、コロンビアやペルーやチリの小説とは、メキシコの小説って、なんだか違うよな。ちょっともうすこしいろいろ読んで考えてみることにする。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集