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『証人』 水声社フィクションのエル・ドラード ファン ビジョーロ (著), 山辺弦 (翻訳) メキシコ小説に連続挑戦。大学教授文学者、欧州から24年ぶりにメキシコに戻って体験したことは・・・やはり、アレやそれは避けられなかったのである。

『証人』 2023/7/20 
水声社 フィクションのエル・ドラード
ファン ビジョーロ (著), 山辺弦 (翻訳)

本の帯 内容紹介

ヨーロッパの大学で文学を研究するフリオ・バルディビエソはサバティカル休暇を取得し、24年ぶりに祖国メキシコへと帰還する。従妹ニエベスとの淡い記憶、親族との再会、旧友との思いがけぬ邂逅を経るうちに、無数の思惑に囲まれたフリオは不穏な事件に巻き込まれていく…。政権交代を果たした転換期のメキシコを舞台に、自身の記憶と祖国の記憶を重層的に描き出した、鮮烈な歴史=物語。

ここから僕の感想

 この前、『ハリケーンの季節』フェルナンダ・メルチョール (著)というメキシコの小説を読んだのだが…

僕の感想文noteから

最底辺の村、売春宿と畑と製糖工場くらいしかない本当の田舎の村で、若者はドラッグとセックス以外にすることもなく、麻薬の売人がクルマでうろつき、そこから抜け出す術はほとんどない。という全く救いのない村で、全く救いのない殺人事件が起きる。(中略)
 文体よりも、書かれている内容が、本当に最底辺の救いのない暴力と性と麻薬と壊れた家族、人間関係、ごくごくたまに美しい何かが描かれることはあっても、9割9分は救いのない話である。
 メキシコが関連した小説、麻薬カルテルを描いた『犬の力』ドン・ウィンズロウ(著)にしても1867年メキシコ皇帝となったハプスブルグ家のマクシミリアン皇帝とその妻を描いた『帝国の動向』 フェルナンド・デル・パソ (著)にしても、最終的には日本を舞台にするがスタートはメキシコの『テスカトリポカ』 佐藤 究 (著)にしても、まあ悲惨な暴力に満ち満ちていて、救いがない。メキシコという国の成り立ちから現状までの、暴力についてのぶっ壊れ方というのが、どうしても文学に反映してしまうのだろうか。

 いやいや、しかし。メキシコ文学にも、なんか、もうちょっと麻薬カルテルと手足と首と切り落とす惨たらしい殺人と腐敗した警察と貧困と、という以外の、何か格調高いというかおとなしいというか上品というか、そういう文学もあるんではなかろうか。ということで、欧州から24年ぶりに帰郷した大学教授の、昔の恋愛の思い出をたどったり故郷を訪ねたり、国民的詩人の歴史を追いかけたりするらしいこの小説を読んでみたのである。

 時は2000年。71年続いた大翼賛政党「制度的革命党」の超長期政権が終わった直後のことである。インテリ大学教授文学者がメキシコシティに戻って長期休暇を取るのだな。

 しかーし。しかーし。国に帰ってすぐに連絡を取ってきた大学時代の小説や詩を書くワークショップの同級生ヴァイキング(あだ名)は、ちょんまげに革ジャンの広告業界・テレビ業界のうさんくさい業界人になっていて、会うなり麻薬、コカインを一緒に吸おうぜみたいなことになり、テレノベラ、メキシコの国民的大人気テレビ連続ドラマ小説を作る話に、主人公を巻き込むのである。

 ヴァイキングが考えたテレノベラのテーマは、クリステロス戦争(1926–1929)という田舎の農民クリスチャンが起こした反乱、内戦。そこを舞台に、若くして33歳で死んだ国民的詩人ラモン・ロペス・ベラルデを描く。このラモン・ロペス・ベラルデ、とても宗教的な人であると同時に、とんでもなく女たらしでスケベ、という二面性を持っていたのだな。島崎藤村のように国民的で、太宰治くらい女にだらしない。だから、ドラマは宗教的歴史ロマンメロドラマなのだ。日本の大河ドラマと朝の連続テレビ小説と昼のメロドラマを合体させたみたいなやつである。ヴァイキングは、整形手術に失敗して唇が分厚くなり過ぎた恋人の女優をヒロインにして、恋人の人気回復を図ろうとしているのだな。下世話。

 この戦争1920年代後半のことなのだが、1910年からのメキシコ革命という今につながる近代化の革命、結果として農地改革から労働運動から地主階級から民主勢力まで右から左まで全部ひとつになった「制度革命党」の政権が誕生するに至る近代化革命の頃の話なんだな。1929年に左から右まで全部にまたかせる「制度革命党」というのが政権を取って、この小説の舞台となる2000年まで71年間、ずーっと政権にいたのだな。自民党と旧社会党を合体させたみたいな政党である。日本で言えば大正時代から昭和初期の頃の話である。このメキシコ革命で、それまで政教一体の政府だったのを、政教分離するようになったのだな。それに対して田舎の敬虔なクリスチャン農民たちが反抗して反乱を起こしたわけである。

 話は少し脱線するがこの戦争、この前読んだバルガスリョサの『世界終末戦争』に出てくるブラジルのカヌードスの乱(1896–1897)に似ている。ブラジルもメキシコも、宗主国から独立した後、近代的な政権が出来て政教分離を推進した。それに対して農村部の人々は、信仰を中心とした共同体生活を国家に否定されたと感じて蜂起しちゃったわけである。両国とも正規軍を投入し、圧倒的武力で制圧。いずれも数万規模の犠牲を出して鎮圧された。近代国家統合の過程で「辺境農民の信仰共同体」が犠牲にされた。という類似点があるのだな。カトリックが浸透した旧植民地が独立して近代国家になる過程で、田舎の敬虔な農民が反乱を起こすという共通パターンなのである。

 でね、小説に話は戻って、主人公フリオは、このクリステロス戦争の舞台となった田舎の農村旧家の出身で、田舎の農場一体の地主として暮しているおじさんは、この戦争や、詩人ベラルデの文献や史料の収集家なのだ。というわけで、ドラマのための資料作りやロケ地に故郷の農村農場を使う、みたいなことでヴァイキングから主人公は協力を依頼されるわけだ。

 「都会的で文化的な小説」と思ったら、あっという間に田舎の農場が舞台になるのだが、それだけじゃあない。そこの農村農場の一角に住み着いていたヒッピー崩れのアメリカ人が、麻薬作用のあるサボテンを栽培していたのだが、主人公が故郷の村に帰っている間に、そのアメリカ人が殺されて。それだけじゃあない。いかにも麻薬カルテル(ナルコス)らしき男たちが首無し死体になって四人も殺されている車も近くで発見される。このアメリカ人のところに対立するふたつの麻薬カルテルが出入りして対立抗争していたのである。

 おーーーい。結局、麻薬と麻薬カルテルと首無し殺人かーい。

 となるのだが、話はお上品な方としてもちゃんと展開する。20代につきあっていた恋人、主人公の留学タイミングでヨーロッパに駆け落ちしようとしたけれど待ち合わせに来なかった従妹ニエベスの思い出。なんで待ち合せに来なかったのか、24年も前の話なのにこだわり続ける主人公の思い出を故郷の村やあちこちでいろいろ思い出す。彼女はメキシコに残り他の男と結婚して二人の子供を残して、交通事故で死んじゃっているのだけれど、そのニエベスの娘が年頃になって農場に遊びに来て再開したりする。一方、主人公フリオもヨーロッパでイタリア人の翻訳家女性と結婚して娘が二人いるのだが、この翻訳家である妻パオロ、翻訳するたびにその原作小説家と浮気してるみたいで気になるなあ。今回翻訳しているのはメキシコ人の、麻薬カルテルを描く小説を書いているイケメン売れっ子作家で、妻がこいつとも浮気?みたいなことをしているうちに。そう、この小説家、このテレノベラの脚本も書くことになって、いろいろ絡んでくるのである。

 故郷農場を舞台としたテレノベラの話が、麻薬カルテルの殺人事件といろいろ絡んで殺人事件はどんどん起きるし主人公も巻き込まれてくる。

 そのうち、麻薬カルテルにじゃなくて捜査する暴力的な警察の刑事に、主人公監禁されてめちゃくちゃに拷問暴行されるわ、たいへんなことになっていく。やっぱりひどく暴力的になるんかい。メキシコの小説。

 麻薬と暴力だけじゃなく、宗教の生活への浸透の仕方も、日本とは全然違う。

 その国民的詩人、宗教的だけれどすごいスケベでもある詩人を、カトリックの聖人に推挙しようと画策する地元のカトリックの神父、というのも出てくる。クリステロス戦争の時代だけでなく、現代でもメキシコではいまだカトリック教会、神父さんはものすごく生活のすみずみに関わってくる。特に田舎では。

 神父さんは熱心に布教活動をしている証として、「聖人」の証拠、奇跡を2つ起こしたことを証明して、バチカンに申請するのである。

 話がまた横道に逸れるけれど、この小説を読んでいる途中の9月8日のワールドニュース、フランスF2のニュースで、15歳で白血病で亡くなったイタリア人の少年が、バチカンで教皇レオ14世によって聖人に列聖された。二つの奇跡を起こした。として彼の遺体は2016年から保存されて公開されているのだな。彼は「神のインフルエンサー」と言われて、インターネットでキリスト教の布教をしていて、彼のパジャマに触れた9歳のブラジル人の少年のガンが治った、などふたつの奇跡を起こした。

 というわけで、本当に奇跡を起こしたかどうかというより、「インターネットで布教をして早世した15歳の少年を列聖しよう」というその地域の神父さんの熱意活動があって、「彼の起こした奇跡の事例を集めよう」というふうに担当教区の神父さんが努力する、というふうに、ことは運ぶみたいなのである。カトリックの布教をいかに熱心にするかということと、聖人列聖の申請を神父さんがすることは、カトリック教会の中での神父さん出世と関係することみたいなんだな。現代現在でも「聖人を見つける、列聖させる」というのはカトリックにとって大事なことなんだな。初めて知った。

 話はまた小説に戻るけれど、主人公48歳、24歳で欧州に留学しつつ駆け落ちしようと思って、彼女が来なくて、結局24年間欧州にいて、48歳になってメキシコに久しぶりに戻ったのだな。その間、メキシコは71年間続いた制度的革命党の一党支配がやっと終わったが、麻薬カルテルはますます勢力を強め、警察は腐敗し、しかし田舎では農民たちの生活は貧しく、カトリック教会は力を持ち続け、24年間で変わったこと変わらないこと、その変化と、自分のかつての恋愛と今の結婚生活と、そういうものをまるごと何層にも重ねて描いていく、そういう大小説なのである。

 サルマンラシュディの『真夜中の子どもたち』が、インド近代史をまるごと描きつつ、半分すけべーな話、半分宗教や政治対立の深刻さを、主人公の家族一族の物語を通じて小説にした傑作だったわけだが、

こっちの『証人』はメキシコの近代史を、主人公の個人史と絡めて小説なわけでした。

 なんだけど、傑作かなあ?メキシコ文学の世界では大傑作、ということになっているらしい。確かにものすごく力が入っているしスケールは大きいし、その一方で恋愛とか性とか家族とか、現代的な世界文学的な要素もてんこもりである。記憶の不確かさとうんぬん、みたいな現代文学的テーマもてんこもりである。村上春樹的恋愛と性と村上龍的暴力と政治と現代風俗とマスメディア裏事情とドラッグと性、性は春樹も龍も大好きだもんな。

面白かったか。うん、面白かったけれど。

 メキシコってどんな国、ということに対して、近現代史と、宗教風土社会風土、農村、犯罪組織、麻薬の社会への浸透度合い、テレビや広告という消費現代文化、大学や法曹界というインテリの世界、ものすごく多様な角度から、個人の目から、生活の体験として描かれています。こういうことができるのは、小説だけなんだよな。

 メキシコって人口1億2千万と日本と同じくらい。アメリカとガチで戦争したことがあるのも日本と一緒、野球とサッカー両方とも日本と同じくらい強い。ボクシングが強いのも日本と同じ軽量級から中量級までだから、日本人の世界タイトル戦相手はメキシコ人多いよな。明治維新の頃に近代化し始めて大正の頃に現代につながる政権ができて。日本とメキシコ、全然違うのだけれど、なんか似ているところもある。

 メキシコは移民攻撃と麻薬攻撃で、今もアメリカにガチの戦争を仕掛け続けているとも言えるし。だからトランプはメキシコとの国境に本気で全部壁を建てたわけで。

 アメリカのお隣で、どうやって自分らしくいるか。日本もメキシコも、そういう課題に直面し続ける国なんだな。メキシコは、アメリカの隣だけれど、微妙にハイカルチャー的文化的には欧州との関係の方が濃くて、そのことでアメリカに対抗する力があるようでもあるよな。この小説を読むと。

 メキシコのことは、一度、ちゃんと考えたり知ったりするのが良いと思う。怖いけど。

 そういう意味、興味からでも、この小説は、読んでみる価値あると思うのだが。

 しかし、Amazonに書影もないし、内容紹介も無いんだよな。売れてないのかな。翻訳した山辺弦さんの、力のこもった解説も素晴らしいですよ。Amazonページリンク貼っても画像無しだな。

 ちなみに解説含め600ページくらいのかなり分厚い本なのだが、読み始めてすぐに表紙から目次くらいまでが、バカーって剥がれて本が壊れかけた。ガムテープ貼って、なんとか持ちこたえました。読書しているといろんなことが起きるな。

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仕方ない、楽天ブックスのページを貼っておこう。


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