博士後期課程へ進学する時に考えたこと
<2019.11.追記>
はじめまして。ふとnoteのダッシュボードを見ると、このnote「博士後期課程へ進学する時に考えたこと」がビュー数(読んでいただいた回数)で一番になっている。今後も新しく読んでくださる方が居るのでは、ということで改めて推敲&加筆した。最後に、このnoteに関連する話題を取り上げた記事をご紹介する
フォローしているこちらのnote。
私自身が「理系の大学院に居たにも関わらずわざわざ文系の研究をして博士号は”学術”で取得&アカデミックな定職にはついていない」という経歴であるため、とても共感するところ多く拝読した。
こちらの記事の著者の方が挙げておられた朝日新聞の記事『文系博士課程「進むと破滅」』、私も読んでみたがなんともやりきれない気持ちになった。
この記事の関連記事をざっと見てみる。
・「博士」の末は…就職難 かつては名誉、変わりゆく境遇
・「はしご外された」職失う研究者も 私大の支援打ち切り
・「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた
・「博士漂流」問題、職に対して人募集の仕組みを 識者
まるで
大学院に行く = 新卒一括採用のレールから外れる = 人生終了
と言わんばかりの報道ばかりである。この有様では、今、現役の修士の学生たちは、わざわざ日本の大学院の博士課程(特に文系)に入ってみようとは思えなくなるのではいか…と、少し残念な気持ちになる。
なぜなら、私個人の体験で言えば、大学院博士後期課程はとても「おもしろかった」からである。なんとも雑な議論で申し訳ないが「本当に面白かったから、行けるのに行かないのはもったいないよ」と主張したいところなのである。
以下、博士進学を迷っている修士の学生の方の参考になるかどうかはわからないが(おそらくならないだろうが)、私自身が博士後期課程に進み、通いながら考えたことを整理してみようと思う。
ポイント(1)予め破滅してから入る
これは上の記事の方が書かれたこととも関係するが、私は、「破滅する」と分かっていて、わざわざ博士に進学した。
例えば、大学の先生になる「ために」とか、人から尊敬される「ために」とか、世界的な研究成果を上げる「ために」とか、何かの目的の「ために」手段として博士課程に進んだわけではない。
ではなぜわざわざ博士課程に入ったか。それは修士の時に読もうと思っていた本を読み終わっていなかったからである。
ひどい話と思われるかもしれない。歌い終わっていないからカラオケボックスで時間延長する…くらいのノリで、博士課程に入ってしまって申し訳ない。ちなみにこの不埒な動機は最初から指導教官にバレており、ひどく呆れ果てられていたのだが(ごめんなさい)、それでも最後まで面倒を見てくださった。そういうことが通用する(?面白がられる?)のもまた、博士課程のいいところなのである。
本なんて、一人で勝手に読めばいいじゃないか、という声が聞こえてきそうだが、大学院に集う自分よりはるかに優れた知性と一緒に本が読めるというのは面白いのである。
こんなことを言うと、よほど実家が資産家で、金が余っていたのだろう、と思われるかもしれないが、残念ながら違う。博士進学の時点ですでに父は他界していた。学費は自分で奨学金を借りて進学した。いまやこちらもまた評判があまりよろしくない例の奨学金であるが、これは現在でも返済を続けている。
私にとっては堂々と「変な人」で居られる場所が、大学院博士後期課程だったのである。破滅、という言葉で考えるなら、この時点ですでに破滅していると言っても過言ではない。漂流というなら、はじめから漂流していて、たまたま大学院に流れ着いたというところだろうか。
ポイント(2)好きなことだけする
私が進んだ博士後期課程は最短3年で学位を取得できる。
始めてみてすぐにわかったのだが、実際3年で学位取得の要件を満たすのは「私にとっては」容易でなかった。期限のうちに着実に研究業績を積み上げられるような研究の仕方を身に着けている本当に優秀な人なら充分可能であるが、私はただの「本が読みたいだけの人」である。3年での学位取得は秒速で諦めた。
学則を詳しく調べると留年と休学をリズミカルに繰り返すことで、10年くらいは大学院後期課程に席を確保できることがわかった(自分の院の学則は自分で調べてみてほしい)。3年は無理でも、10年くらいあればなんとかなりそうな気がした。なにが「なんとかなる」のかといえば、とりあえず読みたい本はかなり読めそうだ、ということである。もし万一、この読書の副産物で学位が取れれば儲けものではないか?
この時点で後輩諸氏に参考にしてもらいたい点は、進学の時点で「博士の学位は取れても、取れなくても良い」と考えていたことだ。好きな読書を誰はばからず堂々とできる席を確保した、という、これがすべてである。
ポイント(3)好きなことだけできる条件を整える
ここで問題になったのは、この「10年くらい」の間ずっと奨学金をもらい続けることができない、ということである。当たり前である。仮に私がファイナンス業者であればこんな人にお金は貸したくない。
借金で賄えないなら、稼ぐしか無い。
ということで博士後期課程に席を置きながら正社員として就職してみた。
これは驚かれるかもしれないが、すでに新卒一括採用の線路からは派手に脱線済みである。高専卒業、学部卒業、修士修了の3回もチャンスがあったにもかかわらずである。そんな人がどうすれば正社員になれるのか?
中途採用に応募したのである。
大学院ではティーチング・アシスタント(TA)、リサーチ・アシスタント(RA)としていくらかのお給料を頂いて大学の仕事を手伝っていた。
「TAやRAなんて、バイトじゃないか!」という声もあるだろう。たしかにそうかもしれない。でもTAやRAを「ただのバイト」だと一蹴するか、それとも「職歴」として評価するかは採用する側の企業が決めればよいことであって、私という人間がどう思うかとは関係がない。
こうして私は仕事をしながら博士後期課程にも席がある、という形になった。
ポイント(4)「好きなことだけする」ための犠牲を厭わない
就職をしてみたのだが、ここで計算が狂ってしまった。仕事が面白く、忙しくなってしまったのである。結果的に、読書する時間を充分に確保するために睡眠時間を大幅に削ることになった。
いついかなるときも初心を忘れてはならない。私は堂々と本が読みたかったのである。
案の定すぐに体調を崩してしまい、せっかく採用してくれた企業には実に申し訳なかったのだが、1年ほどで社員の立場を離れることになった。
ところが働き方というのはいろいろある。辞めると同時に、フリーランスの外部パートナーとして仕事を続けさせてもらえることになった。
本を読む時間のためなら「生活が成り立たないんです、仕事ください」と頭を下げるくらい、何ということもない。
まとめ:「べき論」で眼の前の「縁」を見落とさないこと
そして現在に至る。具体的にいうと、
1)フリーランスで食べるに困らない程度の収入を確保&読書時間を最大化
2)博士論文もコツコツと書き、予定通り10年くらいで博士号取得
3)私生活では結婚もする
といったところである。おかげでレヴィ=ストロースの『神話論理』の日本語訳を3周ほど読めたし、見田宗介先生の著作集もかなり読めた。平凡社ライブラリーになっている『日本残酷物語』も全部読めた。小学館の『日本民俗文化大系』も読み漁ることができた。丸山圭三郎氏に、井筒俊彦氏に、中沢新一氏に、と「全部読みたい」著者を知ることができた。個人的にはこれだけで大成功である。
もちろん、実際いろいろ日々の苦労も或るのだが、その辺はあまり面白くないので言及しない。
意識的に実行したことは、人生の限られた時間を、読書(とその副産物としての論文執筆)という、世間のメジャーな常識からすると「なんの価値もない」「破滅」と評される活動に投下できるようにしたことに尽きる。
逆に、意識してやらなかったことはなにか。強いて言えば「世間の常識に基づく判断・選択を行わなかった」ということだろうか。
世間の常識に逆らったのではない。「ついていけないフリをした」というか、「ついていきたいけれどついていけない…」という姿に身をやつしたのである。「やつし」は非サル化した人類文化の精髄であると思うのだが、この話はまた別の機会に。
何歳までには定職につくべき、博士論文は3年で書き上げるべき、結婚するべき、年収うん百万は確保すべき、子供の学費はいくら蓄えるべき、家をもつべき、子供をもつべき…。
世の中にはあらゆる「べき」が溢れている。
こういう「べき」をひとつひとつをクリアしていくことを、私は就職氷河期に高専で新卒採用を経験した時に諦めた。バブルとか、景気とか、自分の意思ではどうにもできないことがある。
であれば逆に、自分でコントロールできる範囲で生きよう。それが私にとっては、読書だったのである。「わたしにとって、本は読むべき」それだけである。
そういう具合で「べき」の色眼鏡を最後のひとつだけ残してほかは外して生きていると、目の前の人との間でいろいろ予測不可能なつながりが芽吹いてくるのに気づくことが出来たりするのである。
最近は本を読んでいると、3歳になった上の子が、「なにしてる?」と遊びにやってくる。「本を読んでいるよ」と応えると、本棚から適当な新書や文庫本を選んで運んできて、机の上に並べてくれる。これでよかったのである。
ちなみに彼が最近お気に入りでよく運んでくる一冊はこれ↓↓である。
なぜ?
* *
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ここまで読んでいただいた方のなかには「読書って、そこまでこだわるほどのことなのか?」と、至極真っ当な疑問を持たれる方も多いことでしょう。
わたしが個人的に思う”読書のおもしろさ”について、下記の記事で概略をご紹介していますので、よろしければぜひのぞいてみてください。
関連記事:「意味」とは/深層意味論の奥深い世界
関連記事:自/他分節の”あわい”を記述する文化人類学の世界がおもしろい
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
いただいたサポートは、次なる読書のため、文献の購入にあてさせていただきます。