読書ノート|『滅び」と生きる――宮崎県椎葉村の生態変化、生存戦略、種間関係の動態』(合原織部著 京都大学学術出版会)—序精読
以下は note.com にそのまま貼れる体裁で、本文(序章)を最優先に精読して作った読書ノートです。該当ページ番号(〈序-xxx〉の形)を随所に示します。あわせて必要最小限の外部情報は公的な書誌サイトで確認しました(末尾に出典)。
口上
『滅亡するかもしれない人類のための倫理学』を読み終えた。長期主義は、言い換えれば「終末なき終末論」に行き着く。それは宮台真司の「おわりなき日常を生きろ」とも響き合う。
つまり「滅びる」とは、単に何かが失われることではない。失われるのと同時に、残った人びと・モノ・環境が新しい絡まり合いを試行し始める。アナ・チン『マツタケ』が教えるのは、まさにその「廃墟の中の生成」だ。
そんな連想の流れのまま、『「滅びを生きる」宮崎県椎葉村における種間関係の動態』(合原織部、京都大学学術出版会)を読む。久々のマルチスピーシーズ人類学のエスノグラフィ。以前「はじめに/序章だけ読む」版をまとめたが、今回は序章を精読し、あらためて要約・論点整理・用語解説・批判分析まで、きちんとノート化しておく。
書誌と作者紹介(最低限)
書名:『「滅び」と生きる――宮崎県椎葉村の生態変化、生存戦略、種間関係の動態』
著者:合原 織部
出版社:京都大学学術出版会
刊行:2025年5月/A5判相当・272〜280頁規模/ISBN 978-4-8140-0591-8(NDL書誌では272p、出版社案内ではA5上製・280頁予定)(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
公式書誌(CiNii/NDL):刊年・版元・ISBNの確認可。目次抄も掲載。(CiNii)
著者略歴(抄):法政大学 人間環境学部 講師。京大院人間・環境学研究科博士後期課程修了、博士(文化人類学)。椎葉村で稲作文化(「先祖の田」)、猟犬、養蜂、ジビエ等を民族誌的に研究。(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
要約(序章:丁寧で長め)
序(調査地の選定・問題意識・研究視座・先行研究への違和感)
舞台:宮崎県椎葉村。標高1000m級の山々に囲まれた山村で、棚田・段々畑、ブンコウ(ニホンミツバチの巣箱)が点在。林業・焼畑・原木シイタケ・狩猟・採集・川漁など複合的な生業が営まれてきた。柳田国男『後狩詞記』にも連なる山の神・猟犬・巻狩りの信仰を継承(〈序-009〉)。
今日の変化:2000年前後からイノシシ・シカ・サルの出没が日常化。獣害は経済だけでなく、耕作の意欲や日々のリズムにも影響(〈序-005, 009-010〉)。
研究課題:日本の山村は「滅びゆく山村」として語られがち(過疎→境界の弛緩→獣害→耕作放棄)。他方でアナ・チンは荒廃した土地に生じる寄り集まり(アッセンブリッジ)に希望を見る。しかしどちらの図式も、現場で実際に生じている多種間の交渉と、具体の知恵・技(practice)を十分に描いていない——ここに違和感(〈序-005, 008, 010-011, 015-016〉)。
本書の視座:個別テーマ(獣害・猟・養蜂・商品化…)を切り離さず、生活全体=生業の総体として観察。人間だけでなく猟犬・ミツバチ・野生動物・植物・道具・制度(行政・市場)が織る多種間の関係を民族誌的に記述(〈序-005-006, 016〉)。
1 山村の変容を捉える視座
1-1 「滅びゆく山村」という言説
戦後の植林政策などで山の餌資源が乏しくなり、野生動物の集落侵犯が生じるというencroachmentモデル(Knight ほか)。これに従えば、被害の深刻化→意欲の喪失→耕作放棄→「土地の喪失」という一方向の衰退像が立ち上がる(〈序-005, 006-008〉)。
著者は、この単線図式では捉えきれない現象があると指摘。例えばシカの個体数増による植生変化→蜜源植物の減少→ニホンミツバチの生息・養蜂への波及、さらにシカの食性変化が食当たりを誘発し、猟・利用の実践が揺れ動く、といった多層連鎖(〈序-011〉)。
1-2 「滅びゆく山村」に見え隠れする問題系
(A)人間中心の獣害対策観:先行研究は農家の意識や地域観念に光を当てたが、現場ではサル/イノシシ/シカと人の双方の駆け引きが進行し、道具・機具(電気柵・罠等)も絡んで実践が揺れ動く。二者関係+人間主体に限定する枠では多種間の交渉が取りこぼされる(〈序-008, 010-011〉)。
(B)カテゴリーの固定化:「野生/害獣/半家畜/家畜」の境界は状況依存で可変。猟犬やニホンミツバチは、家族・パートナー・資源・神的存在など複数の位相を取りうる(〈序-011〉)。
(C)生活総体の視界:椎葉では誰もが複合生業(猟・養蜂・耕作・林業・採集…)を組み合わせる。ゆえに、ひとつのテーマで切ると生活の揺らぎの全体が見失われる(〈序-016〉)。
2 「荒廃した土地」に生成する複数種の交渉
2-1 「アッセンブリッジ(寄りあつまり)」
参照点はアナ・チン『マツタケ—不確定な時代を生きる術:THE MUSHROOM AT THE END OF THE WORLD』(2015)。チンは攪乱された景観における種と人の偶発的な寄り集まり(アッセンブリッジ)から、進歩史観ではない時間やパッチワーク的な資本主義を描く(本文は概念参照・批判的継承、〈序-021-023, 027-029〉。関連解説:(シカゴ大学出版ジャーナル))。
本書は希望物語に回収しない慎重さを保ちつつ、現場の具体に降りる(〈序-027-029〉)。
2-2 「伝統的な生態学的知識(TEK)」
本書はTEKを固定的な「伝統知」ではなく、実践に応じて更新される動態として捉える。認識人類学・民族科学系の系譜を踏まえつつ、欧米近代科学と対等な理解の枠として定義を再検討(〈序-020-021, 031〉)。
引用趣旨:「自然」だけでなく「社会」「超自然」を含む総体的環境に対し、長期の相互作用の中で鍛えられた知・信念・実践の総合(大村 2002 の定義を経由、〈序-020〉)。
3 本論の内容と構成(序章の案内)
第I部:椎葉の生活世界と**稲作(「先祖の田」)**の歴史的生成(〈序-021〉)。
第II部:獣害——イノシシ・シカの有害捕獲と「伝統的」狩猟、サル害の駆け引き(〈序-021〉)。
第III部:猟犬の「変身」、養蜂のハイブリッド・コミュニティ、ニホンミツバチ減少と養蜂の変容(〈序-021〉)。
第IV部:シカ肉の商品化(県内複数地域のジビエ事業比較/椎葉ではドッグフード生産)と総合的考察(〈序-021, 023〉)。
→ 個別章の寄せ集めではなく、生活総体×多種交渉×制度介入をひとつの記述面に立ち上げる設計。
4 調査・調査地の概要
期間:2014年3月〜2021年10月、のべ24か月の断続的フィールドワーク(〈序-023〉)。
方法:参与観察+半構造化面談。狩猟・耕作・養蜂・シイタケ・茶摘み・釣り・祭礼・地区行事まで生活全体に同行(〈序-035〉)。
対象:村全域。養蜂家39名を中心に継続参与。ジビエは宮崎県内の複数自治体(西米良・諸塚・美郷・日之影・えびの・延岡)と、椎葉でのドッグフード生産を比較(〈序-028, 035, 038〉)。
補足:サル害は主に自給用作物に及ぶため直ちに現金収入は減らさないが、食の維持と耕作継続に関わるため深刻と捉えられる(〈序-038〉)。
5 登場人物について
調査では匿名化のもと、具体の実践(猟・養蜂・稲作…)と語りを丹念に記録。男性主体になりやすい猟・養蜂・川漁と、男女ともに関わる耕作・シイタケ・茶摘みなど、生業ごとの役割差にも触れる(〈序-023, 035, 038〉)。
例:上椎葉・夜狩内・松尾・尾前・小崎などの地区横断の関係網の中で、猟師・養蜂家・林業従事者・民宿経営らが現れる(〈序-027, 038〉)。
論点整理(序章から抽出したキーイシュー:詳細)
「滅び」図式の過剰な単線性
Encroachment(侵犯)図式は説明力を持つが、多種間の波及(植生→蜜源→ミツバチ→養蜂→食当たり→猟の実践)を包摂しにくい。「滅び」か「希望」かの二択を超え、連鎖の具体を描く必要(〈序-005-011〉)。
生業の総体視
狩猟/養蜂/耕作を同一の生活時間(季節・天候・収穫・獣の動き・病害虫)で捉えると、多重リズムが重なって生業が揺れ続けることが見える(〈序-021, 029〉)。
人間中心主義の脱臼
人間だけが能動ではない。猟犬・ミツバチ・サル/イノシシ/シカ・蜜源植物・罠・柵・行政制度が、それぞれ行為者として実践を方向づける(〈序-008, 011, 016, 021, 031, 038〉)。
カテゴリーの可変性
「野生/家畜/半家畜」「害獣/資源」は固定ではなく出来事依存。猟犬は家族・労働力・霊的存在へと変身し、シカは害獣であり商品資源でもある(〈序-011, 021-023〉)。
国家政策・市場の「気まぐれ」な介入
戦後植林から保護政策、近年の科学的管理やジビエ政策まで、上位制度の設計が現場の実装へ転嫁され、そのたびに関係配置が組み替わる(〈序-005-006, 021-023〉)。
TEKの再定義:動態・総体・対等性
自然/社会/超自然を含む総体的環境への長期実践知としてTEKを捉え直す。固定遺産ではなく更新され続ける知(〈序-020-021, 031〉)。
用語解説(やさしめ)
Encroachment(侵犯)
集落と山の境界が緩むことで、野生動物が集落に侵入する現象を説明する枠組み。過疎化・作業力の低下と結びつけて論じられる(〈序-005-008〉)。アッセンブリッジ(assembly=寄りあつまり)
攪乱された景観で生じる、種と人の偶発的な寄り集まり。進歩史観ではない時間とパッチ的な資本主義を考える補助線。本書は概念を参照しつつも、現場の具体へ降りる(〈序-027-029〉。関連:(シカゴ大学出版ジャーナル))。TEK(伝統的な生態学的知識)
自然/社会/超自然を含む総体的な環境について、長期の相互作用で鍛えられた知・信念・実践の動態的総体。近代科学と対等な理解枠として再評価(〈序-020-021, 031〉)。有害鳥獣捕獲
行政計画に基づき、被害低減のための捕獲を行う制度的実践。狩猟文化との接点・ズレが生じる(〈序-021〉)。ジビエ事業
シカ肉等の商品化。県内複数地域の食肉生産と、椎葉のドッグフード生産の比較民族誌が提示される(〈序-021, 038〉)。
批判分析(序章段階)
本書の強み
生活総体×多種交渉×制度を同時に追う設計
個別テーマに切らず、生活を一枚で描くことで、獣害→植生→養蜂→食文化→商品化の連鎖を見える化(〈序-016, 021-023, 029, 031〉)。人間中心主義からの離脱
猟犬・ミツバチ・サル・シカ・道具・制度が行為者として働き、実践の揺れを生むという視角が明快(〈序-008, 011, 016, 031〉)。概念の使い方が慎重
アッセンブリッジ/TEKを参照しつつ批判的に継承。希望物語や固定伝統への回収を避け、具体の可変性を丁寧に追う姿勢(〈序-027-031〉)。
課題・今後の問い
可視化の精度:
後続章で、個体差(猟犬・サル・群れの違い)や技術の逸脱/故障の記述がどこまで連続データとして積み上がるか。制度・市場の装置性:
政策や市場のタイムスケール(補助金・認証・流通規格)と生活のリズムの噛み合わせの悪さを、**設計論(STS的語彙)**でもう一段掘り込める余地。美学・写真・技術との橋渡し:
本書記述から、採集・解体・採蜜・設置作業の身体技法(身体図式・リズム)を映像・写真・音の記述にどう展開可能か。経験の共有可能性を問う視覚言語への翻訳が期待される。
未読者向けオーバービュー(ひとことで)
滅びと生成が同時進行する椎葉村の生活世界を、人・動物・昆虫・植物・道具・制度の多種交渉として描くエスノグラフィ。「滅びゆく山村」という決めつけを、現場のディテールから捉え直す一冊(〈序-005-006, 016, 021-023, 027-031, 035, 038〉)。
参考文献・出典(本文優先・外部は最小限)
合原織部『「滅び」と生きる——宮崎県椎葉村の生態変化、生存戦略、種間関係の動態』京都大学学術出版会、2025年。本ノートは主に本文序章に基づく(参照ページ:〈序-005〜011, 016, 020-023, 027-031, 035, 038〉)。
国立国会図書館サーチ:書誌(刊年・頁数・ISBN・目次抄)(国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
CiNii Research/Books:書誌・目次抄(図書館所蔵情報)(CiNii)
京都大学学術出版会(公式note):刊行案内・目次抄・著者プロフィール(2025/4/25)(note(ノート))
Anna Lowenhaupt Tsing(2015)『The Mushroom at the End of the World: On the Possibility of Life in Capitalist Ruins』Princeton UP.(アッセンブリッジ概念の参照・解説)(シカゴ大学出版ジャーナル)
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付記:本ノートは序章のみの精読に基づく「厳密モード」版です。以降の各章(猟犬・猿害・養蜂・ジビエ)の具体例は、本論でさらに厚みを増します。続いて各章ごとの精読ノートも作成予定。
