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家事で深まる感謝の輪

 家事はことごとくやる男、家事親父。
 名前の由来は言うまでもなく『地震、雷、火事、親父』、妻と子供を愛し、自分を愛する男、私が家事親父です。

 人生で避けられないものの一つに”死”がありますが、平民にとって家事もまた避けることのできないものです。
 私の名前にも入っている”家事”との付き合い方について書きます。


 我が家の家事事情

 我が家は結婚前から妻が料理は苦手だと言っていたこともあって、家事に関しては「できるほうがやろうぜ」的なスタンスでした。
 そうは言いながらも、家に帰ったら妻が

「ご飯にする?お風呂にする?」

 って聞いてくれるんだろうなあとか思いながら結婚して5年経過する頃、ほぼ毎日自分が料理をしていました。

 家事が嫌いかと問われると面倒くさいと思うことがある一方、家庭に貢献していることが実感できるいい機会だとも思っています。仕事でお金を稼いで無事に家に帰るというのも大いに家庭へ貢献なのでしょうけれども、手元に現金が来るわけではありませんし、キャッシュレス決済が普及していますのでお金に関わる貢献は実感しにくいのが私の感覚です。

 家事を通じて家庭への貢献を感じ、家族から感謝をされ、自己肯定感が満たされる毎日ですが、自分がやらなきゃ誰がやるという責任感に掻き立てられ日々を送っている中で、それを支えてくれる妻や家電の存在は心強く、こちらも強い感謝の念と、誰かと支え合って生きているんだという共生を実感します。



自分がやることが当たり前

 基本的に人は一人で生きていくことができるようになるべきだと私は考えています。
 そういう人が増えていく中で、一人前の大人達が支え合って得意不得意を埋め合っていくのが良い社会だと信じています。一人前の人間が減ると国が弱くなり、増えると強くなります。

 薬物やアルコールに限らず、依存は人を殺します。未成年はまだ人として未熟だという線引ですから仕方ないとして、一端の大人になるということは、他社に依存することなく一人で最低限人間らしい生活ができるようになることではないでしょうか。稼いで、身の回りのことをこなす。それが最低限のラインです。それが”一人前”です。
 自分が主体となってすべてをやるという覚悟を持って生きていく中で、自分がやることが当たり前だと理解して生きていく中で、手伝ってくれたり肩代わりしてくれたりすると感謝が生まれます。
 我々は誰かに助けられて生きているということを忘れがちです。
 それを理解できれば感謝もできますが、根本として一人で生きていく能力を身につけ、その能力で生きていくということができないと、感謝は上辺だけのものになってしまうと私は考えています。



 家事は感謝の集合体

 男は生まれながらに親の行う家事に甘え続け、それが当たり前になっているがゆえに、感謝の気持が湧き出てきません。今でこそ男子も家事育児に参加する時代ですが、平成に至っても家事は女性のするものだと役割が固定されていたように感じます。
 成人するかしないかで独り立ちして、一人暮らしを始めることはその大変さを味わう非常にいい機会であるものの、外食やコンビニという選択肢もあるので自炊する意識は昔に比してやや薄れており、やはり感謝の度合いはそこまで高くありません。
 結婚してからは金銭面や衛生面など2人の価値観をすり合わせながら料理を始めとした家事を自らやることで、自分と相手の得意不得意が見えてきて、自分の苦手分野を相手が背負ってくれることで感謝が生まれていきます。
 しかし、それらも慣れてくると徐々にありがたみが薄れてきます。自分ができないこと、苦手だったことを忘れて偉そうに亭主関白キメる友人もいます。 

 私も家事親父と嘯いていますが、すべての家事を365日完璧にこなしているわけではなく、食器洗いも洗濯物干しも私がバタバタしている時は妻がやってくれています。洗濯や床掃除は料理の合間にロボットたちがやってくれます。また出張が多いので、私がいない間の家事は全部妻がやってくれます。あとお掃除ロボット。
 
 私は基本的に何でも一人でできますし、自分でやるもんだと思っていますが、それを肩代わりしてくれる妻とお掃除ロボットたちに心より感謝しています。
 「有り難い」という感覚を忘れないようにするために、男女問わず家事をするべきですし、収入を得るべきです。



 家事と仕事の共通点

 仕事も家事も同じで、こだわりを持って取り組むことで、日常の単なる作業が充実した時間となります。同じ”やる”なら楽しんでやらないともったいないと思います。
 会社で仕事に納得いかず働かされているなら”社畜”ですし、家庭での家事に充実感を得られていなければ”家畜”です。家事に飼われないことは重要です。
 家事はお互いの支え合いで成り立ちますが、やらなかった場合お互いに「お前やれよ⋯」的な空気ができてどんどん雰囲気が悪くなるのは想像に難くないことで、これもまた職場に共通している事項であると言えそうです。
 こだわりを持って主体的に物事を進めて行くこと。家庭というビッグプロジェクトを我々が回しているのです。



 背負うのが男

 仕事でも家事でも最悪自分がやらなくてもいい、自分ではやりたくないなと思っていることを可能な限り進んでやる、背負ってやるのがかっこいいんじゃないかなと思います。
 「やってあげてる」と思うからしんどいところもあります。自分のためにやるだけの話です。
 所詮は自己満足のかっこつけです。他人がどう思うかより自分がどう思うかなので、自分がかっこいいとか、誰かに貢献できているかと思えれば、それだけで人生が充実します。人生を充実させる以外に我々の生きる意味はありません。それは自己の充実と社会への貢献でしか為し得ません。



 女性は女性にしか負えない役割を負う

 女性だけが持つ”産む”という機能は、男が持たない、生物にとってかけがえのないものです。男はそういった意味で一生一人前にはなれないかもしれません。
 人として栄えていくために、女性の負担を負ってあげるというのが男の役割でもあると考えます。その点での線引きでは、女性を家庭においておかなくてはならないというところから、稼いでくるというのは男が背負うべきものだと考えます。女性にしかできない尊いことを全うしてもらうためにも、男は身を張らねばならないのです。
 金も稼いで家事もやって、家庭に貢献しようではないですか。

 現代の女性はといえば、人類反映のために重大な役割を背負った上に、お金も稼いで家事までやっています。出生率は低下の一方ですが、出産している女性は背負いすぎなのでもっと男に背負わせてもいいと思います。
 ただ女性はそれでつけあがらないことが大事です。男も女も慎ましく生きることが望ましく、慎ましい人は大切に扱われます。

 

 

 家事は社会貢献の第一歩

 「俺が背負っている」と勝手に勘違いしてカッコつけて、家とはいえ小さな社会に貢献して、家事を通じて感謝をして感謝をされる日々。
 良いものです。

 以前の記事で「家事で自己肯定感は上がらない」と断言しましたが、マインドセット次第ということをここで書き足しておきます。

 家事の作業だけでは自己肯定感は上がりませんが、自分が他者に対して貢献できたという結果を勘違いでも受け取ることができれば、家事でも自己肯定感は上がります。

 本来家事は全部自分でやるべきことなので、家事の分担というのはやらないといけないことを肩代わりしてもらっているだけです。やってくれることのありがたみを理解しているため、感謝の量とやってくれる人への貢献意欲は比例します。
 その感覚が理解できれば、家事に限らず、すべての職業、すべての生き物に大いに感謝ができると思います。


 家事は視野拡大のきっかけ、人生充実の入口です。たしかに毎日時間はかかりますが、得られるものは本当に大きいです。

 日本の未来を生んだ妻と、日本の未来を背負う子どもたちのために私は今日も家事をします。
 日本を支える私マジでかっこよすぎです。惚れるわ。

 自信神なり家事親父でした。

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