日本国憲法と組織の暗黙のルール

英語教室を運営していた時、最大の人数は三人まで、と決めていた。
わたしが、アイコンタクトでき、その日の子供達と対話でき、スムーズに(311もありましたし)避難をわたし一人で促す安全性も考えて。

通知表、「あゆみ」が出る時や定期テストの時は、わたしはまるで、「モンペ級だ。」」

「Rちゃん、これとこれの答えあってるわよ?先生に辞書持っていって言いなさい。」
結局、一つはマルになり、一つは「バツ」のままだった。

その理由は、
「授業で教えていない、単語の意味はバツ」
わたしは、唖然とした。「なんのための教育だよ。この教育の先には何があるんだよ?」と。

「Sくん、あなた定期テスト、全部90点以上だったわよね?提出物出した?何かあった?(成績表)で4という評価は妥当ではない。」というと、
Sくんは、どうやら学校の英語の先生と合わなかったようで、
「あ、これは僕は納得しております。その先生が嫌いで提出物を出しませんでした。」
と言った。
何せ小学校3年生の時から見てる真面目でユーモアのあるSくん。
わたしは一言、「理解しました。」と若干「間」はあったものの、答えた。
(高校入試に不利にならないといいけれど、、、)
と不安は正直残った。

何せ、大事でしょう?内申書。
これが少しでも低いと、入試で高い点数取っても、このデスノート、いや、教務手帳に刻まれた彼の「4」という「不当な評価」は不利なのだ。

定期テストで、国語と英語にうるさいわたしは、何か問題、疑問があると、生徒に、
「先生に再度説明して確認してもらって?」
という。

その時、必ずいう言葉がある。

「先生に敬意を持って『下手(したで)』にやんわりね。」と。
議論があっても、相手に敬意は必要だ。
しかし時に、わたしのかわいい生徒は、先生よりも英語の発音が綺麗だったり、文法もテキストの文法よりもより「口語的な文調」も知っていることもあり、ある部分に関しては生徒の方が上回る時がある。
そんなこともありますので、「先生に生意気な態度だと、評価を下げられるよ。」という意味を込めて言う。

あるとき、アメリカと日本のミックスの女の子Jちゃんが、学校のテストであっているものにバツがつけられた。
何度も日本語で議論したそうだ。それでも、「学校で教えてないから」という理由でバツのままだった。
自宅に帰り悶々とし、ついに彼女は先生に勢い余って「英語」で質問してしまったそうだ。

先生は、全く聞き取れず呆然としたそうだ。

保護者は、その一連の行動に関し、複雑そうな心境で、
「その基準はなんなんだろうね。」
と聞いてきた。

わたしは、「まあ、それが日本人が6年間かけても英語が話せない理由の一つなのかもしれませんね。」
とだけ答えた。

しかし、、、これが「自分ごと」になると、先日の息子のテストのことでカッとなって、
「先生、日本の英語教育のゴールとはなんですか?」
と聞いてしまった。

先生は電話先で「おっしゃる通りです。」と答えていた。
わかってるよ。先生も「わたし側」の人間でしょう?
わかってても、それが「ルール」なんでしょう?と。

日本国憲法があっても、学校という組織ができれば「組織のルール」が独り歩きし始め、皆、それを疑問を持たずに従う。
だったら「日本国憲法」って確かに国家が暴走しないためにあるわけだけど、、、
学校は暴走させてもいいの?

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