夜汽車(上野〜旭川)
Jikkoがおくる新古噺(18)
お正月もあっという間に過ぎてしまいましたが皆さんはどのように過ごされましたか? 最近はNHKの「紅白」や初詣で大晦日や年明けを感じますが年々新年の過ごし方が薄らいで行くのは私だけでしょうか。
1970年ごろの日本は中流家庭が多く、家族でお正月を迎える文化が今以上に強かったような気がします、年越し用のお節作りや餅つき、新年の初詣、そしてお年玉。家族で遊ぶ百人一首やトランプ遊び。
雪国で育った私はしんしんと降る雪の中でのお正月が待ち遠しくて楽しかった記憶しかありません。まさに「も〜い〜くつ寝るとお正月〜♪」気分でした。そんなお正月は今では遠い過去の話になってしまいました。
年末になると映画「駅 STATION」倉本聰 脚本、降旗康男 監督の名作を思い出されます。増毛の小さな居酒屋「桐子」での倍賞千恵子と高倉健が寄り添って見入るテレビに八代亜紀の「舟唄」が流れる名シーンです。雪国を知り尽くした倉本聰ならではの冬の居酒屋の情景がリアルに伝わってきます。(1981年11月公開・東宝)
*倉本聰(脚本家)「北の国から」「前略おふくろ様」「たとえば、愛」など、東京都出身、富良野市に在住
カラオケは最近は行かなくなりましたが、やはり石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」が定番でした。この楽曲や加山雄三の「旅人よ」は故郷をしみじみ思い起こし、気分が良いと時々口ずさんでいる自分がいます。
大晦日にちなんだ東京へ出たての頃を綴ったブログを再録します。
夜汽車
「大晦日の前日、上野発青森行き21時18分発の夜行急行列車「八甲田」は通路やデッキいっぱいに乗客を乗せて、鉄路を蹴るように静かに北へ進路を向けて走り出した。上野から旭川まで乗り換え時間を含めると約26時間余り、貧乏学生だった私は北海道ワイド周遊券を片手に自由席に乗りこんだ。

昼間の写真をイラスト化して夜景に生成(*参考にウィキペディア画像を拝借)
(ChatGPT+Geminiで作成)

山並みや海を追加した雪景色を夜景に生成(*参考にウィキペディア画像を拝借)
(ChatGPT+Geminiで作成)

上野から青森まで約12時間はかなり過酷でした。
(ChatGPT+Geminiで作成)
2~3時間前から並ばなければ席を確保できず、あげくは通路に新聞紙を敷いて、出稼ぎを終えて青森へ帰るオジサンがたの東北訛りの苦労話を聞かされながら北へ北へ、席に座れても直角の固い椅子で青森までそのままでは正直ちょっときつかった。途中停車してデッキのドアが開くたびに寒風や粉雪が車内に吹き込み、寒さと猥雑さと睡眠不足で疲労困憊の帰省であった。

山並みや海を追加して雪景色を生成(*参考にウィキペディア画像を拝借)
(ChatGPT+Geminiで作成)
仙台あたりから積雪が増え、青森はまさに雪国。明け方出航の青森発函館行き青函連絡船「摩周丸」の2等席は畳敷きで唯一足を伸ばせ、4時間余りしばしの開放感を得ることができた。毛布にくるまり熟睡するもの、友達と酒を酌み交わすもの、皆大晦日を故郷で過ごせる安堵感もあり高揚していた。
私は「ガロ」や「少年マガジン」を大事そうにボストンバックにしのばせ、兄から譲り受けたCanonのキャノネットで船上の風景を捉えていた。

雪景色に生成(*参考にウィキペディア画像を拝借)
(ChatGPT+Geminiで作成)
鮭が遡上するように親元で正月を迎えるのが一番楽しい頃だった。母親が作る料理は日本一おいしいと思っていたし、何より家族が皆元気に揃うのは幸福なひと時であった。
この話を学生に話すと、どこか外国へでも帰省するかの様で信じられなさそうな顔つきになった(この時は大阪のデザイン専門学校の漫画講師を従事)、フランス人でグルノーブル出身のJは「26時間ですか?直行便だと16時間で実家へ帰れますよ」と笑いながら話した。今でこそ東京・羽田から旭川まで飛行機で1時間45分ほどで行けるが、その当時はお金もなく、ただただ時間だけが無闇に有り余っていたので逆に時間をかけて我が実家に帰ると「ようやくたどり着いた」と感動を覚えたものだ。
その後も懲りずに何度か夜行の急行列車で帰省した。
「故郷は遠くにありて思うもの」(室生犀星)の冒頭にある詩の一説だが、この故郷は今はなく、心の内に納めている。
お正月になると夜行列車と母のお正月料理を思い出す。その母も昨年1月他界した。 2010.1.5」
*上野から旭川までの時間、青函連絡船の船名などは若干記憶違いがあるかもしれません。
まとめ
当時、急行「八甲田」は単なる帰省列車としての認識しかありませんでした。今回あらためてネットで調べて見ましたら急行「八甲田」を徹底的に調べている方が多くいらっしゃいました。
その一人で「Author:風来梨」さんのブログによりますと『1961年10月に運行を開始した上野~青森を東北本線経由で結ぶ客車急行で、1993年12月のダイヤ改正まで定期列車として運行していた列車である。列車名は、東北の名峰・八甲田山(連山)から。』とあります。
*「八甲田」を牽引していた車両はEF65-1000番台の他に年代や時期により
異なるようで、イメージイラストはEF65-1000番台を参考にしました。
ブログ「夜汽車」のイラストは生成AIのChatGPTとGeminiに手助けしてもらいました。いくらAIといえど一発でイメージ通りの生成は難しく二つの生成AIを何度も組み合わせたお陰で納得のいくものが出来ました。
特に昼と夜や季節的な生成は得意な様です。今年もこれらの相棒と色々試して想定したものに近づけたいです。

この時点では海辺を追加したイラストに生成(*参考にウィキペディア画像を拝借)
(ChatGPT+Geminiで作成)
最後に余談ですが神戸三宮の「さんちか」をブラついていましたら「北海道物産展」が催しされていて早速「いかごはん(当時は「いかめし」)」と「よいとまけ」を購入しました、「いかごはん(いかめし)」は函館本線駒ヶ岳の麓「森町駅」に停車した時に良く買って食べた思い出深い一品です、また「よいとまけ」は苫小牧周辺でしか採れないハスカップの果肉が入ったロールケーキで王子製紙の原料である丸太をイメージしたそうで、工場で丸太を上げ下ろす際に「よいとォまいたァ、よいとォまいたァ」の掛け声から菓子名がついたそうです。苫小牧は母親の実家で子供の頃に母の兄弟がよくお土産に持ってきてくれた大好物のお菓子です。


北海道の友人から届いた年賀状では皆さん雪かきで「腰がイタイ」と悲痛な文言でした。確かに毎朝家の前の雪かきは子供の頃も大変でしたがまだサラッとしていてはねやすかったです、近年温暖化で水分が多く重たくなっているので大変だと思います。瀬戸内の温暖な気候に長年慣れ親しんで住んでいると北国の厳しい冬の生活にはもう戻れないなぁと思う今日この頃です。
長くなりました、お読みいただきありがとうございました。
