短編ミステリー「ホワイトキューブの悪魔」 第6話
第1話はこちらhttps://note.com/why_narab/n/n05f1b885d6cf
解決編その2。次で最後になります。
6
二人の視線に晒された赤井坂が、喉の奥でひゅっという音を鳴らした。
「僕が犯人だって? 冗談じゃない。さっきと話が違うじゃないですか」
「ええ、犯人がわたし達の中にはいないなんて嘘っぱちです。……あなたは少し前、事件発生時の状況をまとめてくれましたね。あの話は少しおかしかった。暗闇の中で響いた音について、『もみ合いのような音がした気もします』だなんて。あれはその程度の音じゃありませんでしたよ」
赤井坂が苦々しげに唇を噛む。
その仕草が演技でないことを祈りつつ、眞維子は追及を続けた。
「初めに第二展示室へ入ったとき、赤井坂さんはいちばん後ろにいました。……あの嫌になるほど素晴らしい展示を前にして、背後の彼の動向に気を配る人なんていなかったでしょう。階段上の風間さんにしたって天井を見上げていた。つまり部屋に入ってから暗闇が訪れるまでの間、誰も赤井坂さんの姿を見ることはなかったんです」
「どうも。そんな風に展示をお褒めいただいて、ヤスミンもきっと喜んでいますよ」
……それはあなたのお姉さんのことですか?
微笑みながら言った風間に、今すぐそう尋ねたい気持ちを堪える。
「えっと。要するに照明が落ちたとき、赤井坂さんは第二展示室にいなかったんです。だからあの音のことを知らなかった。事件発生時の状況に関する彼の説明は、わたし達の会話をもとに考えた出まかせだった……よくもまあ上手く話を合わせられましたね。感心しますよ」
反論は飛んでこない。眞維子はここぞとばかりに畳みかけた。
「何せ、自分が殺したはずの女性が再び現れたんです。あのとき赤井坂さんが覚えた恐怖はいかほどだったか。……彼はそれでパニックを起こし、第二展示室を飛び出しました。そのまま部屋の外で立ち尽くしていたところ、上津さんの叫び声が聞こえ、驚いて部屋に戻った。そうしたら未沙樹さんの死体が横たわっていて……訳もわからないまま、まずは自分の不在を誤魔化そうと積極的な行動に出てみた。こんなところですか?」
「いい加減にしてください。物音の捉え方があなたと違ったくらいでそんなの無茶苦茶だ。僕はずっとあの部屋にいましたよ」
「赤井坂さんのおかしな発言はもうひとつありますよ。あなた、昨冬の展示を三回も見に行ったにもかかわらず、『あんなに魅力的な人物画を見たのは初めて』なんてでたらめを言いましたよね」
「あれは言葉のあやです。そんな嘘をついて何になるっていうんですか。ほどほどにしないと訴えますよ」
「あら。でも今わたしが恐ろしいのは……赤井坂さんに訴えられることなどではなく、この茶番の果てに風間さんは何をするつもりだったのかということです」
「私が? ……何をするつもりだとお思いなのですか」
「実はわたし、初めから疑問に思っていたんです。凶器はどこへ行ったのかと」
風間が眉をぴくりと動かした。
眞維子は自分の恐ろしい想像が真実となる可能性を考えて、息をのむ。
「単に見つかっていないだけかもしれません。ですがもし、死体とともに凶器も風間さんが発見していたとすれば……警察に引き渡す以外の、何らかの用途のために今も隠し持っているとすれば……いったい、何に使うつもりなのでしょう?」
風間の手が椅子の下に伸び、そこに置かれた鞄から銅製の彫刻作品を取り出した。
眞維子には一目で分かった。あれは『習作Ⅰ』だ。
「凶器はこの『習作Ⅰ』、昨冬の展示で盗まれた作品でした。私はこれが姉の遺体のそばに転がっているのを見て、犯人はあなた方の中にいると確信したのです。通りすがりの不審者の犯行などではありません」
風間は苦々しげに息を吐いた。
「当時の防犯カメラの映像や来場時刻、ついでに――成河様とは特段何もなかったかと思いますが――過去の諸事情。そんな様々な要素からピックアップした窃盗犯候補の四人、それがあなた方でした。このイベントを催した目的は、ヤスミンの正体を探ろうとする人々への牽制のためだけではありません。そんな屈折した愛好家の皆様を集め、『習作Ⅰ』を返却してもらえるよう説得する機会とできないかと思ったのです。犯人にもし罪の意識があるなら、あの展示を再現することで何か考えてくれるかもしれないと思って……能天気な話ですがね」
屈折した愛好家。酷い言い草だったが、その通りだと眞維子は苦笑する。
「屈折してはいますが、わたし達のような人間こそ最も熱心なファンかもしれませんね。だからこそ、軽々しくヤスミンの正体を触れ回るなんてこと、自分なら絶対しないと断言できます」
「私もそう思いましたので、馬鹿馬鹿しいと思いつつアイデアを採用してしまいました。皆様の様子次第では姉も登場する予定だったため、彼女も館内で待機していたのですが……展示の準備中に痺れを切らしたのか、散歩をしてくると言って美術館を出ていきました。それが最後のやりとりです」
姉の死を悼むようにゆったりと語った風間は、手袋をはめた右手で『習作Ⅰ』――姉の命を奪った凶器を握り締めた。
眞維子は確信する。
風間の真の目的は復讐だと――姉の命を奪った凶器で、殺人犯を姉と同じ目に遭わせることにあると。
「……改めて伺います。風間さん、あなたは一体何をするつもりなのですか?」
赤井坂が後ずさりする。眞維子は彼の退路をふさぐように扉の前に陣取った。
「お姉さんはあなたにとって大切な、守りたい人だったんですよね? 女装してあの階段の上に立つなんて、はたから見れば馬鹿馬鹿しい行為をやってのけるほどに。しかもあなたはそこから飛び降りた。事件があの瞬間に起きたと印象づけるためなら、死体を投げ落としても良かったのに。あれはきっと、これ以上お姉さんの体を傷つけたくなかったから……」
「いい加減にしろよ。わざわざそんな煽るような真似をして」
怒りからか恐怖からか、赤井坂が握った拳を震わせる。
眞維子が構わず言葉を続けようとしたところ、「やめろ。赤井坂」という、これまでとはトーンの異なる風間の声にかき消された。
控え室に風間の咳払いが響く。
「質問を返して恐縮なのですが、私からもひとつ、成河様にお尋ねしたいことがあります。……どうして私が凶器を持っていると思ったのですか?」
「え? 勘ですかね。単に凶器がどこにも見当たらなかったから」
「でも、転落死に凶器なんて元々ありませんよ。あえて言えば階段ですか」
眞維子は目を瞬かせた。一瞬だけ戸惑って、すぐに言外の意を理解する。
「成河様。あなたは凶器の行方について、ずっと疑問に思っていたそうですが……皆様は何かが落下するような音を聞いた後、階段の脇に倒れた姉の遺体を発見したはずですよね。それに死亡確認をしたそこの彼は、姉が撲殺されたなどとは一言も言っていません。『あの高さの階段をうっかり転がり落ちたとして、こうはならない』『恐らくは誰かに殺されたのでしょう』……それだけです」
そこの彼こと赤井坂が、調子を合わせてこくこく頷く。
「この状況、姉は階段の側面から真っ逆さまに落とされ、頭を打って死んだのだと思うのが普通ではありませんか? 実際、展示室では誰も凶器の話などしていませんでした」
眞維子は何か反論しようとしたが、そのすべを持ち合わせていなかった。
「ちなみに……あなたはそこの赤井坂が犯人だと言いましたが、それはあり得ません。私は姉と最後のやりとりをしてから、その遺体を発見するまでの間、ずっと彼と一緒にいたからです。仮に凶器が『習作Ⅰ』でなく、この世の誰もが姉を殺した容疑者になりうる状況でも、彼だけは無実だと断言できます」
駄目押しとばかりに風間がきっぱり告げる。
「彼こそがもうひとりのスタッフです。そして犯人は成河眞維子様、あなたですね?」
