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短編ミステリー「ホワイトキューブの悪魔」 第7話(完結)

第1話はこちらhttps://note.com/why_narab/n/n05f1b885d6cf

最終話です。

7

「うそ。でも……」
 眞維子は呆然と呟く。

「一区切りついたか? ……辰樹。僕からもお前に聞きたいことがあるんだ」
「後にしてくれないかな」
「さっきも聞いたのに無視しただろ。飛び降りたって本当か? どうしてそんなことしたんだよ。それに、凶器が出てこないことは僕だって不思議に思っていたんだ。打ち合わせじゃあ、暗闇の中立てるのは本当にもみ合い程度の音だったし、『習作Ⅰ』は未沙樹さんの遺体のそばに置いておくはずだったろ」
「どっちも単なるアドリブだよ。結果としてはうまくいったじゃないか」
 二人の親しげな話しぶりに、眞維子は自分の決断が大きな過ちだったことを察する。
「勝手なことばかりしないでくれ。あと、僕の紹介パートみたいなものが突然始まったときは何事かと思ったぞ。誰が横浜勤務だ」
「君がうまく医者になりきれているかが心配になってね」
「余計なお世話だ。『しかし昨年……』の続きは考えていたのか?」
「考えちゃいなかったな。止めてくれなかったらどうしようかと思った」

 風間は眞維子に向き直り、「失礼」と軽く頭を下げた。
「混乱した犯人から自白に等しい発言が飛び出すことを期待して、私達はこの茶番を仕組みました。あなたの言う通りですよ。それがうまくいかなかったときのことを考えて、赤井坂に疑いが向くよう誘導しておこうと思ったんです。それに乗って彼を犯人に仕立て上げようとする人がいれば、十中八九その人こそが真犯人ですからね」
「お前、そんな荒っぽい言いがかりをつけるために」
 文句を言いかけた赤井坂を止め、妙に明るい声色と丁寧な口調で続ける。
「あなたは適当な疑いをでっち上げたつもりだったのでしょうが……照明が消える前、赤井坂は本当に部屋を出ていたんです。逃げるためではなく、管理事務室で照明と放送の操作を行うために。だから、落下音のことはマイクを通して知っていたはずなんですが」
「正確な大きさは分からなかったけど、妙な音がしたのは知っていたさ。……お前が打ち合わせで『もみ合いの音を立てる』なんて言っていたから、そういうことにしておこうと思ったんだよ」

 半ば諦念に包まれながらも、平静を取り戻しつつあった眞維子はようやく口を開いた。
「でも……照明が点いた後に初めて風間さんの声がしたとき、赤井坂さんは第二展示室内にいたじゃないですか。自分の発言に合わせて音声を流すなんて、不可能だったはずです」
「逆ですよ、僕の発言の方を音声に合わせたんです。照明を点けると同時に無音から始まる放送を流し、第二展示室に戻った後、BGMの転調を合図に台詞を言い始めれば辰樹との会話が成立する。そういう手筈になっていました」
 これまでのいかにも怪しく小心そうな様は演技だとばかりに、赤井坂本人がすらすらと種明かしをする。
「あなたさっき、嬉々として辰樹のことを煽っていましたよね。僕を犯人だということにして、彼に復讐をさせて……それで事件をうやむやにしてしまうつもりだったんですか? そんなことで誤魔化せるほど警察は無能じゃないでしょうし、辰樹だって馬鹿じゃありませんよ。馬鹿みたいな芝居はしていましたけど」
「馬鹿みたいって。犯人を見つけないと火をつけるぞ、のくだりなんかは打ち合わせ通りだったろ」
「他でのアドリブが多すぎる」
「色々と迷惑をかけたのは謝るけど、『習作Ⅰ』についてのアドリブは我ながらファインプレーだったと思うよ。……この作品は、芝居の小道具どころじゃなく重要な役目を果たしそうなんだ」
 風間は『習作Ⅰ』をそっと床に置き、鞄から一台のスマートフォンを取り出した。
「この成河さんのスマートフォンの指紋と、『習作Ⅰ』に付着した指紋が一致したのさ」
「指紋? そんなのどうやって取ったんだ」
「アイシャドウの粉で取れるんだよ。君達が捜査ごっこに勤しんでいる間、ネットで調べてみて知った」

 いよいよ観念した眞維子は、呆然と自身の行動を思い返した。

 地下展示室の入口前で風間に声を掛けられる、二、三時間ほど前のことだ。
 誰よりも早くその場に着いた眞維子は、高鳴る鼓動を必死に抑えていた。
 昨冬以来彼女は、衝動的に盗んでしまった『習作Ⅰ』を、何とか返却しようと試みていた。しかし実行できず、ただ作品を見て帰る。ヤスミンの展示を訪れるたびにその行動を繰り返したものだ。
 が、今回は違う。何せヤスミン本人に会えるのだから。今度こそ『習作Ⅰ』を返却し、ヤスミンへの執着から解放されてみせる。
 そう誓う眞維子の耳に、カツカツという硬質な――ハイヒールの足音が聞こえた。

 ……その後のことはよく覚えていない。ただひとつ、ひどく落胆したことは確かだ。
 例の絵のモデルを前にして、眞維子は動揺した。『習作Ⅰ』のことなど忘れ、あなたがヤスミンですかとまず尋ねた。モデルの女は少し迷う様子を見せたが、結局はにかみながら『そうです』と答えた。その笑顔はあまりに愛らしくて人懐っこくて、絵のイメージにも、いつしか眞維子の中で神格化されていたヤスミンのイメージにもそぐわなかった。
 落胆したのは多分そのせいだ。それだけでもないが。確かその後、作品制作に関する質問をいくつかした気がする。けれどどの答えもしっくり来なくて、眞維子の手はいつしか、鞄の中の『習作Ⅰ』に触れ――
 あれ、結構覚えてるね? でも、指紋は確かに拭き取ったと思ったのになぁ……

「あの、成河さん。大人しく罪を認めてくれませんか? 辰樹がアイシャドウをふりまくなんて暴挙に出たせいで、大事な証拠は証拠として認められないかもしれませんし」
「はあ。もしかしてこの会話、録音でもされてるんですか。従うと思います?」
「……言っておきますが、僕は初めからあなたが犯人だと思っていましたよ。あなたからは死者への敬意を全く感じられませんでしたから。ずっと、未沙樹さんの遺体を死体呼ばわりして」
 ひどい決めつけだと眞維子はげんなりしたが、この赤井坂の言い分――死者への敬意を最も持たない人間が犯人だという、それはある意味真理かもしれない。論理も何も無視して、見るべき答えだけを見ているような……

 突如、ひらめきが舞い降りた。
 全くもってただの想像だ。しかし何故か真実だと確信できた。
 赤井坂の表情や声色、態度のひとつひとつが、その想像を補強する材料に思えてならなかった。
「……いえ、分かりました。認めます。わたしが未沙樹さんを殺しました」
 赤井坂が目を見開き、風間も切れ長の目をやや丸くする。

「だからあなたもひとつ認めてください。あなたがヤスミンなんじゃないですか? 赤井坂さん」
 赤井坂のくたびれたシャツ目がけて、眞維子は手を突き出した。
「『リード』は赤に由来する英語圏の苗字。以前調べたんです。赤井坂の赤から来たんですよね? じゃあヤスミンはどこから? あなたってどう見ても日本人だし男性なのに。それにわたし、未沙樹さんの絵を初めて見たとき、モデルはヤスミン本人かヤスミンと凄く親しい人だと直感したんです。赤井坂さん、あなたもしかして未沙樹さんの恋人だったんじゃないですか」
 だとすれば、案外この茶番の首謀者は風間ではなく赤井坂なのではないか。
 何を、と言いかけた赤井坂の歪んだ表情が、眞維子の思い込みを補強した。
「認めてくださいよ。駄目ですか? わたしは認めましたよ、自分が犯人だと。美術館の前であの人と出会ったわたしは、あの人がヤスミンを名乗ったことにがっかりしました。何が原因だったのかは自分でもよく分からないんです。いろいろ話をするうち、いつの間にかあの人の頭を『習作Ⅰ』で殴りつけていて。慌てて木陰に死体と凶器を隠し、一旦はその場を離れました。だけどイベントに姿を見せないと怪しまれるし、それより何より展示を見たくて仕方なかったから、結局戻ってきて……」
「分かった。認めてくれたならもういい」
 息継ぎもせず語る眞維子の剣幕にたじろいだのか、話を打ち切ろうとする。が、ついに念願のヤスミンとの対面を果たせたと思っている眞維子はめげない。
 ……念願? それでは自分が熱狂的なファンのようだと一瞬冷静になるが、恋の始まりのような胸の高鳴りを聞いては、認めざるを得なかった。
 そうだ、自分はずっとヤスミンに心酔していたのだ。だからこそあの、思いの外可愛らしくて親しみやすそうで、顔出しなんかすればアイドル扱いでメディアに取り上げられてしまいそうな――そのうちどこかの社長か俳優とでも結婚して画家は引退してしまいそうな――女性が、その正体だとはどうしても認められなかった。
 眞維子は思わず、赤井坂のシャツの襟を千切れそうなほど強く掴んで叫んだ。
「あなたが認めてくれるまで!」

「赤井坂、君はこれ以上話さないほうがいい。無駄に刺激するだけだ」
「悪い。僕の好きなようにさせてくれ」
 赤井坂は眞維子の目を真っ直ぐ見据え、宣言する。
「そうさ、その通りだよ。悔しいか? 粘着するほど嫌いな画家の代わりに関係ない女性を殺してしまった上、そいつの猿芝居に引っ掛かって自供させられるなんて」
「ヤスミンが……わたしを引っ掛けるために、あんな大がかりな演出を……」
 赤井坂はぎこちなく嘲るような笑みを浮かべ、「ああ」と頷く。しかし眞維子は微塵も悔しくなかった。「……最高」と、そう口にしていた自分自身が信じられなかった。
 赤井坂の目が見開かれ、やがて彼の手は――恐らく本人も気づかぬうちに――『習作Ⅰ』へと伸びていく。眞維子は肌が粟立つのを感じた。恐怖ではなく、きっと興奮から。

「赤井坂」
 ふと、風間の冷静な声が聞こえた。
「どうも熱くなっているようだから、関係ない話をするよ。……俺はさっき、本当にあの階段から飛び降りたんだ。未だに全身が痛くて仕方ない。もしかしたらどこか折れてるかも」
「はあ? 本当に関係ないな。お前まさか、それでずっと座りっぱなしなのか」
 我に返ったらしい赤井坂が、眉間に皺を寄せて風間に向き直る。
「実はそう。ということで、悪いけど俺はこの展示の片付けを手伝えそうにないんだよ。だから君の大切な……姉さんの絵も含めた作品達は、君が自分で片付けてくれ。警察には任せるべきじゃないだろうな。偏見だけど、雑な扱いをされそうだ」
 回りくどい台詞の意図をすぐに理解した眞維子は、感嘆の声を上げた。
「風間さん、あなた……それを言うために? 復讐なんて気を起こすかもしれない赤井坂さんを止めるために、あの階段から飛び降りて無駄な怪我をしたんですか。どうかしてる。でもわたし、少しだけあなたの気持ちが分かるかもしれません」
「そうですか。なら逆に、私にもあなたの気持ちが分かるかもしれませんね。……何がいちばん手痛い意趣返しになるか、ということも」
 眞維子は首を傾げた。
「成河様。私達には、三人中二人にあらぬ疑いをかけた上、このイベントへ付き合わせることへの負い目がありました。だからこそ禍根を忘れるほどの展示を作ろうと、そこの彼と知恵を絞りました」
「それがイベントのお知らせにあった『特別な展示』ですか。あの第二展示室の……」
「いいえ、あのような使い回しではありません。完全新規の、ヤスミン・リードの最高傑作といっていい展示が今、その隣の第三展示室に広がっています」
「それ、わたしが見せてもらうことって」
「勿論できません」
 そんなシンプルな風間の一言が、眞維子にとっては心臓を刃物で刺されるような――あるいは、頭を鈍器で殴りつけられるような破壊力を持っていた。

「ああ、それから……『習作Ⅰ』からあなたの指紋が出たというのは嘘です。あれは証拠品以前にヤスミンの作品なのですから、勝手にラメを足すなんて無粋な真似はしません。あなたは赤の塗装を随分追加してくれたようですが……私は彼の、第一のファンなので」

    *

 その後風間は、すっかり大人しくなった殺人犯の監視を赤井坂に任せ、扉の外で聞き耳を立てていたらしい上津と高柳に重々謝罪を行った。一切他言しないよう約束させた上で、改めてヤスミンの正体を明かしもした。
 不安はあったが、これで両名はヤスミンの秘密を握ったことになる。それと同時に手にした優越感が、二人を裏切らせない縛りとなることを信じていた。

 首尾良く特別展示への案内を終え、会話の録音データと共に殺人犯・成河眞維子を警察へと引き渡した風間は、自らもまた同行に応じようとしていた。
 そのときできたわずかな間隙に、長年の相棒と言葉を交わす機会を得る。
「まだ信じられないな。姉さんが死んだことも、自分達がやったことも」
 本当に、信じられなかった。
 ああも馬鹿馬鹿しい、動機ともいえない理由で人を殺せる人間がいることも、今日自分自身が取った行動の数々も。

 姉の遺体とその傍に転がる『習作Ⅰ』を発見したとき、犯人があの三人の中にいることはすぐに分かった。
 風間は当然警察に通報しようとした。しかし赤井坂がそれを止め、自分達で犯人を暴いてやろうと言い出した。
 ……だってさ、三人にまで絞れているんだぜ。これを何とかひとりに絞れないか? 辰樹、知恵を出してくれよ。展示計画を考えるときみたいにさ。
 そう持ちかけた赤井坂の目には、憎悪と怒りの感情が渦巻いていたと思う。
 これは良くない、と直感した。強い感情は得てして作品制作に影響する。負の感情をプラスに変えられる作家なら良いが、赤井坂は恐らくそうではない。彼の作品に混ざり物はいらないのだ。
 風間はすぐに頭を巡らせ、姉の遺体を利用して犯人を暴く策を語った。それを聞いた相棒は流石に顔をしかめ、図らずも落ち着きを得ていた。
 風間は安堵し、心の中で姉に謝った。しかし彼女なら許してくれるだろうと確信していた。
 ……いいよ。彼の才能のためなら、私の遺体を使うくらい好きにしなさいと。

「そうだな」と、放心したように美術館の天井を見上げながら赤井坂が呟く。
「辰樹。お前、本当に僕を冷静にさせるために飛び降りたのか」
「まさか。あの場にいるとBGMが結構大きく聞こえてさ。もみ合い程度の音じゃ立てても無駄だと思ったんだよ」
 否定したはずが、赤井坂の耳には肯定の返事に聞こえたらしい。
「悪いけど、お前が飛び降りなくたって、僕はおかしな気なんか起こさなかったと思うぞ」
「そう? なら俺は飛び降り損だね」
「やっぱりそのためだったんじゃないか。……だって、自分の死をきっかけに僕が将来を溝に捨てたりなんかしたら、未沙樹さんがきっと怒るだろ」
「俺の方が怒るよ。何にしたって結局、一時的な活動休止は免れないだろうけどね」
 しかし画家本人が罪を犯したわけではない以上、致命的な不祥事にはならないだろうと風間は踏んでいた。
 特に日本において、アートを「見る」行為と「買う」行為の間には高い壁がある。後者を自然に行える人々の多くは、コアなファンだったり自身も制作活動を行っている作家だったりするものだ。恐らくその層に、作家に清廉潔白を求める価値観は根付いていないだろう。
 そもそもヤスミン・リードとしての活動に関連して、大なり小なり妙な事件に巻き込まれることは今までにもあったわけで。

「その間、僕は作品制作に専念するよ。お前は復帰プランを考えておいてくれ。この事件がかえって集客に繋がるくらいの」
 全く、何でもないことのように言ってくれる。風間は心の中で嘆息した。
 しかし、もとよりそのつもりではあった。元々作品制作以外の――コンペへの応募だの展示計画の検討だの打ち合わせだのキャプション作成だの搬入出だの在廊だのといった――制作活動に関わる一切の仕事は、風間の領分にあたる。
 その分、赤井坂には持てる時間のすべてを制作に費やしてほしい。彼に顔出しをさせない理由の大元は、そんなシンプルな願いだった。

 ……優れた芸術作品には魔力があり、それは時に犯罪すら誘発する。
 額縁におさまった絵画ひとつでもそうなのだから、ホワイトキューブ全体を一個の作品世界としてしまう、彼の芸術には一体どれほどの力があるのか。
 そこにはきっと悪魔が潜んでいるのだ。
 そいつの囁きは、時として人を犯罪に駆り立てる。そして創造主の才能を守るためならば、死者への冒涜じみた行いや自傷行為にまで踏み切らせてしまう。

「分かってるさ、ヤスミン。……姉さんがふざけて付けたこの名前が、ここまで有名になるとは思わなかったよな」
 気を紛らすように呟いて、風間は今日最も焦った場面を思い返す。
 それは四人が自分の荷物を開示し、身分証明書を見せ合う流れになったときのこと。
 運転免許証に本名のふりがなを記載する欄はなかったかと、慌てて自分のものを引っ張り出して確認したものだ。
「いや本当に。ふざけた作家名を付けるにしたって、本名をもじるのはやめておくべきだったよ」
 めちゃくちゃ恥ずかしいんだよなあ、この名前。

 言葉に反して満更でもなさそうに――あるいは亡き人との日々を懐かしむように、赤井坂慶史やすふみは眉を下げた。

(了)


あとがき↓


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