崇神天皇で繋がる。籠神社と井関三神社(たつの市)。
次に籠神社に参拝へ行きました。

籠神社では、彦火明命が祀られています。

別名:天火明命、天照国照彦火明命、饒速日命、また極秘伝に依れば、同命は山城の加茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下鴨)も併せ祀られているとも伝えられる。(元伊勢籠神社由緒略記)
彦火明命の父親はアメノオシホミミであり、アメノオシホミミの父親が天照大神、母親が瀬織津姫とされています。(今村聰夫:はじめてのホツマツタエ 天の巻)
彦火明命は、天孫の証として、天祖から十種神宝である、息津鏡・辺津鏡を承り、大和国及び河内・丹波(丹後)地方を開発し丹後国造の祖神であるとされている。一に丹波道主王ともされている。(元伊勢籠神社由緒略記)
さらに、元伊勢籠神社御由緒略歴、パンフレットを見ていると、
天照大神は崇神天皇6年まで、宮中でお祀りされていたが、最初に笠縫邑にお祀りされ、崇神天皇の御代39年(BC59年・皇602年)に天照大御神と豊受大神を一緒にお祀りしたのが真名井神社です。
この丹波道主、崇神天皇を見て、ふと思い出した地元の神社があります。
兵庫県たつの市の揖保西町の旧郷社・井関三神神社です。


井関神社の由緒書きには、
崇神天皇2年(BC96年、皇565年)、宮中に御坐します天照大御神さまのお告げによる崇神天皇様の詔により、四道将軍の丹波道主命が天照国彦火明櫛玉饒速日大神さまを奥宮が後鎮座する亀山にお祀り申し上げた天照神社が御創しされました。
そして当時より、武甕槌大神も一緒に祀られています。
余談ですが、時代とともにこの神社は瀬織津姫(天火明命の祖母に当たる)、建御名方大神が祀られ三神神社と呼ばれます。武甕槌神が奥の院にいて、建御名方神が境内に祀られているなんとも凄い神社です。
ここで注目すべきキーワードが、
崇神天皇が天照大神が宮中に祀られている時にお告げを聞いたこと、
彦火明命を亀山に祀ったこと、
丹波道主命がその役割を果たしたこと。
籠神社には、倭宿禰命(彦火明命を祖に持つ)が祀られている。
倭宿禰命は、神武天皇東遷の途中に明石海峡に亀に乗って現れて大和の国へ先導したとされています。
そして、井関神社の近くに、

粒坐天照神社(播磨三大社)
たつの市粒坐天照神社(播磨三大社)があります。
そして、天火明命が祀れています。
推古天皇2年(594)、輝くもの現われる。曰く、「我は天照国照彦火明命の使である。天火明命の幸御魂はこの地に鎮まり、この土地と人々を守り給うて既に千年を越ゆ。今汝の正直、誠実なるに感じ給い天降りまして神勅を授けようとされている。神勅を奉戴し新しい神社を造営して奉祀せよ。すなわち、今ここに種稲を授け給う。これを耕作すれば汝の田のみならずこの里全体に豊かに稔り、この土地は永く栄えてゆくであろう。」と。昇天して去り、あとに種稲が残されていた。
という伝承があり、天照国照彦火明命の使は亀に乗ってやってきたのでしょうか。(時代が違いすぎますが)
先程、元伊勢の籠神社、井関神社と崇神天皇について話しを戻すと、
崇神天皇の父親は開花天皇、母は欝色謎命であり、父方の祖父に出石心大臣命(饒速日命の3世孫乃至4世孫)、母方に天照の血を引く天津彦根命がいる。
崇神天皇と彦坐王は兄弟であり、丹波道主は彦坐王の子供とされている。
ちなみに彦坐王は神功皇后の高祖でもある。
この繋がりから京都の丹後と播磨たつのを調べてみてもいいかもしれない。
そして、籠神社で買った日本の神社の本に主祭神の彦火明命はその名の通り、太陽を神格化した神であるが、別名「穂赤命(ほあかり)」とも呼ぶことから稲作に関わる農業神ともされている。
先ほどの粒坐天照神社もそうですが、播磨には赤穂があります。
赤穂は秦河勝の伝承でもあるアカホが赤穂ともなったとものとされる言い伝えがありますが、
さらなる昔に何かがあるのかもしれません。
ちなみに、井関三神社は、

象のいる場所を大きく捉えた。
お尻の方にあります。
あと、元伊勢籠神社由緒略記を読んで気付いたのですが、天照国照彦火明命の血筋に天村雲がいました。
前回の記事に斜面を登り、滑って手をついた時にあった貝の名前が叢雲(ムラクモ)貝でした。
何かのメッセージでしょうか。
色々考えると面白いです。

かなり参考になりました。
