明石原人の過去データを再考してみた。
兵庫県の相生市史(1984年3月に発行)を読んでいると興味深い箇所を見つけた。
明石原人について書かれた文章。
コンピューターと「明石原人」
近年、学問の分野にも導入のいちじるしいコンピューターは、「明石原人」問題にも挑戦している。その成果を一九八二年(昭和五十七)十月の『人類学雑誌』(第九〇巻別号)はつぎのように報じている。まず、明石寛骨との比較のために、つぎの資料が用意された。猿人の例として、南アフリカ出土のシュテルクフォンティン一四番化石の寛骨の模型、原人の例として、アフリカのオルドワイ発見のOH二八番化石と、フランスのアラゴ洞穴発見のトータベル人の寛骨の二つの模型、旧人ではネアンデルタール人の寛骨の模型、日本での更新世の地層から発見された港川人(沖縄県)・三ヶ日人・浜北人(ともに静岡県)である。これらの資料は明石寛骨が石膏模型であることから、原標本の色調による観察のかたよりを防ぐために、すべて黄色石膏に作り変えられ、欠損部は白色石膏で復原された。さらに岡山県津雲貝塚出土の縄文時代後期の五体の人骨と、現代畿内人三〇人の計測値とが準備され、比較された。
五つの標準的な計測値からの比較では、明石寛骨は現代畿内人の九九パーセントの変異の範囲内にあり、一万八千年前と推定される港川人とはいちじるしい差のあるのがわかった。さらに、いくつかの情報を切り捨てて比較すると、明石寛骨は津雲貝塚の縄文人を間にして、港川人と逆方向に位置するのが知られた。
これを単純にいえば、一万八千年前の港川人から縄文人を経て、明石寛骨が生み出されたことを示している。さらに統計処理によって比較してみると、明石寛骨は九七~六八パーセントの確率で、縄文時代以降のものであり、現代日本人には八〇人に一人の割合で「明石原人」に似た寛骨をもつ人がいることを示した。「明石原人」が更新世のヒトである可能性は四万分の一であるともいう。こうした操作の過程で、意外にも明石寛骨の一部に猿人に属する南アフリカのシュテルクフォンティン一四番化石と類似する傾向を示す特徴があり、長谷部が明石寛骨に古い形態を見いだした理由も明らかになった。以上の成果は東京大学の遠藤萬里、独協医科大学の馬場悠男の共同作業によるものである。
赤土にまみれた寛骨が発見されてから半世紀、「明石原人」の名が与えられてから三〇年余、教科書にもとりあげられたこの謎のヒトも、いまその名を消そうとしている。
現在の最新研究と比較してみたい。

この図表17を見てほしい。
寛骨の形状を比較したデータであるが、
・250万年前の南アフリカのシュテルクフォンティン一四番化石と明石寛骨に古い形態を見いだしていること。
・明石原人と畿内の現代人と類似性あり、80人に1人の割合で現代人によく似た特性がある。現代人の1.25%で同じであるという。
図表17の情報を下記に記す。
・シュテルクフォンティン一四番化石の発掘された場所。

・アラゴのトータベル人は北欧最古の45万年前の化石である。

・ネアンデルタール人は約40万年~4万年前に主に欧州に生息した旧人でホモサピエンスとは別系統です。
・港川人は約2年前の沖縄に生息したホモサピエンスであり、現代では、ネアンデルタール人とは別段階の地域を示している。
そして、港川人のmtDNAはハプログループMの先祖型であり、現代の現代日本列島人集団の直接的な先祖ではないです。

東北大学
プレスリリース 発行No.1140 令和3年6月16日

東北大学
プレスリリース 発行No.1140 令和3年6月16日

東北大学
プレスリリース 発行No.1140 令和3年6月16日

東北大学
プレスリリース 発行No.1140 令和3年6月16日
・縄文人のD系統の遺伝子(D1a2a)を考えながら先ほどの引用部分を読んでみると、
「
明石寛骨は現代畿内人の九九パーセントの変異の範囲内にあり、一万八千年前と推定される港川人とはいちじるしい差のあるのがわかった。さらに、いくつかの情報を切り捨てて比較すると、明石寛骨は津雲貝塚の縄文人を間にして、港川人と逆方向に位置するのが知られた。これを単純にいえば、一万八千年前の港川人から縄文人を経て、明石寛骨が生み出されたことを示している。さらに統計処理によって比較してみると、明石寛骨は九七~六八パーセントの確率で、縄文時代以降のものであり、現代日本人には八〇人に一人の割合で「明石原人」に似た寛骨をもつ人がいることを示した。
」
当時の研究者が、定説の人類の起源である、南アフリカからヨーロッパを経て、日本にきた流れで考えた場合、上記の結論になるとそう考えるのは、必然的。
しかし、明石人の寛骨は、日本人の先祖にあたるなら、畿内の現代人の1.25%の類似はあるのではないか?
縄文人のD系統は畿内に10~20%なので、明石人の寛骨推定すると明石人から縄文人の流れはありそうなのでは?
港川人から縄文人の流れもハプログループが別である。
ハプログループは祖先集団であり、集団固有の遺伝子頻度が関係し骨格傾向が変化する。
例えば、弥生人と縄文人の祖先集団の違いが骨格の違いに出るなど。
ということは、図17の港川人と明石原人はいちじるしい差があるのは必然的ではないか?
そして、港川人のハプログループMはアジア・オセアニア・アメリカの一部に見られる。
むしろ、明石原人から縄文人を経て港川人の流れはないのか?
南アフリカの出アフリカのSts14から北欧のアラゴ、ネアンデルタール人の陸ルートの流れはその通りありそうだ。
なので図17を大陸で分けるとこうなる。

そして、一番興味深いのが、明石原人とSts14の古さだ。
これは本当に見間違えたのだろうか?
この原人に共通する興味深い資料。
世界言語の地図を見てハッとなった。

日本ーアジアーオーストラリアーマダガスタルと言語が共通していた。
このルートは海のルートではないか?
出アフリカは陸ルートと海ルートで分かれたのでは?
アフリカ南部で発生した人類は、マダガスタルへと渡り、南シナ海~東シナ海、オーストラリアルート、そして日本に辿り着いた?
もしくは、南アフリカのSts14と反対側に位置している明石原人は、南アフリカとは別なのか?
現代人類の出アフリカの陸ルートは20万年前だとされているが、海ルートはさらに古いのではないか?
その痕跡が明石原人の地層30万年前だとすれば、ロマンが広がる。
と思って、ハプログループの世界の広がりの地図を見た。

なるほど、南シナー東シナ海からマダガスタルへのルートは、ハプログループO系統が辿りついていたのか。
世界言語の地図と同じような配置になってもいる。
マダガスタルの言語はハプログループO系統の流れになっている。
ハプログループO系統は東アジアや東南アジアで一般的となっている。
これも興味深い。
ハプログループを見返しているとマダガスタルでは、E3aもいる。
このE系統が分岐する前はDE系統に属して出アフリカを果たしたD系統、そして、アフリカに止まったE系統となった。

このE3aが海を渡りオセアニア地域に進出した流れは考えにくい。
むしろ、E3aがD系統にはならないらしい。
E系統とD系統は同じ先祖を持つのになぜこんなに離れた地域に所属しているのかが疑問。
Eはアフリカ、Dは日本。
そのことから、D系統がアジア発ではないか?
との見解があったらしいが、2019年以降の研究でアフリカのナイジェリアからD0が発見されてアジア説が崩れた。
そして、海ルートというより、海の海岸ルートに沿ってD系統が移動し、世界へ拡散したが、他の系統に入れ替わり、現在の日本やアンダマン諸島、チベットの奥地にD系統が残ったとされている。
ちなみに、D系統の発生時期は、6万4000年~8万3000年前だとされている。

https://kaken.nii.ac.jp/en/file/KAKENHI-PROJECT-25251043/25251043seika.pdf
この表は、先にD系統が世界に広がり、日本にやってきて、後から分岐した大陸由来の系統が日本列島に入ってきた。そして、現代日本人が大陸由来に近づいている様子を表していそうだ。
ハプログループの見解を考察するとこうなるが、石器が気になった。
アジアで最古の石器は中国北泥河湾盆地(上陳遺跡)で発見された約210万前の石器があり、アフリカを出た初期のヒト族(ホモ・エレクトスなど)がユーラシア大陸に到達し活動していた証拠を示した。
日本で最古の石器は、島根県出雲市の砂原遺跡で発見された石器群であり、約11万~12万年前だとされている。
広島県の冠遺跡では、約4万2000年前、群馬県の岩宿遺跡では約3万~3万5000年前。
中国の約210万年前と日本の約12万年を想定し、明石原人の図17の表を照らし合わせるとSts14が250万年前、そこから出アフリカとなり、210万年前にアジアに到達し、陸続きの日本へ入るものと東アジアから引き返してアジアやヨーロッパに行ったものがジャワ原人(約130万年前)、北京原人(約50万年~30万年前)、ネアンデルタール人(約40万年~約4万年前)になって行ったのではないだろうか。

もしくは、

遅れてホモサピエンスと交わりながら定住したか。
この流れで、明石原人が約30万年前であるとするなら、図17の古い理由も想像がつきそうだがどうだろうか。
もしそうだとしたら、明石原人とハプログループD系統が入り込み、種の交雑が行われ寛骨臼に1.25%の割合で現代人にその流れが組み込まれているとするなら、それこそロマンなのかもしれない。
そもそも、ホモサピエンスと原人が交わることができるほど、原人も進化して入ればの話だけど。
DNA研究から、デニソワ人・ネアンデルタール人との関係: ホモ・サピエンスは、アジア地域に広がったデニソワ人や、ヨーロッパ圏のネアンデルタール人といった他の旧人類と積極的に交配(混血)していたことが分かっているが、それが日本でも起きていたのだらうか。
この受け入れていく日本の土地が、その当時から存在するのであれば、それはそれでロマンでもある。
そのように思いながら記しています。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
下記も皆様と考えたい内容です↓
