心霊食堂 旅立ちは 思い出の味で 第26話
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第3章 さよならの、オムライス
10 香奈の夫
香奈が夫とともに住んでいたアパートは、香奈が働いている勤め先から、電車に乗って一時間の隣の県にあった。
最寄りの駅で降り、十五分ほど歩いた静かな住宅街にある一棟のアパートの近くまで来ると、香奈は足を止めた。
アパートに近づくにつれ、香奈の表情が強ばっていく。
さらにその顔はひどく青ざめていた。
「あそこに見えるアパートがそうです」
アパートを見つめながら、香奈は身体を震わせた。
「二階の右端ですね」
「え?」
なぜ、部屋が分かったのかというように、香奈は目を見張らせた。
「行きましょう」
一樹はいつになく厳しい表情で、速歩でアパートへと向かっていく。
「どうして香奈さんの部屋が分かったんですか?」
一樹の後を追いかけ八尋は問いかける。
「よくない気配が漂っています。気分が悪くなるほどのどす黒い靄のようなものがあの部屋からあふれている」
黒い靄があふれていると聞き、八尋も目を細め見極めようとする。
八尋はあっと声をもらした。
一樹の言う通り、香奈の部屋から黒い靄が吹き出しているのが視えた。
「大変……は、早くあの場所から美優ちゃんを救わなければ」
八尋の声に切実なものがにじむ。
アパートの部屋には明かりがついていた。
香奈から話を聞くと、夫は相変わらず家でごろごろしているらしく、出かけるといえばパチンコと、友人に誘われて飲みに行くくらいだという。
そのパチンコ代や飲み代も、香奈が働いたお金で行っているのだ。
「美優……」
香奈は胸の辺りで手を組み、娘の名前を呟く。
「香奈さん」
一樹の呼びかけに香奈は扉の前に立つ。
震える手でインターホンを押した。
いらえはない。
けれど、中から大音量のテレビの音と、その音に混じり誰かと会話をしている声も聞こえてくる。
間違いなく香奈の夫は家にいる。
もう一度、香奈は呼び鈴を押し扉を叩く。
「私よ。開けて! 美優、ママよ。迎えにきたわ!」
しばらくして、がちゃりと鍵を外す音が鳴り、薄くドアが開かれた。
「なに?」
開いたドアの隙間から、男がぎょろりとした目で外を窺う。
よれよれのスウェットに不精髭をはやした三十代前半の男。
この男が香奈の夫だ。
「美優を迎えに来ました」
「ああ?」
男は吸っていた煙草の煙を吐き出した。
その煙が香奈の顔にまともにかかる。げほげほと咳き込みながら、香奈は家の中に入ろうとするが夫に押し戻された。
「うっせえな。出て行ったんだろ? だったら、戻ってくんな!」
「ええ、出て行きます。美優を連れて! 剛志どいて!」
「ねえ、ちょっとーだあれ? なに騒いでんのよぉ」
部屋の奥からはすっぱな女の声が聞こえてきた。奥の部屋から下着姿の若い女がこちらの様子を窺うように覗き込んでいる。香奈の夫の新しい女のようだ。
「開けて!」
「しつけえな。殴られてえのかよ!」
騒ぎを聞きつけて、近所の人たちが窓から顔を出して様子を見に来たり、玄関先に出て遠目で眺めたりしている。
「美優を返して!」
「美優なんていねえよ! とっとと帰れ!」
「待って!」
香奈を突き飛ばし、ドアを閉めようとしたわずかな隙間に一樹は指を差し込むと力一杯開いた。
ドアが一気に開かれ、中にいた香奈の夫剛志は、前につんのめって倒れ込んだ。
うわ! 一樹さんが強引な行動に出た。
開いたドアから香奈は家の中へ靴のままあがり、奥の部屋に駆け込む。
「美優、美優どこ! 迎えに来たわ、ママよ! 美優!」
香奈は大声を上げ娘の姿を探し回った。
すぐそばで下着姿の女がぽかんとした顔で立っている。けれど、いくら探しても美優の姿は見当たらない。
1DKの狭いアパートだ、探せないはずはない。
「どこなの、美優!」
香奈は血相を変え、トイレや風呂場の扉も開け美優の姿を探した。
「ちょっとー、なに、この女」
夫の浮気相手が、冷めた目で家の中に押し入ってきた香奈を見つめている。とはいっても、ここは香奈の家なのだが。
「てめえ! どういうつもりだよ!」
殴りかかってこようとこぶしを握り、腕を振り上げた。
「やめろ!」
八尋は部屋に飛び込み、男の暴力から香奈を守ろうと両腕を広げた。
男の拳が振り下ろされ八尋はぎゅっと目をきつく閉じる。
殴られる。
しかし、いつまでたっても衝撃はなかった。
八尋は恐る恐る目を開ける。
目の前で男が拳を振り上げた状態で固まっていた。
背後で一樹が男の腕を掴んで止めていたのだ。
ー 第27話に続くー
