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心霊食堂 旅立ちは 思い出の味で 第39話

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第4章 記憶のしょうが焼き

9 明かされていく事実

 次はご主人を、通り魔事件で亡くした溝口深雪がこの店にやって来た時。
 不安そうな顔で店の扉を開けた深雪に八尋は声をかけたが、彼女はまったく反応を示さなかった。
 てっきり、また幽霊がやってきたのだと思って、八尋は気にもとめなかった。
 確かに一樹の言う通り、八尋は深雪とはいっさい会話をしていない。だがその後、一樹に同行し通り魔事件が起きた現場に行った時は、深雪の旦那さんの直哉と実際に会った。
 直哉は妊娠した妻のために神社でお守りを買い、それを落として探していた。八尋は彼のお守り探しを手伝った。
「あ……」
 と、八尋は声をもらす。

 あの時、あんなに人通りの多いところで這いつくばるようにして探し物をしたら、通行人たちに変な目で見られるなあと心配したが、誰も何も気にかけることも、声をかけてくる者もいなかった。
 探し物に夢中で周りの視線など忘れていたが、そもそも幽霊となった直哉や自分があの場所をうろうろしようと誰も気に止める者はいない。
 幽霊である自分たちなど誰の目にも映らないのだから。

 だから、一樹は八尋をあの現場に連れて行き、直哉の探し物を手伝わせた。
 納得だ。溝口深雪のことも、今思えば八尋が勝手に話しかけていただけで、会話は成り立っていなかったではないか。
 次は父親に虐待を受け、殺されて幽霊となった美優が店にやって来た時と、美優の母親である。
 八尋は美優とは話をしたが、香奈の場合は、やはり八尋が一方的に喋りかけていただけだ。

 ああ、そうか、と八尋はその時抱いた疑問が解ける。
 ずぶ濡れになって店を訪れた香奈にタオルを渡そうとした八尋に、一樹は自分が用意するからと言った。
 幽霊の八尋が生身の人間にタオルを差し出すことはできないから。
 事故の記憶を取り戻していない八尋が、自分が幽霊だということを気づかせないための一樹の配慮だ。
 八尋はふっと笑った。
 今思えば、不可解に思ったことは他にもあったではないか。

 一樹の手伝いで醤油差しに醤油を補充する作業をした時もそうだ。
 その後入れたはずの醤油差しに一樹が醤油を入れていたのを見て、なぜだろうと疑問に思った。
 それから、とったはずのさやえんどうの筋が何も手がついていない状態だったことも。きちんと作業をこなしたつもりでも、結局、幽霊の八尋には何もできないのだ。
「あれ? でも!」
 八尋ははっとなって顔を上げ一樹を見る。
「待ってください! だって僕、夕子さんとはちゃんと話をした。彼女も僕のことを見て答えてくれたじゃないですか! それに、早く仕事が見つかるようにって励まされました」

 自分が死んだことを認めたくなかった。一樹は悲しそうな目で八尋を見返す。
「言ったでしょう。彼女にも霊感があると」
 確かに、夕子は少しばかり霊感があると言っていた。
 幽霊が少しだけ視えて話せると。
 八尋はがくりとを落とした。自分が死んでいるという事実を覆すことはできなかった。
 認めなければならない。
「夕子さんは、幽霊の僕と会話をしていたんですね」
 夕子さんのお店に行った時、黒服の男が八尋の前にコーヒーを差し出しながら、怪訝な顔をしていたのはそういう意味だった。
 夕子の指示とはいえ、誰もいないテーブルに、男はコーヒーを置いていたのだから。
 それだけではない。

 一樹の元にホステスの女性たちが寄ってきて騒ぎ、八尋はいっさい見向きもされなかったのもそういう理由だ。
 もっとも、僕が幽霊でなくても、一樹のように騒がれることも注目されることもなかっただろうが。そして、その時、夕子が言った『八尋くんも、早く見つかるといいわね』というのは、早く仕事が見つかるといい、と励まされたのだとてっきり八尋は思っていたが、実はそうではなかった。
 早く自分の記憶を思い出せればいい、あるいは、自分が幽霊だということに気づくといいわねと言ったのだった。

「一樹さんは、僕が最初にこの店を訪れた時に、僕がバスの事故で死んでしまうことを予期していたんですね。だから、僕を引き止めた」
 一樹は静かにまぶたを落とした。
 憂いを秘めた一樹の表情に影が差す。
「時折、他人の過去はもちろん、未来が視えてしまうことがあります」
 以前、一樹が言っていた霊視という力だ。
「視るつもりはないのにその人の未来が映像として流れることが。あの日、この店に現れた八尋くんの数時間後の未来が視えてしまい、引き止めました。本当はそういうことはしてはいけないのですが、なぜでしょう、八尋くんのことを助けたいと思った。ですが、完全に引き止められず、八尋くんを助けられなくて、申し訳なく思います」
 八尋はいいえ、と首を振る。

「一樹さんが謝るなんておかしいです。だって、一樹さんは見ず知らずの僕を気にかけてくれた。最期に食べたしょうが焼きは今でも忘れません。それと、チョコレートもおいしかった」
「八尋くんとこうして巡り会えたのは、何かの縁だったのでしょう」
「一樹さんは僕が霊だということを分かっていながらも、今まで僕に付き合ってくれたんですね」
「付き合うという言い方も少し違いますね。八尋くんの記憶が自然に戻るのを待っていました」
 自分が死んだことを知って、八尋が混乱しないようにと考えてくれたのだ。

「今は何もかも思い出しました。でも、これから僕はどうなるのですか?」
 一樹は黙り込む。しばしの間二人の間に沈黙が落ちた。ややあって、一樹は静かな声で言う。
「本来、あなたがいなければならない場所へ行くべきでしょう」
「それって、成仏するってことですか? 平沢さんや直哉さんや、美優ちゃんみたいに天国に?」
 一樹は答えなかった。
 ただ、にこりと微笑むだけ。その笑みは何だろうと思うと不安になった。
 それって、つまり天国に行けるかどうか分からないってこと。
 地獄の可能性もあるということか。ああ、それは嫌だな。できれば、穏やかな気持ちで天国に行きたい。

「八尋くん、最後に何か食べたいものはないですか? 作りますよ」
 八尋はぐすっと鼻をならした。
「何もいらないです。僕が天国か……地獄かもしれないけど、あの世に行くってことは一樹さんとこれでお別れってことですよね?」
「それは、あなたしだいかもしれませんが」
 僕次第? それはどういう意味だろう。
「成仏しないでここにいることはだめですか? 一樹さんの側にいることは」

 それはだめです、というように一樹は首を振る。
 八尋はふっと笑った。
 潔く自分が死んだことを認めて受け入れなければならない。
「最期の食事か。だったら、またしょうが焼きが食べたいです。あの時食べたしょうが焼き、本当においしかったから。もう一度食べたいと思ったんです。バス事故が起こった現場で力尽きる瞬間も、一樹さんのしょうが焼きが頭に浮かびました。最初にこの店で食べた時も、いろいろ絶望していたけど、一樹さんのしょうが焼きが本当においしくて。生きる希望っていうのが心の底からわいてきた」
「生きる希望とは、大袈裟ですね」
「本当です!」
「では、作りましょう」
「一樹さん、今までありがとう。一樹さんに会えなかったら僕はこうして死んだことすら気づかないままこの世をさまようことになっていたのかもしれない。そう思うと、感謝の言葉しかないです」
 ぐずぐずになりながら泣きじゃくる八尋の頭に、一樹はそっと頭に手を置いた。

 これで本当に一樹さんとお別れなんだ。
 離れたくない。
 でも、離れなければならない。

 厨房に入った一樹は、フライパンを手にしょうが焼きを作る準備を始める。
 軽快にまな板の上で包丁を動かし、見事な千切りのキャベツを切っていく。
 いつ見ても一樹の包丁さばきには感心する。この姿を見るのも最後なのだと思うと、八尋は涙が止まらなかった。
「どうぞ」
 涙を拭き、八尋はカウンター席に座った。
 思えば幽霊でも、においや味覚があるんだな。
 一樹の料理を食べてあの世へ行った幽霊たちの顔は、幸せそうだった。
 八尋は箸をとる。
 これを食べたら僕は成仏してしまう。
 あの世へ行くのだ。
 一樹さんとも、これでお別れ。
 本当はもっと一緒にいたかった。一樹さんのお手伝いをしたかった。

「いただきます」
 八尋は箸をとり、しょうが焼きを食べる。
 ありがとう一樹さん。最後は笑ってお別れをしよう。
「やっぱり、おいしいです。ありがとう、一樹さん……」
 にこりと笑って、八尋は姿を消した。

ー 第40話に続くー

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