【ルミナール戦記】プロローグ 帝都ルミナール
プロローグ:帝都ルミナール
―― 帝都の空は、皮肉なほど美しかった ――
アウレシア帝国、帝都ルミナール。
そこは大陸で最も神に近い場所であり、最も地獄に近い場所でもあった。
天空を刺し貫く千の尖塔。
夜を殺すほどの奔流する光。
黄金の大通りを闊歩するのは、豪奢なドレスと宝石を纏った貴族たちだ。
彼らは優雅に微笑み、その革靴が踏みつけている「足下の闇」には、決して視線を落とさない。
この都は、光に満ちた宝石箱だ。
だがその箱の中身は、宝石だけではない。
研ぎ澄まされた冷たい“刃”もまた、美酒と共に詰め込まれている。
煌めきの裏で腐臭のように澱む貧困。
路地裏に散る命。
超大国ネクシア連邦との終わりなき「百年戦争」。
大陸の覇権を貪り合う五大国の軋轢。
光が強ければ強いほど、影は色濃く、深く、そこに巣食う者を飲み込んでいく。
それらが生む歪みは、華やかな街角のすぐ隣で、確かな影となって口を開けている。
その光と影の断層に、
十五歳の少年――ルーク・ヴァンスは立っていた。
亡き父から受け継いだ栗色の瞳。
そこには年齢にそぐわぬ、
冷ややかな理性の光が宿っている。
『軍の英雄』と呼ばれた父を失い、母と幼い弟妹を守る「小さな家長」。
彼にとって、この帝都の日常こそが戦場だった。
そして戦場には、唐突な理不尽がつきまとう。
旧市街の市場。
喧騒を切り裂くように、赤い閃光が走った。
「おいおい。シケた商売してんじゃねえぞ」
怒号と共に、熱風がルークの頬を撫でる。
屋台の前に立つ男の掌で、
バスケットボールほどの火球が唸りを上げていた。
薄汚れた革鎧。手入れされていない剣。
男の風体は、
軍なら最前線で使い捨てにされる下級兵そのものだ。
だが、この掃き溜めにおいて、
彼は絶対的な「王」だった。
王冠など要らない。
人を焼き殺せる暴力さえあればいい。
「ひ、火を消してくれ! 商品が燃えちまう!」
「金が足りねえんだよ。……守ってやってんだ、こっちは」
商人の悲鳴を嘲笑い、
男は弄ぶように火球を木枠へ近づける。
木材が炭化する乾いた音。鼻を突く焦げ臭さ。
周囲の群衆は凍りつき、
誰一人として動こうとしない。
能力者と無能力者。
その間には、身分制度よりも強固な、
生物としての絶望的な壁がある。
ルークは足を止め、男の手元を凝視した。
恐怖よりも先に、思考が走る。
(……炎の芯が揺れている。出力の制御が甘い)
軍の基準なら、
E級かD級――最下層に近い下位能力者。
父の遺した教範の分類に、そう書かれていた。
発動までの予備動作も大きい。
足運びが荒い。視線が泳ぐ。――慣れていない。
(今、右手に石をぶつければ、火球は逸れる。その隙に懐へ入れば――)
倒せる。
少なくとも、止められる可能性は高い。
ルークの脳内で、
父から叩き込まれた戦術が解を導き出す。
夜ごと木剣で反復した型が、
無意識に手順を並べ替える。
だが――ルークの足は、
石畳に縫い付けられたように動かない。
石を投げれば、火は逸れるだろう。
だが、その逸れた火が他の誰かを焼いたら?
仕留めそこなえば、報復はこの商人だけでなく、
ルークの家族に及ぶかもしれない。
こいつは軍人ではない。規律も責任もない野良犬だ。
「気分」で生き、「気分」で焼き殺す。
背後で、掠れた囁きが落ちた。
「……異能者め」
すぐ別の声が、その言葉を押し潰す。
「やめろ。聞こえたら、次に焼かれるのはお前だ」
空気が、さらに冷える。
恐怖が理性を囲い込み、誰もが“自分の番ではない”ことだけを祈り始める。
(父さんなら……)
奥歯が軋む音が、頭蓋に響いた。
父は、ルークと同じ無能力者だった。
それなのに、数多の能力者たちを指揮し、知略と剣技だけで戦場を駆け抜け、大佐にまで登りつめた伝説。
『力を持たぬからこそ、見えるものがある』
そう語った父の背中は、
どんな上位能力者よりも大きく見えた。
父なら、言葉一つで制したかもしれない。
剣一振りで無力化したかもしれない。
誰も傷つけず、誰も焼かせず、この場を収めたはずだ。
今の自分には、その「何か」が決定的に足りない。
「……くそっ」
商人が震える手で、売上の入った革袋を差し出した。
男は鼻を鳴らし、掌の炎を握り潰す。
「最初からそうしときゃいいんだよ。……次は色つけろ」
男は金袋を懐に入れ、肩で風を切って去っていく。
残されたのは、焦げた屋台と、
屈辱にまみれた沈黙だけ。
群衆は安堵の息を吐き、
すぐに何事もなかったかのように動き出した。
誰も男を咎めない。
誰も商人に声をかけない。
ただ「自分の番」でなかったことに感謝し、
日常へ戻っていく。
ここでは「慣れ」こそが、最も残酷な処世術だった。
ルークは黒焦げになった柱を見つめ、
拳を白くなるほど握りしめた。
爪が皮膚に食い込み、微かな痛みが走る。
「……親父は、英雄だったのに」
父が偉大であればあるほど、
息子の無力さが惨めだった。
能力がなくても戦える。父はそれを証明した。
なのに自分は、市場のチンピラ一人に対し、
ただ傍観することしかできなかった。
力が欲しい。
理不尽をねじ伏せ、
大切なものを守り抜けるだけの「強さ」が。
たとえ無能力者でも、世界に抗うための牙が。
その渇望が、ルークの心の奥底で、
残り火のように燻り始めていた。
その夜。
帝都の空は、皮肉なほど美しかった。
貴族街の煌めきと、貧民街の頼りない灯火。
風に乗って運ばれてくるのは、微かな硝煙と、
遠い歓声。
ルークは窓辺に立ち、掌に残る爪の跡を見つめる。
痛みはまだ、消えていない。
守るべきものがある。
失えないものがある。
だからこそ――弱いままでは、生きる資格すらない。
「……いつか」
誰に届くでもない囁きが、夜風に溶けていった。
だが、少年の瞳に宿った小さな炎は、
もう消えることはない。
帝国と連邦。
二つの超大国が血を流し続ける、終わりのない時代。
絶対的な「力」が支配するこの世界で。
十五歳の無能力者が抱いた小さな意志は、
やがて帝都を、
そして帝国の歴史そのものを覆す引鉄となる。
そのことをまだ、誰も知らなかった。
◆ルミナール戦記(note連載小説)

◆自己紹介記事

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