シンガポールとわたし -結果が全て-
頑張ったからと言って、絶対報われるわけではない現実。
ファンが既婚妻子持ちと分かってから、月日だけが経っていった。
前回の記録で、指輪をもらった話を最後に触れたがその話はまた次回にとっておこうと思う。
月日というのは不思議なもので、どんなに辛いことがあっても時間が少しずつ自分の心を癒してくれる。
忘れることはなくても、ぼんやりと薄くなっていくのだ。
ホテルで働き始めて、あっという間に3年が経とうとしていた。
ファンはマネージャーとして、私はフロントで昇進し管理職手前まで来ていた。
Mentorと言って、新入社員のトレーニングも受け持っていた。
私の勤務態度や、スキルを見て任せてくれたことがとても嬉しかった。
新入社員も様々で、非常に真面目な子もいれば、歯向かう子、とにかく話を聞かない子がいた。
ホテルを退職するまでに20人はOJTを担当したと思う。
あの当時はまだ若く、忍耐強く接してはいたものの衝突することも多かった。
私が入社してから、ずっと私の直属の上司だったマネージャーがいる。
私のホテルのフロントの社員はざっと50人から100人いた。
客室が2400部屋を超えるので、普通のホテルよりは多い方だと思う。
チームがいくつか分かれているので、それぞれMentor Managerと呼ばれる直属の上司がいた。
私のマネージャーはマレーシア人のスレンダーな美人上司だった。
彼女との出会いは、私のキャリアに大きく影響を及ぼした。
正直、彼女以上の上司には出会えていない。
そしていつの間にか、彼女が私にとって目指すべき理想の上司像となっていた。
ちょっと遡って、2年目の自分のある日の話をしようと思う。
私のホテルは毎年査定があり、翌年のJob levelであったり、給与が決まる。
査定は自分で行い、そして上司が私の査定を提示し、同意したら翌年の自分のJob levelと給与が決まるのだ。
Annual Performance Reviewと呼んでいた。
会社が定める自己評価を私はざっと見て、自分なりの評価を埋めた。
「あーここ全然できてなかったな」
と評価のコラムを見て苦い思いをした。
でも私は逃げることなく、正直に自分の評価をした。
そして上司と面談した。
「ももこ、自己評価は終わった?」
「うん、終わった。」
「じゃあ最初に、ももこの自己評価を教えてほしい」
私は正直に答えた。
決断力が弱いところ。
慎重になりすぎるところ。
私にとっての課題だった。
上司はずっと私の目を見て、私の話をしっかりと聞いてくれた。
「じゃあ私のももこへの評価を出すね」
上司が私にした評価を見て私は驚いた。
上司の私に対する評価と、私が自己評価したものが全く同じだったのだ。
私が自分の弱点を苦い思いをしながら振り返ったように、もしかしたら彼女も指摘してくるかも。あー嫌だな。
私はそんなことを考えて彼女の前に座っていた。
でも彼女はにっこり微笑んで私にこう告げた。
"Once you overcome these weaknesses, you will be even better, Momoko."
この弱点を克服すれば、あなたはもっと良くなる。
この言葉に私はショックを受けた。
良い意味で、だ。
弱点を持っていると、その地点で負けのような。出来損ないのような気がしてよく落ち込んでいた。日本で働いていた時にそう言われていたからだと思う。
「なんでこんなことも知らないの。」
「こんなの常識でしょう、非常識よ。」
そんな言葉をよく投げられていたのだ。
いつの間にか自分の弱点は、自分の良さも強みもかき消す真っ黒な絵の具みたいになっていた。
シンガポールのホテルで働き始めて出会った、私のバックグラウンドも職歴も知らない上司に自分の考えを覆すことを言われた衝撃はあまりにも大きかった。
「また来年も頑張ろうね。」
上司はそう言ってくれた。
私が感動したのは、そう言った前向きな評価だけではない。大勢いるフロントのスタッフを見るだけでも大変なのに、その中の1人である私のこともちゃんと見てくれていたことに感動した。
見てもらっている、ということは安心感に繋がる。それも彼女から学んだことのひとつだ。
また来年も頑張ろうね、という言葉は私を鼓舞した。
できないことも、知らないことも、決して悪いことではない。
できないことは誰かに助けてもらってできるようになればいい。
知らないことは誰かに聞いて知識にすればいい。
行動さえ起こせば、良いのだ。
上司との面談の後、私はいわゆる新年度を迎えた。
勤務態度は割と真面目だったので、ボーナスも頂けた。
外国人として働かせてもらっているのに、ありがたすぎる待遇だった。
そして3年目。
スーパーバイザーの募集がかかった。
私の当時の役職の1つ上のポジションだった。
私はどこか他人事のようにその募集を眺めていた。
すると上司からメッセージが来た。
「応募しなさい。ももこはもう準備ができてるから。」
上司からのその言葉は、私にとって何よりも価値のある言葉だったと思う。
信頼している人。
そして自分のキャリア人生をいい方向に導いてくれた人。
そんな人に応援されるなんて。
私にとっては身に余る言葉だった。
私は緊張しながら応募し、面接に漕ぎ着けた。
上司は陽気なアメリカ人だった。
彼との面接で、私は私なりにベストを尽くして話をした。
ところが。
私は落ちた。
そして別のフロントのスタッフが選ばれた。
彼女は私よりOJTを持っていなかったし、お客さまからもスタッフからも信頼されているとは言えない強気な子だった。OJTを持たない理由は、彼女が選り好みしたからだったという。「男の子じゃなきゃ嫌」という意味不明な基準だ。
私はショックを受けた。
「あんなに真面目じゃない、選り好みする子がなんで?」
私が落ちたことにショックを受けたフロントのスタッフも数名いた。
私含め、ショックを受けた人の共通認識はまさにこうだ。
「真面目に働いてたのになんで昇進できないの?」
なのだ。
頑張っていても、
努力しても、
報われないことがある。
それまでの人生で、受験も就職活動もそこまで挫折を味わったことがなかった私にとって大きな挫折であり、転機だったと思う。
ただ今振り返って思うのは、私が結果にこだわらず、過程にあまりにも頼りすぎていた。
自分が頑張っていれば、周りが評価してくれる。
そんなことを思っていたのだと思う。面接も熱意は伝えれていなかった。熱意も何も
私こんなにこれまで頑張ってきたんだから、大丈夫でしょう?受かるよね?
くらいで気を抜いていたと思う。
だが実際に受かった彼女は熱意の塊でしかなかった。
周りからの信頼はなかったかもしれないが、彼女の熱意は凄まじかった。
実際昇進してから彼女は一生懸命それまでの行いを挽回しようと必死にチームの信頼を勝ち取ろうとしていた。
昇進できなかった直後は彼女に嫉妬もしたし、会社を恨んだり、アメリカ人の上司を露骨に無視したりもした。
でも残ったのは虚しさだけだった。
そんなことをしたって、何もならない。
じゃあ昇進させてあげる、なんてなるわけもないし、むしろそんなのは御免だ。
時間は返ってこない。
私が嫉妬したって、
恨んだって、
誰かを無視したって。
時間だけは過ぎていく。
このまま嫉妬して、それで終わっていいの?
黙々と私はまた働いた。
一生懸命、変わることなく働いた。
OJTもした。
上司の言葉を時々思い出して、弱みを愛し強みへと変貌させた。
挫折は、
私を輝かせた。
そして半年経った頃だろうか。
ホテルに入社して3年半。
私はスーパーバイザーになった。
管理職になるとユニフォームが変わる。
初日にクリーニングからユニフォームをもらった時の感動を忘れない。
それを着てマネージャーオフィスに行くと、マネージャーたちが拍手して喜んでくれた。フロントのスタッフも冷やかし半分で喜んでくれた。
「これでよかった。」
もしあの時挫折を経験せずにスーパーバイザーにあっさりなっていたら、私は気づかなかったと思う。
本当になりたいもの。
手に入れたいものは貪欲に取りに行かないといけない。
そのマインドがない人に、チャンスの神様は絶対降ってこない。
そして神様は、ちゃんと準備ができている人に舞い降りる。
そのことに気づけた私にとって、スーパーバイザーになったあの時がベストなタイミングだった。
海外でも、日本でも企業によっては結果が全てだったり過程を重視したりとさまざまだと思う。
私の働いたホテルは少なくとも結果が全てだったと思う。
「頑張ります。」ではなくて、「〇〇をしてこういった成績をあげました。」という結果論だ。
最初は理不尽に思えたが、そのおかげで私は結果を出すことに真剣になれた。社畜といえばそうなのかもしれないが。
ただ過程を大事にする本来の自分もちゃんと忘れずにいた。
新人のホテルマンと面談をするたびに、それまでの自分の経験や挫折が生きたように思う。彼らの話を聞けたし、相談に乗れる余裕ができたからだ。
あの時の経験がなければ、こんなにキャリアについて真面目に考えることもなかっただろう。
結果は全てである。
でもこれだとちょっと響きが寂しい。
ちょっと付け足そう。
結果を出すには、過程が必ず必要だ。
一緒に頑張る仲間に感謝し、仲間と一緒に結果を出す。
それがあっての結果、だ。
キャリアで一番大事なのではないか、と私は個人的に思う。
