認知症の妻と、もう一度笑うまで 01話 💍 失くした婚約指輪と、始まった物語
2014年 初夏
何十年も前の婚約指輪
今日は、障害を持つ息子が外出したので、
妻と二人で久しぶりに昼食に出かけた。
まだ認知症の診断を受ける前のことで、
妻はいつも通り明るく、笑顔で、楽しくおしゃべりをしながら
私と食事をしてくれた。
このところ、妻は何を思ったのか、
何十年も前の婚約指輪を引っ張り出してきて、毎日ずっとはめていた。
私がプレゼントした指輪では一番高価な指輪だった。
その日も、ちゃんとはめているのを私は確認した。
でも──
事件が起きたのは、帰宅してから。
指輪がない
妻が「指輪がない」と言い出した。
確かに、指にはもうはまっていない。
話しながらよく指輪を外す癖があるので、
食事中に外して置き忘れたのではないかと思った妻は、
慌ててお店に電話。
でも返ってきたのは「それらしい忘れ物の届けはない」とのこと。
「誰かに持っていかれちゃったのかな……」
妻はそう言った。
でも、もしかしたら家で外したのかもしれない。
そうも考えた妻は、数日間、家中を探し続けた。
何度も、何度も。
婚約時、私の給料の3か月分をはたいて買った指輪。
私の口調は、だんだん荒くなっていた。
「ちょっと、しっかりしろよ!」
そんな私の言葉にも、妻は負けなかった。
真剣なまなざしで、私にこう言った。
お父さん、ごめんね。
「お父さん、ごめんね。私、自分のお金で同じ指輪を買ってくる。」
今日も似たような指輪を求めて、貴金属店に行ってきたらしい。
そのときの妻の目を見たら、
胸が締めつけられるような思いがした。
私はこう言った。
「もう気にするなよ。もう一度同じ指輪を買ってプレゼントするよ。
ふたつ目の婚約指輪だ。」
妻は何度も「ごめんね」を繰り返して、
やっと納得してくれた。
思えば妻は、この時53歳。
20年以上も、障害を持つ息子のために、
自分を犠牲にして尽くしてきてくれた。
明るくふるまいながら、
楽しそうな他のママさんたちを横目に見ながら
──息子の通院、通所、普通学級への付き添いを、
ずっと専業主婦として黙々とこなしてきてくれた。
その息子も、特別支援高等学校の商業科を卒業し、
就職も決まり、今の家に引っ越してきたところ。
だからこそ、私は思った。
この「ふたつ目の婚約指輪」は、
妻へのご褒美として、十分すぎる価値があると。
夫婦ふたり、新しい門出だって、そう考えようと──。
【今の自分から、あの時の自分へ】
あのときの自分へ。
あの明るかった妻が、何か少し違って見えた。
それが何を意味していたのかは、あとで知ることになる。
指輪をなくしたことよりも、
「何かが変わってきているかもしれない」という、
言葉にできない不安が胸をよぎった。
でも、その不安は信じなかった。
いや、あえて信じないように、自分で打ち消したのかもしれない。
それでも、あのときの自分、よくやったと思う。
「もう一度買ってプレゼントする。ふたつ目の婚約指輪だ」
そう言えた一言で、妻は救われた。
「ちょっと、しっかりしろよ!」と言ってしまったのは
イエローカードだが、
何度も「ごめんね」と繰り返す妻に、ちゃんと向き合った。
怒りではなく、最後は、愛情で包むことができた。
自分で自分を褒めるようだけれど、
それができたのは、
妻と共に歩んだこれまでの年月を、ちゃんと覚えていたからだよな。
息子のために自分を犠牲にして尽くしてきた姿を、忘れなかったからだ。
あの一言があったからこそ、
2025年にいる今の自分は、
認知症になった妻と、
ここで幸せを感じて、二人で穏やかに暮らしていられる。
思えば、あのときからすでに「介護」は始まっていたのだと思う。
気づかないうちに、心はもう妻のそばに寄り添っていたのだから。
胸を張っていいんじゃないか。
今の自分がいるのは、あのときの自分のおかげだ。
あとがき
その年、ちょうど結婚30周年。真珠婚式というらしい。
約束通り指輪を購入して。妻の指に。
失くした婚約指輪は
これからの人生を登っていくための約束の指輪。
新しく買った指輪は
人生を下っていくための約束の指輪。

失くしたのは物だけじゃなく、ゆっくりと変わっていく日常のかたちだった。
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