「就活・転職」はあなたの将来、人生の話。
2025.3月10日に有料で出した記事。
ひと月になる。もういいでしょ。
柄にもない事はしない。
noteの運営に利益をあげるその思考は大切。
しかし、餅は餅屋。
そういう人に頼るしかない。適材適所。
なので有料で出してた記事を(唯一この1個)オープンに。どうぞ気軽にお立ち寄り頂ければ幸いです。
(*˙︶˙*)ノ゙ 2025.0409
この下から始まります。
学生の皆様、転職をお考えの皆様へ
私、無糖缶から皆様へ参考にして頂ければと思う言葉をお贈り出来ればと記事にしてみました。
(男女を問わず意識して綴ってみます)
今は(今日のご時世)意欲のある方がどの方面企業からでも受け入れが好まれる傾向ではないでしょうか。
私も二十代の頃、30年前になりますが「リクルート」や「引き抜き」等の言葉がよく耳に入ってました。
私もその周囲の流行りで下請け企業の営業マンからのお誘いで転職をしました。
地場の建築監督から同じ業態の監督として。
その後、父の保険業を17年継いだ後、40代で転職も考えました。
ハローワーク通いも経験しました。
希望通りの手取り額や職種は年齢とタイミングなのか現実はなかなか厳しかったですね。
私からの話は
「就活・転職」に際して希望の道に辿り着くステップを指し示す(それは、数多の情報を選択してより良い記事を見つけて下さい)というより
・現在のあなたの立ち位置。
・希望した立ち位置でのあなたの情熱。
この二つを比較再考して
「初めての職場、転職先は決まったが余り変わらなかった、気乗りしない」なんて事にならないように気をつける点として
自分分析に繋がるような話だと思って下さい。
◆項目
前段
1.転職を考える
2.若さ故の私
・自分は何をしたいのか
・企業のキャッチフレーズをどう見るか
↓これから有料
後段
3.一途さ
4.「浮き草」と「師を持つ」あなたは?
・他、補足 最後に…。
前段
1.転職を考える。
転職するか迷う年代毎で、皆さんは「立場」や「重み」をチラチラ実感するかと思います。
10代では 学び、意欲 だったり
20代 経験、実績、比較して焦ってみたり
30代 家庭、重責役職、開発企画に属し
40代 安定、無難維持、護り指導育成など
どの業界でも社員個人としてはこのように社会で信用や実績を積んでゆかれるのだと思います。
雇用する企業組織側としては
10年20年の長期展望を描きつつ目まぐるしく変動する近年の5年刻み(いえ3年刻みとも)の計画をして変化の即応に准ずる態勢構えを示す企業も多くあるようです。
聞こえは良いようですが、それだけ人材や技術の流出に敏感・警戒であり、囲い込みに必死。
AIや最先端技術(レアメタル、半導体など)の目まぐるしい変化に如何に乗り遅れないか、情報更新の力の集積。
世代交代・経年劣化更新・現状継続の縮小等の波が同時多発的にと言いますか表現を変えて例えるなら「多面的な病状進行に措置が後手に回って負のスパイラルに陥っている」というのが近年の定着して得た国内経済の反省ではないでしょうか。
このように言い切ってしまっては夢も希望もありません。
…ね。
ま、だからこそ
有望な人材を欲している。
定着させて育ててゆく。
企業側も就労者目線に、より対応すること(男女の別無く否、より女性の働き方にも力を注いでいる)に注力しているのでしょう。
2.若さ故の私
私が若い時期にしたかった事。
それは
自分を信じること。
全くと言っていいほどそのような気持ちで自分と対峙していなかった。
漠然と邁進。
今思えば怖さ知らずゆえ、だったね。
「社会とはどういうものか?」なんて調べようもなかったし、誰が教えてくれる?
身近な家族に聞いても自分が納得出来るような回答は得られない、という事が容易に想像できた。
今でこそ携帯やパソコン、ネット回線Wi-Fiで気兼ねなく即検索が出来るし、AIで想定回答も得られる。
(正答か誤答の別の確証は自己責任だが)
昔はホント大変だったんだ。
それは
当時、ブリタニカという百科事典を揃えた父がその書棚を見ながら得意げに「何か分からないことがあったらココに全て載っているんだぞ」「見ろ!本を広げて表表紙と裏表紙をこのように背中合わせにくっつけても破れない!」と。
…父さん、すご! マジか!……と呆れつつも
高校生の私は一冊の辞典を手にとって調べ始めたが知りたい文言に辿り着く前に本の重さに加えてめくる手間と時間に屈服させられた。
親に聞いても「自分のことだ辞典で調べてみろ!」
と言われるのが関の山。
当時は、わからない事や先が見えない中でどう進むのかに不安を覚えていた。 故に学校で得た情報だけを頼りに自分のその勢いを「信じる」しかなかった。
自分のその時の 勢いを信じる 事と
冒頭に話した「自分を信じる」 とは
信じるの主旨が違うのです。
勢いだけではなく
自分は何をしたいのか?
「転職」を考えている方は社会での経験を得た方。
ですが再度自分に問うて見てください。
「自分は本当にこの道に進みたいのか?」
「そこで何をしたいのか」を。
「就活」される方は新社会人となる若き青年たち。
昔の若き私のように 勢い だけで決めてないですか?
時に勢いも大事ではあります。
(社会に出ることに躊躇する事のないよう)
「何をしたいのか?」の問に加え
「どのレベルを望むのか」先の見据え方について
変に妥協してしまってないか?
自分を安く見積もってないか?
という事を自問してもらいたいのです。
・周囲の浮ついた情報に惑わされず。
・生活を支えてくれる人がいるなら尚の事それに支えられるうちにもっと自分の力を試すこと。
・何のための下積みか? 今の置かれた立場の意味を再度冷静に自問自答してもらいたい。
(転職を考えてる方は特に今の辛い時間の先に未来は開けないのか?と)
上記はじっくり自分と向き合い先の展望に自身が後悔なきよう努めたかった項目です。
この行動(何をしたいか?)を起こすこと自体を
つまり
「自分を信じること」なのです。
別の言い方をすれば
自分に投資する、と言うことです。
自分に「何をしたいか」(自分を信じること)が見つかれば次は
自分を試すという事です。
すると
・時間をかける。
・周囲の力に頼る(甘える)
適度な負担が生じるのです。
支える側も
・精度を上げてるんだな。
・頼ってくれてるうちに確かな道を見つけてくれ。
あなたへの成長を温かく見守るのです。
若き私はこの試すという行動や甘える事、自体を
「悪」と捉えていて
早く巣立つことこそが
「善」と思い込んでいたのです。
根底に親へ経済的に迷惑をかけまいと気遣っていたのです。ワガママを抑え自分の主張を抑えて生きていたのです。
(支える側の経済的支援の差は当然あり、大小の衝突もあるでしょう。 しかし、その説得する熱量も自身の思いの強さを試されていると捉えプレゼの経験、自己アピールの機会と前向きに考慮頂きたい)
重ねて書きます。
「自分を信じること」は
それは自分に投資する、と言うこと。
長期的にみてそれが最善だし、短期的な判断で投資を・信じることを省くと後に必ず後悔する。
そのように肝に銘じておいて下さい。
また次に若き私は、こんな会社企業のキャッチフレーズが連呼される言葉に惑わされていました。
「ありがとう」「感謝」「◯◯に残る仕事」など
また
「貴方が輝く」「笑顔」「つなぐ」などもそう。
格好良く聞こえたし見ていたし魅かれていた。
企業側が自社をアピールする文句・言葉はそれは魅力的に。 練り込まれたイメージを刷り込もうとするのです。
それは実績として「確かに利用者からの見た目や評価を頂いている」そのような企業側の自信から嘘はついてない。
嘘つくはずもない。当然のことです。
宣伝コピーする専門会社はそれらは、お手の物なことです。
私たちはそれらは当然、魅力的に映るはずです。
(そう仕向けることこそがその道の仕事ですから)
しかし、世に出た「実績」のコピーがTVなどで連呼されても、その裏に光る汗で積み上げられた「実績」が本来とても大事なのであって
関係各社の協力や、仲間の協力支えも、当事者(一員である貴方)の判断力(センス)胆力、実行力が伴ってこそ、常にそれはあるということに目を向けなければなりません。
返せば
そのキャッチフレーズを実感したければ
それだけの
・期間と
・努力と
・協業する支援者・関係者に感謝出来る謙虚さ
も求められる。
と言うこと。
若き私は表面的なキャッチーな言葉(コピー)に浮かれ
・陰の努力
の重要さを心に留めることなく世を渡っていました。
(それでも「何となく渡れる世の中」だったとも
逆に言えるかもしれませんね)
ここまで前段のまとめとして
加速度的な情報化社会のなか
・自身の能力の分析
・自身の研鑽と夢と自身の磨き方(高め方)
など振り返りをしてみました。
◯次の項目(後段)へと進みますが
ここから先はとても重たい話を展開します。
なので、あなたにとって丁度よい部分を都合よく抜き取って読み進むなり、留まったりして頂いて結構です。
最後まで読み、それを人生において貫ける人がいるなら それは稀有な人です。
そのような人が大きく成長し本来なら国の父、国の母と心から慕われる人たるべきなのです。
私もまだまだ未熟者です。
このさき、若き人が「大いなる道」の先に見える光を一人でも覗き見ることが出来たなら私にとって
同士であり、それは望外の喜びであります。
…な〜んて大袈裟な仰々しいコメント。
小っ恥ずかしいね。
(*´艸`*)
では、これから先
お付き合いされる方、宜しくお願い致します。
この先が、有料だった。
後段
3.一途さ
生涯、一社に属する人。がいる。
私は、社の改善を求めたり、その環境に馴染めず外に渡る期間がありましたので
私は、一社に属せない人。でした。
私の友に(一社に属する人)がいます。
その友の職場で、友がどのような地位にあるのか私は知りません。
多分、その人の人柄と家族を遠目に見ながらそれなりの苦労も経験しながら築き上げているのだと信じています。
半分羨ましくもあり
半分自分も友に誇れる自分でありたいと良き刺激としています。
一途。
この言葉には「転職」の気持ちは出てきませんよね。
その友は揺れたかもしれませんが所属する社運に賭けていたのでしょう。
現実その会社は合併されながら存続しています。
友の心はいかばかりだったでしょう。
新社会人となる若き青年諸君
今も昔も、またこの先の未来の社会も
この日本は(この世界も、と断言したかった)完成も成熟する事はなく、常に変化・変化・変化です。
維持したように見えても気づいたら変化しています。
隣国や地球の裏側の国がクシャミをすれば必ず熱が出るし風邪をひく。
情報化社会の影響は尚更私たちに変化を求めます。
何を言いたいか?
今の時代は前段で触れたように
加速度的な情報化社会を背景にして
例え大企業に付けたとしても「安定・安心」が約束されているでしょうか?
油断は出来ないのではないでしょうか。
と言うこと。
ならばということで
青年諸君の中では「起業」を目指す方もいる事でしょう。
そして志を共にする仲間が多くいれば、より心強いことに間違いありません。
(企業もそんな一途な社員が集まり結束してくれるならどんなに心強いか)
「起業」か「企業」
『若いうちに失敗から学ぶ経験から自分なりのセンスを磨き学び掴む事が財産となりますので
臆することなく恐れずドンドン挑んで社会へ進出してもらいたいです。』
その上で
「あなたはどんな色(カラー)の仕事を選ぶでしょうか?」
サラリーにしろ自営にしろ
下町零細にしろ大企業にしろ
一社に一途か、他を渡るかにしろ
どれも社会の中の自分だ と、そう捉えて上記の『』内を再度抑えて頂きたい。
4.「浮き草」と「師を持つ」あなたは?
まずこの4.の本題に入る前に下の記事を時間があれば目を通して頂きたい。
取り急ぎ略して解説しておきます。
0222の記事 「気流」「大道」「…これまで、これから…」の中で
九州は福岡にある太宰府とその周辺遺跡を「西の都」とする変遷について私見を述べていますが
記事の冒頭に 「人の思い」との言葉を配置しています。
そして挿絵の中に
上の句
「我思う 故に我あり」
という哲学者デカルトの言葉を配し
下の句を詠んでいます。
「機を見つめ 起つを標は 人の情け也」と。
仏法で ‘機’について
平易に訳すと、それは
「教えを聞こうとするタイミング」の事を指すそうです。
政治が社会という機構そのものがそういう姿勢であれば何の危惧もする事はないのですが この三十年、政治手腕の…。ここは割愛。
自分が何に迷い、不安なのか そして、その経験から 友が何に迷い、不安なのかを見渡し
支えられ、助けられた経験から
友を支え、起こす気持ちを携え、助言と指標することで世は回ってゆくものだし
情けとは人として常にあって 情けなくして世はあり得ない。
そして、それが「我思う」につづいて
「故に我あり」へと 上の句にかかってくる。
「情け」が「人の思い」と同意とするなら
本来、古の人が自然に対して「思う」心根に肉薄するなら自ずとその心に近づかなければおかしいと思うのです。
先人の汗を少しでも「知る」ならば 大いなる道とは貴方の中にある。 「人の思い」とはそういうもの。
以上、先の記事の中で私はこのように結論づけたのです。
4.「浮き草」と「師を持つ」あなたは?
の「浮き草」について
先の記事で語った、人の思いも分かろうとしなければ、そして、自分が自分がと、己の個性だけに執着するならば
その人は組織から、社会から浮いた状態
「浮き草」根無し草となってしまうし
そこから流されて、皆から離されてしまうし、自分だけ孤立してしまう羽目に陥る。
皆様にはそんな風には、なってもらいたくないのです。
世の中、自分が傷つきたくないからと無表情でマニュアル言葉を口にして窓口で応対したり、カスタマーの担当員など聞いていて呆れるのは受話器の側で先輩職員の耳打ち声がしながらオウム返しのようにその下りを真似する人もいます。
そのように仕向ける組織が如何なものかとも思いますが、それ自体に歯向かわない群れるだけの社員らも同罪ですね。
利用するお客も当然寄り付かないし、仕方なくやり過ごす方もいます。
その会社組織自体が存在意義を貶めていることにすら気付かず社運を云々すること自体、滑稽と言わざるを得ません。
★ あなたなら、人を「信じる」とか、人から「信頼を得る」とかどうやって決めますか?
この世界は「信用」が根底にあって成り立っている。といっても過言ではないと思います。
ではこれを念頭に置いて下を続けてみて下さい。
ここでまず皆様に
「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」
六波羅密経の巻第七から引用された言葉を贈ります。
この言葉の意味は
人は独りになったとき
どれだけ私達は誘惑が襲ってきてそれに打ち勝つことが出来るでしょう。
金絡みもそう
女絡みもそう
裏切りや恨みつらみ
と私達の心は右左へと揺れ動きます。
重要な役職にいる人ほど自身を見誤り
頼りにされるが余りに職権の乱用を計り
幾つもの「我欲」を抑えきれずに
せっかく築き上げた信用を、一瞬にして崩壊へと
自ずから転がり堕ちてしまいます。
しっかりしているような心の持ち主であればあるほど、心の本質は移ろいやすいのです。
それに気づければこの言葉の意味がわかるでしょう。
あなたは自分の「心の師」になれますか?
・
・
・
成れます。
どうするか
「師匠」を持てばよいのです。
「師匠と弟子」の関係を築けば良いのです。
しかし、昨今
師匠と同格のような
監督や父親、高級官僚、上司との関係で
目を覆いたくなるような所業が露呈されていて
とても、とても「師匠」と呼ぶこと自体が気恥ずかしさを抱いてしまいます。
だからではありませんが
「座右の銘」
となる言葉からは、裏切られることはありません。
是非、古今の偉人と言われる方が
心に留めておられる本などがありますので
ご自分でしっくりくる「言葉」を見つけて下さい。
そして、それをブレることなく
肝に据えてください。
「苦に徹すれば珠となる」
こんな言葉もありますよね。
再度、先の質問を掲載します。
あなたなら、人を「信じる」とか、人から「信頼を得る」とかどうやって決めますか?
その回答は良ければ
コメントとして記載して返信頂ければ嬉しいです。
・他、補足 最後に…。
先に挙げた「座右の銘」を持つについて
それはご自分の心に 基準を持つ と言うこと。
この線から下が最低ラインで
線の上まであと もう少し。
という自分で具体的な線を設けるということ。
「座右の銘」とは
心に定規を持つという事です。
ブレやすい心に基準を据えて
いつも自分がその言葉を
今の心の動きに当てはめて
正しやすくするという事が出来るのです。
最後に無糖缶からの言葉をひとつ。
「本と末 究極 等しくある」
(難しい用語を避けて述べています)
人生始めて〜終わりまで常に同じく等しい。
何が等しいか?
それはすべからく平らかに悩み揺らぐことです。
そこに真の幸せがある。
それを今風に言うと
NEW NORMALということ。
人生は悩み続ける自分がいる事が既に幸せだという事。
それが新たな常識として捉え直す、ということ。
厳しい事もこれに当てはめるならこうも言えます。
「嫌なことから正面を向かず顔を背けたい。
最後まで逃げ通し、騒がれる時をやり過ごしたい。
その間に出来るだけ幸せの時間を浴びたい、と。
しかし、それは後にツケを人生の最後に回す事になり 終末に苦しんでいくという悲惨を味合うし、
自分を貶めた挙句、後継にその辱めを回す事にも繋がる」とも。
最後には必ず等しく罰もそんなあなたに訪れる。
そういうこと。
嫌なことや悩みから目を背けずそのすぐ近くに幸せはあるのだと覚悟して笑って悩む、受け止めることです。
言い換えれば
「悩むことが不幸なのではなく」
「悩めること自体が既に幸せなのだ」
ということ。
「あなたは悩んでますか?」
幸せはいつも自分の身近にある。
あなたは そう思えますか?
ふふふ(*^。^*)
今日、ここまでお付き合い頂いたあなたの幸せを私は陰ながら応援致します。
私の拙い文章でどこまであなたの心に届いたことでしょうか。
それでも最後まで読んでくださり私はあなたへ心から感謝申し上げます。
有難う御座いました。
以上
「就活・転職は、あなたの将来、人生の話」
を終わります。
無糖缶 2025.0310 2157
(*˘︶˘*).。.:*♡
