元メガバンク支店長が語る⑥会社では教えてくれないこと/エリートほど、止まり方を知らない 「できません」と言えない職場が、人を追い詰める
会社では、頑張ることの大切さを教えられます。
責任感を持つこと。
納期を守ること。
期待に応えること。
最後までやり切ること。
もちろん、それらは大切です。
けれど、会社ではあまり教えてくれないことがあります。
それは、止まり方です。
どこまで頑張り、どこから先は立ち止まるべきなのか。
何を一人で抱え、何を周囲に相談すべきなのか。
どの段階で「できません」と言うべきなのか。
この感覚を持たないまま、優秀で真面目な人ほど走り続けてしまうことがあります。
今回は、私がかつて所属していたIT企画部門で見てきた、
「止まれない人」と「止まれない組織」について書いてみたいと思います。
優秀な人ほど、自分を止められない
私がいたIT企画部門には、いわゆるエリートと呼ばれる人たちが多くいました。
大学院卒も珍しくありませんでした。
有名大学を出ている人も多く、私立大学出身者でも首席クラスだったような人がいました。
頭の回転が速い。
資料を作らせれば精緻。
システムや業務の構造も深く理解する。
本当に優秀な人たちでした。
けれど、その一方で、心を病む人も少なくありませんでした。
当時の私は、それを不思議に思っていました。
なぜ、これほど優秀な人たちが苦しむのか。
今振り返ると、彼らは弱かったのではありません。
むしろ、真面目すぎたのだと思います。
完璧主義の人が多かった。
ミスを許さない。
他人のミスにも厳しいが、それ以上に自分のミスを許さない。
目の前に仕事があれば、とにかく仕上げる。
納期があれば、何としてでも間に合わせる。
残業時間が長くなっても気にしない。
家族との時間や自分の健康よりも、まず仕事を終わらせることを優先する。
会社内に泊まり込むことさえ、特別なことではありませんでした。
なぜ、そこまでやるのか。
もちろん、責任感があるからです。
仕事への誇りもある。
周囲に迷惑をかけたくないという思いもある。
しかし、それだけでは説明できないものがありました。
おそらく彼らは、人生の中で「止まる」という選択肢をあまり持ってこなかったのではないかと思います。
与えられた課題をこなす。
求められた水準を超える。
期待された結果を出す。
間違えない。
遅れない。
弱音を吐かない。
そうやって評価されてきた人ほど、社会人になってからも同じ走り方を続けてしまう。
でも、仕事は受験とは違います。
受験には、正解があります。
範囲があります。
採点基準があります。
努力の方向も比較的分かりやすい。
一方で、仕事には明確な正解がないことが多い。
特にIT企画の仕事はそうでした。
システム、業務、現場、ベンダー、経営判断、納期、障害対応。
さまざまな利害が絡み合い、単純な答えなどありません。
どれだけ考えても、完璧な答えは出ない。
どれだけ準備しても、想定外は起きる。
どれだけ努力しても、自分だけではどうにもならないことがある。
それでも、真面目な人ほど、こう考えてしまいます。
「自分がもっと頑張ればいい」
「自分がミスをしなければいい」
「自分が何とかすればいい」
そして、自分を止められなくなるのです。
不正は「できません」と言えないところから始まる
信じられないかもしれませんが、本部の中でも不正は起こります。
もちろん、不正を正当化するつもりはありません。
不正は不正です。
越えてはいけない一線はあります。
しかし、現場にいた者として思うのは、不正は必ずしも最初から「悪いことをしてやろう」と思って起きるわけではないということです。
むしろ、最初は小さなごまかしです。
「少し遅れています」と言えばいいところを、
「ほぼ終わっています」と言ってしまう。
「確認できていません」と言えばいいところを、
「確認中です」と曖昧にする。
「この納期では難しいです」と言えばいいところを、
「何とかします」と言ってしまう。
その瞬間は、それで場が収まります。
上司から怒られない。
会議も乗り切れる。
周囲にも迷惑をかけずに済んだように見える。
けれど、問題は消えていません。
一度「できます」と言ってしまうと、次に本当のことを言うハードルはさらに高くなります。
そして、辻褄を合わせるために、また小さな嘘を重ねる。
資料を少し変える。
数字を少し動かす。
報告を少しぼかす。
記録を少し遅らせる。
最初は一時しのぎのつもりだったものが、いつの間にか隠すための行動になっていく。
なぜ、言えないのか。
単に怒られるのが怖いからではありません。
もっと深いところに、
「できない人間だと思われたくない」
という恐怖があります。
特に、ずっと優秀だと言われてきた人ほど、この恐怖は強い。
学生時代から成績が良かった。
難関大学に合格した。
会社でも期待されてきた。
周囲から「できる人」と見られてきた。
そういう人にとって、
「できません」
「分かりません」
「間に合いません」
と言うことは、単なる業務報告ではありません。
自分の評価が崩れるように感じる。
自分の価値そのものを否定されるように感じる。
だから言えない。
本当は、早く言えば大事にならなかったかもしれない。
早く相談すれば、誰かが助けてくれたかもしれない。
早く「無理です」と言えば、計画を変えられたかもしれない。
でも、言えない。
そして最後には、もっと大きな形で信用を失ってしまうことがあるのです。
「おかしい」と言う人が冷たくされる職場
本当は、誰かが言わなければならないのです。
「それはおかしいです」
「この期限ではできません」
「この前提では無理があります」
「このまま進めると危ないです」
冷静に考えれば、そう言う人こそ組織に必要なはずです。
ところが、現実には違うことがあります。
「できない理由を探すな」
「まずはやってみろ」
「本部なのだから何とかしろ」
「みんな苦しい中でやっている」
「あなたは少し後ろ向きだ」
そう言われてしまう。
そして、当たり前のことを言った人が、少しずつ冷たく扱われる。
会議で発言しにくくなる。
相談しても聞き流される。
面倒な人だと思われる。
評価上も、どこか扱いにくい人と見られる。
そうなると、人は学習します。
「おかしい」と言わない方がいい。
「できません」と言わない方がいい。
「危ないです」と言わない方がいい。
こうして、本当は止まるべき仕事が止まらなくなる。
誰も心の中では納得していない。
でも、誰もブレーキを踏まない。
その結果、組織全体がなぜか前に進んでしまう。
これは本当に怖いことです。
その先に待っているのは、担当者の疲弊であり、現場の混乱であり、時には体調不良であり、時には心の病であり、時には不正や隠蔽だからです。
「おかしい」と言う人は、組織の敵ではありません。
その人は、組織が壊れる前に鳴っている警報なのです。
止まる仕組みとは何か
では、止まる仕組みとは何でしょうか。
これは、とても難しい問いです。
上場会社であれば、株主からのプレッシャーがあります。
決算があります。
業績予想があります。
中期経営計画があります。
市場への説明責任があります。
現場から見ると、
「もう市場に約束している」
「経営が決めたことだから止められない」
「今さら無理ですとは言えない」
「この案件を止めたら誰が責任を取るのか」
という空気になりやすい。
一方で、オーナー企業なら簡単に止まれるのかというと、そうとも限りません。
オーナーが本気で、
「無理なものは止める」
「社員を壊してまでやらない」
「短期の利益より信用を守る」
「現場が危ないと言ったら聞く」
という価値観を持っていれば、上場会社より止まりやすいかもしれません。
しかし逆に、オーナーの一声で止まれなくなる会社もあります。
「社長がやると言ったから」
「会長案件だから」
「創業者の意向だから」
「反対したら終わりだから」
となれば、上場会社以上に誰も止められない。
つまり、上場会社かオーナー企業かだけで決まるわけではありません。
大切なのは、危険信号を出せるか。
途中で計画を変えられるか。
そして、それを言った人が守られるか。
ここだと思います。
止まる仕組みとは、単に休める制度があることではありません。
有給休暇がある。
産業医がいる。
コンプライアンス窓口がある。
内部通報制度がある。
もちろん、それらも大切です。
しかし、それだけでは人は止まれません。
本当に必要なのは、
「無理です」
「危ないです」
「おかしいです」
と早く言った人が、不利にならない仕組みです。
その声を、組織の警報として扱う仕組みです。
会社が壊れるとき、最初から大きな事故が起きるわけではありません。
小さな違和感が無視される。
小さな無理が積み重なる。
小さな嘘が許される。
小さな沈黙が続く。
その結果、最後に大きな破綻が起きる。
だから、会社に必要なのは、ただ走る力ではありません。
止まる力です。
そして、止まる力とは、個人の勇気だけではなく、組織がその声を受け止める仕組みなのだと思います。
会社人間になるほど、当たり前の感覚が薄れていく
仕事で大切なのは、特別な能力だけではありません。
難しい資料を作れること。
高度な企画を立てられること。
上司の期待に応えられること。
納期までに仕事を仕上げられること。
それらはもちろん大切です。
しかし、それ以上に大切なのは、誠実で、当たり前の感覚を失わないことです。
人が壊れるほど働くのはおかしい。
できないものを、できると言ってはいけない。
危ないものを、安全だと言ってはいけない。
間に合わないものを、間に合うふりをしてはいけない。
誰か一人に責任を押しつけて走らせてはいけない。
冷静に考えれば、どれも当たり前のことです。
けれど、会社という組織の中にいると、その当たり前が少しずつ見えなくなることがあります。
会社の理屈。
組織の都合。
上司の期待。
関係部署からの圧力。
評価への不安。
そうしたものに囲まれていると、本来なら人として持っているはずの感覚が、会社仕様に変わっていきます。
だからこそ、会社の外とのつながりを持つことが大切なのだと思います。
家族とのつながり。
友人とのつながり。
地域や社会とのつながり。
仕事以外の学びとのつながり。
会社の肩書きとは別の、自分自身としてのつながり。
そのつながりが、会社の中で麻痺しそうになる感覚を、もう一度、人間らしい場所へ戻してくれるのだと思います。
おわりに
会社は、仕事で勝つ方法は教えてくれます。
成果を出すこと。
納期を守ること。
責任を果たすこと。
期待に応えること。
それらは、もちろん大切です。
けれど、会社はあまり教えてくれません。
仕事に人生を奪われない方法を。
会社の外にある家族や社会とのつながりを守る方法を。
仕事だけではない人生全体を、どう設計するかを。
だからこそ、会社員にとって本当に大切なのは、ただ優秀であることだけではないのだと思います。
おかしいことを、おかしいと言えること。
できないことを、できないと言えること。
危ないときに、危ないと声を上げられること。
人が壊れる前に、立ち止まれること。
そして、そういう声を上げた人を、冷たく扱わないこと。
「できません」と言う人は、やる気のない人ではありません。
「おかしいです」と言う人は、組織の敵ではありません。
「このままでは危ないです」と言う人は、場を乱しているのではありません。
その人は、組織が壊れる前に鳴っている警報なのです。
止まることは、逃げることではありません。
人としての当たり前を守り、人と組織を守るための、もう一つの責任なのだと思います。
参考 ハンセンの「統合的人生設計」について
キャリア理論家のサニー・ハンセンは、キャリアを仕事だけで考えるのではなく、人生全体の中で捉える「統合的人生設計」という考え方を示しました。
分かりやすく言えば、キャリアとは「会社でどこまで出世するか」だけではない、という考え方です。
仕事。
家庭。
学び。
社会とのつながり。
人生の意味。
個人の転機。
こうしたものをバラバラに考えるのではなく、ひとつの人生としてつなげて考えていく。
会社員として働いていると、どうしても会社の評価が自分の価値のように感じられることがあります。
評価されれば、自分には価値がある。
評価されなければ、自分には価値がない。
仕事で失敗すれば、人生そのものが失敗したように感じる。
けれど、本来のキャリアはもっと広いものです。
どのように働くか。
何を大切にして生きるか。
誰とつながっているか。
何のために仕事をするのか。
転機をどう受け止めるのか。
そこまで含めて、自分の人生を考えていく。
私がこの考え方に惹かれるのは、会社員時代の自分を振り返ると、まさにこの視点が必要だったと感じるからです。
会社の中だけで自分を測らない。
肩書きだけで人生を決めない。
仕事だけで自分の価値を判断しない。
この感覚を持っているかどうかで、働き方も、人生の後半の見え方も、大きく変わるのだと思います。
※この記事は「元メガバンク支店長が語る 会社では教えてくれないこと」シリーズです。
メガバンクで30年以上勤務し、支店長として人事評価、人材育成、昇格推薦、組織運営に携わってきました。
会社では教えてくれないけれど、組織の中で働く上では知っておいた方がよいことがあります。
出世、人事評価、異動、資格、管理職、転職。
実際に評価する側だった経験をもとに、キャリアコンサルタントとなった今の視点も交えながらお伝えしていきます。
▼「元メガバンク支店長が語る 会社では教えてくれないこと」シリーズ一覧
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