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妖怪討究④ 夜行さん 変わりゆく節分の行事

導入

2月2日。節分ですねー。
「鬼はー外ー、福はー内ー」という掛け声とともに豆を投げる習慣は最近ではあまり見なくなりました…。
掃除が大変だからなのか、はたまたコロナが流行って声を出すことが憚られたからか。

さて、毎年2月3日(今年は2日)に行うこの行事。平安時代頃から行われている伝統的な行事だということは皆さんは知っていましたか?
節分とは2月に限らず季節の変わり目全般のことを指します。実は大晦日も節分なんですよ。
昔は季節の変わり目に邪気が生じると考えられていました。
今でも季節の変わり目、特に夏と秋、秋と冬の変わり目に体調を崩す人は多いのですが(私もです)、それも今では急激な温度変化に身体がついていけてないため、と科学的に立証されています。
昔は体調を崩す理由を鬼が取り憑いたため、と考えたのですね。

その様な鬼たちを追い払うために季節の変わり目の日に「追儺」という行事が706年から宮中で行われるようになりました。
方相氏と呼ばれる、鬼を追い払う役目の人が内裏を回り、陰陽師が邪気を払う呪文を読み上げる。そこへ貴族たちが桃で作られた弓と葦で作られた矢を使って都の外へと鬼たちを追い払う、というものです。

平安神宮での追儺式。

さて、長ったらしく節分の説明をした理由は勿論、この後に説明する妖怪に深く関わってくるからです。

※前回の妖怪討究も是非見ていってください。


はじめに

今回紹介する妖怪はこちら。

作:水木しげる 夜行さん

その名も妖怪「夜行さん」。
大晦日、節分、庚申の日、月に2,3回ある特定の十二支の日(子の日、午の日など)に首無し馬に乗って現れるという、一つ目の鬼です。
この妖怪に出会うと首無し馬に蹴り殺されると言い、それを防ぐためには草履を頭の上に乗せて地に伏せなければいけない、といいます。
なんとも物騒な妖怪ですが、見た目はなんとも穏やかそうに見えます。
しかしそれは水木氏の絵柄だから。

怖っ

いやだから怖いって

前回の百々目鬼と言い今回の夜行さんと言い、妖怪ウォッチっていつも改変してるよな!
今回は前回の百々目鬼とは違い、こいつは完全妖怪ウォッチオリジナルの姿です。多分。

まあそんなこんなでいつも通り討究していきましょうか。

百鬼夜行日

大晦日、節分、庚申の日、月に2,3回ある特定の十二支の日。先程も述べた夜行さんが現れるという日のことです。
この日たちは何も夜行さんだけが現れるというわけではなく、あらゆる妖怪たちの活動が活発になる日と言われています。
そして、妖怪たちが大名行列のごとく往来を行き来するイベント、百鬼夜行が起こる日でもあります。

百鬼夜行絵巻


ということで、そのような特定の日を総じて百鬼夜行日と言います。
百鬼夜行に遭うと死んでしまうため、平安貴族たちは恐れて家の外に出ないようにしたと言います。

忌み日

百鬼夜行日の種類に月に2,3回ある特定の十二支の日、というのがあると申しました。
これは室町の百科事典、「拾芥抄」という書物に具体的に載っています。曰く、ひと月ごとに子子午午巳巳戌戌未未辰辰、つまり、1月2月は子の日、3月4月は午の日、5月6月は巳の日、7月8月は戌の日、9月10月は未の日、11月12月は辰の日が、これにあたるといいます。
これらは総じて忌み日と呼ばれます。
古来、陰陽道の上で重要とされる日には神事が行われていました。そんな日に忌み日も昔は含まれていました。
そのためこの期間中、神様の邪魔とならないように、人々は物忌みを行って家に籠もっていたのです。
恐らく忌み日と言うのは、この神聖な祭りが行われなくなって神聖な意味が抜け落ちた日に、「物忌み」というマイナスな面だけが残って、運勢が「凶」である日だと伝わっていったものなのでしょう。
つまり、物忌みをするだけの「凶」の日にちに妖怪たちが活発に動き回る。かつては神事が行われていた日にちであったのに、これではまるで逆ですね。
神聖な意味が抜け落ちなかった神事の日は忌み日ではなく今でも祝日となっています。正月や節句などです。

庚申の日

庚申の日、というのは平安貴族たちにとっても重要な日で、眠っている間に体の中の虫が這い出て天帝にその人の悪事を告げ口する日です。その結果、寿命が縮んでしまうため、平安貴族たちは夜通し庚申講という宴会を開いて虫が出ないように見張ったと言います。
詳しくはこちらの記事に書いているので良かったらどうぞ。

そんな日が百鬼夜行が起こる日と被るだと…?と思いましたが、体の中の虫、所謂妖怪しょうけらの活動が活発になる日なので矢張り庚申の日は百鬼夜行日なのでしょう。
一応、しょうけらがこの日に活動する理由は天帝の化身である帝釈天の縁日であるから、なのですが…。恐らく日本と中国の伝承が混ざったのでしょうかね(よくあること)。

節分

さて、いちばん重要なのが節分です。
節分とは邪気が活発になる日、だと冒頭で説明しました。即ち、百鬼夜行日であるということです。
節分の日は鬼や妖怪が活動する日。その中でも大晦日と立春は邪気が物凄く膨らむと考えられていました。そのため、開始された行事が冒頭でも述べた追儺です。

追儺

追儺の起源は日本ではなく中国です。そこでは方相氏という、追儺を取り仕切る官職の人が、熊の皮を着て4つ目の仮面を付け神剣をもって魔を払うといいます。
方相氏が黄金の4つ目の仮面をかぶり衣と朱色の衣を着て戈をとって楯を上げて、120人の小儺たちと共に疫病神を追いかけて内裏の四門から払う儀式。これが追儺の原型です。
しかし、ここで追い払うのは鬼ではありません。
魍魎」です。死者の肝を好んで食べる化け物。

作:鳥山石燕 今昔画図続百鬼より 魍魎

水木氏曰く、魍魎が墓所で死体を食べないように、葬式のときに方相氏も同行して墓所に行き、穴に入って戈で四隅を打ち、この獣が来ないようにまじないをするのだそうです。

日本に伝わって追儺は暫くは魍魎を退治する儀式でした。
しかし、神祇官に代わって陰陽師が祭事を取り仕切るようになると、魍魎は鬼へと変わります。追儺は鬼、この場合、季節の変わり目の風邪を引き起こす病魔を退治する行事となったのです。

時が経るに連れて行事とは変わっていくもの。追儺も例外ではなく、平安末期〜鎌倉時代にかけて陰陽師が中央から失脚したことにより祭りの様式がガラリと変わります。
今まで鬼を追い払う役目を持っていた方相氏は鬼そのものとなり、節分の日に退治されるようになってしまいました。
目に見えない鬼よりも四つ目の仮面と熊の皮を来て矛と盾で武装した方相氏の方が民衆には怖く感じたのでしょうか。
追儺は方相氏を追い払うための儀式となったのです。
追うものが追われるものに。なんという逆転でしょう。
つまり、現在我々が「鬼は外福は内」と言って追い払っている鬼は、方相氏であるのです。

現在、鬼と方相氏を分化して分けている寺社は増えてきました。
昨日、吉田神社で追儺式が行われましたが、そこでは方相氏が鬼を追い払う従来のやり方で行っています。

室町に入ると宮中のこの行事が民間に伝わり、鬼を追い遣るための道具が桃弓葦矢からになりました。これが今の節分です。
豆は語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるといいます。
「鬼は外福は内」の掛け声もこの時代からです。

夜行さん

そんな日に百鬼夜行と共に現れる鬼の妖怪が夜行さんです。
冒頭の水木氏の絵では豆を持っていますが恐らく節分を意識してのものでしょうか。
水木氏の説明では夜行さんに出逢うと馬で蹴られるだけではなく手に持ったその豆を投げつけてくるというのです。
その豆には棘があってそれをこちらの目に向けて投げつけてくる。
鬼が、ですよ。本来豆を投げつけられる方の鬼が豆を投げつけてくるのです。目に向けて投げつけるところまで再現して。
これは先程の方相氏と通ずるものがあります。
昔は鬼を退治する方だったのに今は立場が逆転して節分の鬼となって退治される側になってしまった。
夜行さんとは即ち、そんな方相氏たちの恨みが生み出した妖怪なのでしょうか。
今となってはもう誰にも分かりません。

終わりに

百鬼夜行。特定の日にしか現れない妖怪の行列。
夜行さんは首無し馬に乗ってその先頭に立つという時もあれば行列から離れて一人で登場する時もあるようです。
妖怪の世界の赤い太陽、空亡が照らす中で、夜行さんは宮中から追われた方相氏、はたまた宮中から失脚した陰陽師の恨みを果たそうとしているのでしょうか。

真の意味での節分の鬼とは方相氏でも魍魎でもなく、夜行さんなのかもしれません。

次回予告

次回討究していくのは「土蜘蛛」。
源頼光に退治された妖怪、土蜘蛛。その伝説が載っている書物は南北朝時代、天皇が分裂していた時代に新しく王権について述べるために執筆されました。
土蜘蛛は何を表しているのでしょうか。妖怪土蜘蛛の起源を探ると全てが結びついて見えてくるのです。


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