妖怪討究③ 百々目鬼・百目鬼 その名前の本来の意味とは
導入
皆さんは自分の住んでいる場所の地名や最寄り駅の名前、町の名前について不思議に思ったことはありますか?
要するに何故この街はこんな名前なんだろう、何故こんな読み方するんだろう、などですね。
以前書いた記事では、日本の地名の中には縄文語由来の地名が幾つもあると紹介しました。縄文語とアイヌ語が似ているという学説からアイヌ語で地名を読み解いていこうというものです。
他にも「城」と名前のついた場所の地形を見てみると他より地形が盛り上がっていて城郭らしき跡があったり、「堀」とか「堤」とかの漢字がある地名には昔に堤防や川があったり。
今回の話もこんな地名の由来という話題に深く結びついてくるのです。
はじめに
今回紹介する妖怪はこちらです。

その名も妖怪「百々目鬼」。
「どどめき」、「とどめき」、「どうめき」などいろいろな読み方があります。石燕の絵に描かれている名前は「どどめき」。でも最近は専ら「とどめき」読みが多いですね。今回はこの後の説明も加味して「どうめき」と言う読み方で行きます。
一人の覆面をした女性が水辺のほとりに立っていますが、その腕には目玉がぎっしりと付いているというなんとも奇妙な姿です。上空には鳥が飛んでおり、彼女に横には何やら鳥山石燕による説明が書かれています。
さて、そこにはどういう事が書かれているのでしょうか。そして、タイトルに書かれているもう一つの妖怪、「百目鬼」とはなんでしょうか。
早速見ていきましょう。
百々目鬼
鳥山石燕が書いた説明にはこう書かれています。
「函関外史云。ある女生れて手長くして つねに人の銭をぬすむ。忽腕に百鳥の目を生ず。是鳥目の精也。名づけて百々目鬼と云。外史は函関(はこねからさき)以外の事をしるせる奇書也。一説にどどめきは東都の地名ともいふ」
要約すれば、函関外史という奇書が言うには、ある生まれつき手の長い女には盗み癖があり、他所から銭を常に盗んでいたと言います。すると、いつもの様に盗みを働いたあとふと見ると腕に百個の鳥の目が浮かんできていたのです。この女は鳥目の精、妖怪百々目鬼になってしまった、と石燕は解説します。
手が長い、即ち「手長」という言葉は盗癖があることを意味します。そして「鳥目(ちょうもく)」は江戸時代の言葉で銭という意味です。上空の鳥はその銭との洒落を意識したものでしょう。腕から鳥の目が生えてきたというのも銭との洒落です。
また、函関外史という書物は存在しないと考えられており、この妖怪は鳥山石燕オリジナルの妖怪だ、と見なされています。
一説によれば金銭のことを昔は「おあし」と呼び、それが腕にくっつく、つまり、「足がつく(お尋ね者や逃亡者の足どりがわかる)」という洒落から生まれたとも言われています。
こうして見てみると様々な言葉遊びから成り立った妖怪だと分かりますね。
なあんだ、石燕のオリジナルの妖怪ならこれ以上語れること無いじゃん…もう終わりかな…?
いえいえ。最後の一文を見てください。
一説にどどめきは東都の地名ともいふ
東都とは関東一帯のこと。
そして平成後期に空前の妖怪ブームを起こした大人気ゲーム「妖怪ウォッチ」もこの話を終わらせまいと、どえらい物を出してきました。

うおおい!!!姿が全く違うじゃないか!
百々目鬼って腕に無数の目を生やした女の妖怪であるはず。でも、ここにあるのは頭に角が付いた爪が鋭くて体全身が目だらけである鬼です。
そもそも百々目鬼は女性が生きながらにして妖怪になった存在で、鬼ではないはずです。
参考に水木しげるの百々目鬼を見てみましょう。

何がどうなってそうなった妖怪ウォッチ!!!
百々目鬼自体は石燕のオリジナルでも、妖怪ウォッチのこの姿や東都の地名うんぬんかんぬんの説明を見るにこの妖怪の原型となったものがありそうです。
そして、それを見つけるには妖怪「百目鬼」という存在を知らなくてはなりません。
藤原秀郷の百目鬼退治伝説
妖怪「百目鬼」。読み方は「どうめき」。百々目鬼と違って「とどめき、どどめき」とは読みません。栃木県に存在していた妖怪です。
百目鬼の姿は鳥山石燕も書いてないし水木しげるも書いていないのでアレなんですけど、ネットから拝借した画像はこちら。

全身目だらけで角が付いて描かれることもある、立派な鬼の妖怪です。妖怪ウォッチの百々目鬼と非常によく似ています。
さて、こちらの妖怪は栃木県の伝説で藤原秀郷という武将に退治されたという伝説があります。どういう伝説かの前に藤原秀郷について紹介しておきましょう。
藤原秀郷

939年、関東の豪族、平将門が親王を名乗って伯父の平国香を殺害、朝廷に対して反乱を起こします。所謂天慶の乱の勃発です。これを制圧したとして平貞盛とともに名前が挙げられるのがこの藤原秀郷。高校日本史の重要語です。文系の皆さん覚えましょう。
この天慶の乱の功績によって彼は関東二カ国の国司と鎮守府将軍に任じられたといいます。
江戸時代になって、妖怪が世間の流行になると、平将門は首塚の話から怨霊であるとされ、それを討ち取った藤原秀郷は怨霊を退治した英雄として、「俵藤太」という名前で様々な妖怪退治の話に出てくるようになります。
さて、この記事は妖怪についての記事なのでその百目鬼の妖怪伝説の話にさっさと行きたいところですが、藤原秀郷について語りたいことがいっぱいあるのでそっち優先させちゃいます。なので興味ない人は読み飛ばして先へどうぞ。
藤原秀郷の子孫について語るだけ(読飛ばしOK)
藤原秀郷。
彼が今日まで有名である理由は、天慶の乱を収めたからでも妖怪退治をしたからでもありません(いや多少はあるけど)。
彼が有名な理由は彼が多くの子孫を残したからです。
どのくらい多くの子孫がいるかというと戦国時代は源氏と平氏と藤原秀郷ですべて語れるとも言えるくらいです(暴論)。
まず有名な子孫としては奥州藤原氏。藤原清衡、基衡、秀衡です。平泉の中尊寺金色堂で有名な彼らは実は藤原北家本流ではなく、藤原北家魚名氏秀郷流の末裔です。

さて、他にどんな子孫がいるかというと、


いすぎやろ。
この中で有名な人達を抜粋して雑に紹介します。

大友宗麟。九州のキリスト教に狂った大大名。
前半生は良かったんですけど後半生になってからは島津のせいでもう何処ぞの大内義隆みたいに没落していった人です。
はい、次。

肥後の熊、龍造寺隆信。大友宗麟と島津義久とずっといがみ合ってる人。
昔からガタイの良いイケおじとしてしか自分の中で変換されません。どうしましょう。あと昔から沖田畷が読めませんでした。すみません。
こいつより家臣の鍋島直茂のほうが有名説。
はい、次。

大友宗麟の家臣、立花道雪の養子、立花宗茂。兜が特徴的な方。最近歴史探偵で取り上げられましたね。戦国最強の呼び声も高くファンも多い。
50回以上戦場に出て一度も負けることがなかった豊臣徳川一の猛将です。
ここまで全員九州の武将たちです。なんで秀郷の子孫の戦国大名って九州に集中してるんでしょう。こちらの疑問、Twitterで数ヶ月前に投稿したのですが、つい先日答えてくださった方がおり、その人によると秀郷の子孫は京武士や坂東武者になり、鎮西八郎為朝を追討するために九州に送られたのがその中の京武士である龍造寺氏、それとは別に大友氏や少弐氏は坂東から九州に送られた西遷御家人らしいです。有益な情報提供、ありがとうございました。
はい、次。

蒲生氏郷。茶人でキリシタン。利休七哲の筆頭。秀吉に100万の軍を任せてみたいとまで言わしめた男。凄い人なんだけど影薄い人。
はい、次。

結城秀康。家康の息子でありながら生まれたての顔が醜いとか言われて養子に出された可哀想な人。「家康が秀頼を攻撃しようとするなら俺が家康を倒しに行く」とまで言ってたのにその前に死んじゃうなんて…司馬遼太郎の「関ケ原」の石田三成との会話が好きです。
あと文章量から分かる通り、推し武将です。
戦国大名多すぎやろ。
次はその他の時代の人たちです。はい。次。

比企能員。鎌倉殿の13人、佐藤二朗さんお疲れ様でした。13人の合議制の中で一番好きだったかも。
はい、次。

田沼意次。江戸時代を代表する悪名高い老中…なんですが、最近は歴史界隈を中心にその財政改革が高く評価されてきています。そのせいで賄賂が横行したのも事実なんですが…彼が賄賂を受け取ったという事実は一応無いことも考慮していただければと思います。
以上で、藤原秀郷の子孫たちの紹介を終わります。
いやー、メンツ濃いっすねー。説明だいぶ端折りましたが。別に字数稼ぎのためにこんな事したわけじゃないですよ!!なんかこういう事しないと本来自分の好きなものは歴史なのにずっと妖怪だけ語ってて、日本史マニアじゃなくて妖怪マニアって見なされそうじゃないですか(実際そう)。すみません、日本史にわかオタクです。
以前に源頼光と四天王の家系図をまとめてみよう!という事をしたんですけども、藤原家も入れたらどうなるのかな、秀郷流ヤバいな、って思いました。
下が頼光たちの家系図をまとめた結果出来たものです。

つまり坂上氏+嵯峨、仁明、清和源氏+桓武平氏(おまけで藤原氏)
興味のある人はこちら。どうぞ。
さて、秀郷の妖怪伝説の話に戻りましょう。
百目鬼伝説
これは栃木県の兎田、今の宇都宮に伝わる伝説です。
藤原秀郷がある日、狩りから帰っている途中、田原街道と呼ばれる場所を通っていると、老人に呼び止められ、「ここから北西の兎田と呼ばれる場所の馬捨場で夜な夜な百の目を持つ鬼が現れて馬の死体を喰らっていて困っているので退治してほしい」と依頼されます。
ならばと、秀郷は得意の弓矢を持って兎田で待ち伏せをすることにします。
すると丑三つ時、妖しげな黒雲があたりを包み、3mもの巨人が現れました。全身には刃のような毛と百の目玉があり、なんとも異様な姿。
鬼はそのまま秀郷に見向きもせずに馬捨場に捨てられていた馬の死体に齧り付きます。
今だ、と秀郷が心臓付近の目を弓矢で射ると、その目は急所に繋がっていたよう。鬼は苦しみながら近くの明神山というところまで逃げましたが、二荒山神社前で力尽きて倒れてしまいます。
しかし、鬼は倒れたあとも体から炎を上げ、猛毒を発し続けました。秀郷も手が付けられず、一旦屋敷へ引き返します。
翌朝秀郷が二荒山神社前にに行ったところ、その場には何かが焼き焦げた跡があっただけでした。
この話から兎田一帯は百目鬼と呼ばれるようになったと言います。
さて、と。以上が秀郷の百目鬼伝説の概要です。
ここで注目すべきは鬼の急所と百目鬼という地名です。
まず、鬼の急所です。これに注目した理由はこれです。

そう、妖怪ウォッチのエセ百々目鬼。そこに書いてある説明は「どれかひとつの目だけが心臓につながっていて、そこを矢で射ることでしか、倒すことが出来ないらしい」。
完全に秀郷の百目鬼伝説と一致しますね。
つまり、この妖怪は百々目鬼ではなく栃木の百目鬼、だということです。全く違うやん。
続いて「百目鬼」という地名についてです。「どどめき」という地名が関東に存在するようだ、と石燕が言っていましたが、妖怪繋がりで考えると恐らくこの兎田一帯でしょう。
wikipedia情報ですが、現在は百目鬼通りという名前で残っているそう。googleマップで調べてみました。

栃木県庁や二荒山神社、慈光寺などに非常に近い場所に百目鬼通りがありました。

昔の地図と比較してみたら丁度二荒山神社があったところと百目鬼通りが一致します。
つまり、この伝説は地名の由来を表す伝説だったのですね。
さて、皆さん。ここまで百々目鬼や百目鬼といった妖怪について語ってきましたが、疑問に思うことはありませんか?
何故「百々目鬼」や「百目鬼」で「どうめき」と読むのでしょうか?
そもそも「どうめき」って何?
そう、ここまでは妖怪の概要を述べただけでこの妖怪の本当の正体というのは全く突き止められてないのです。
「どうめき」ってそもそもなんなのでしょうか?
「どうめき」って?
藤原秀郷の百目鬼伝説というのは、栃木の地名、百目鬼通りの由来を説明するために創作された伝説なんです。つまり、「百目鬼」という地名に厨二心をくすぐられ恐れを抱いたその土地の人々がこじつけでこの様な伝説を作り出したのですね。
何が言いたいかと言うと、この百目鬼伝説は百目鬼通りそのものの由来を本当の意味で説明するものではなく、そもそも百目鬼というのは妖怪の名前では無いということです。
実は「どうめき」というのは百目鬼という妖怪うんぬんかんぬん関係なく元々土地の名前なのです。
「どうめき」の地名の由来
「どうめき」という地名は珍しくありません。寧ろ全国各地に分布しており聞いたことがある人も多いと思います。
「どうめき」という読む地名の漢字の並びは沢山あります。百目鬼、道目木、百目木、百笑、百成、道貫、藤貫、道免き、などなど…
ポピュラーなのが「百目鬼」、「百目木」、「百目木」であり、「どめき」「どどめき」とも読むことが出来ます。
例に幾つか出しましょう。
百目鬼温泉

山形県の長谷堂城跡の近くに「百目鬼温泉」という有名な温泉があります。
読み方は「どめきおんせん」。
温泉は熱さもありますがマンガン、鉄を過剰に含んだもので、成分が濃すぎるので、湯あたりを避けるために3分以上の入浴を控えるようにと言われています。なんでもそのせいで「ウルトラマン温泉」とも呼ばれるのだとか。
田園の中にぽつねんと佇むその温泉は、農業用水を掘削中にお湯が湧出したことをきっかけに、その辺りの地名、「百目鬼」から取って「百目鬼温泉」と名付けられオープンしたそうです。

百成
石川県輪島市に門前町百成という地名があります。百成の読み方は「どうめき」または「どうみき」。
本当に何も無い…ザ・山の中って感じです。
本郷百成八幡神社という神社があるらしいですが詳細は不明。
昔は百成村という村があり、それがそのまま地名になったのだと。
でも、重要なのはその立地。

マジでザ・山の中って感じですね…
でもこの立地、先程の百目鬼温泉と通ずるものがあるのです。詳しくは後述します。
道目木

お次はバス停です。読み方は「どうめき」。福岡県にあります。
どうやら、「百目鬼」「百目木」という漢字は東北に、「道目木」という地名は九州に多いようです。
こちらもまた上二つと共通点があります。
百目木

山形県。最上川の近くに位置するバス停に百目木という場所があります。
このバス停の近くには斎藤茂吉の歌碑や最上橋、米沢藩の屋敷跡など歴史的な史跡が盛り沢山です。
さて、ここで共通点発表。
「どうめき」という地名は全て川の近くにあるんです。
どうでしょう。気付きましたか?
そう、この川の近くにある、というこの立地が「どうめき」という名前の由来に深く関わっているのです。
他にも沢山「どうめき」と読むことの出来る地名が数多く存在しています。多くは村の名前だったりバス停になってたりと大きくその存在感が主張することはないですが皆さんも探してみてはいかがでしょうか。
「どうめき」の由来
さて、「どうめき」とは何なのか、という問題提起をしました。その答えは先程も強調した通り「川」が関係しています。どういうことでしょうか?
「どうめき」又は「どめき」と読む地名は全て「轟(どめ)く」という動詞から来ています。
この「どめく」というのは川の音が轟々と流れる様、馬車や人がガヤガヤと入れ乱れる、一種の喧騒を表した動詞です。「轟く」というのは「とどろく」とも読みますがその意味とほぼ一致していると言えます。
この様な川の音が鳴り響いている事を表す動詞を地名にしたのは他にも幾つかあり、「ざわめき」「がらめき」等という物が当てはまります。
その実、「百目鬼」と書いて「ざわめき」と読む地域もあるようです。
また、「百」と書いて「どう」と読むのは、川が滔々(とうとう)と流れる様を十(トウ) ✕ 十(トウ)=百(ドウ)としたからであると言われています。
これらは全て柳田翁の「地名の話」から引用したものですが、柳田翁は珍しいことに妖怪「百目鬼」に触れていません。
つまり、地名としての「どうめき」の由来を説明するときに、誤った由来の伝え方であった「百目鬼」の伝説は邪魔になるものなんですよね。
柳田翁は妖怪学にも精通しているので「百目鬼」について知らないとは考え難く、意図的に説明を排除した、と考えて良さそうです。
因みに東京の高級住宅街、「等々力」も似たような由来を持ってます。
等々力渓谷が今の渓谷の深さになるまでにはいくつかの段階があり、途中に滝ができたりそれが崩壊したり、そしてまた滝ができたりを繰り返したのであろうと推測される。 その崩壊の音はまさに轟くような音がしたので、「トドロキ」という地名になったと思われる。
こちらは「轟く」の「とどろく」という読み方のほうが採用されてできた地名のようです。
地名は苗字にもなり得ます。ということで「どうめき」という名字を持つ人も世の中にはいらっしゃるのです。





うわあ、結構希少なんですね…
しかも地名に見られない「ももめき」や「どうめ」などの読み方も多い。
これらの苗字を持つ人の中で有名人といえば昭和の文芸評論家、百目鬼恭三郎氏でしょう。
私はこの名前がペンネームだとずっと思ってましたが、どうやら本名らしいんですよね。珍しい苗字だ…
まとめ
百々目鬼・百目鬼についての説明でした。如何でしたでしょうか。
結局百々目鬼は何だったのかと言うと、「百目鬼」という恐ろしい地名と、その地名から創作された「百目鬼」という妖怪からインスピレーションを得て当時の江戸の風俗や言葉遊びを組み合わせて石燕が作ったオリジナルの妖怪です。
ですので、妖怪「百々目鬼」と「百目鬼」は一緒に取り上げられる機会も多いですが、決して同列に扱われることはない、決して同じものではないのです。
御当地妖怪の百目鬼より石燕の百々目鬼が有名なため、百々目鬼の別名として百目鬼を挙げているものも多い(それは先程述べた通り間違いなのですが)のですが、妖怪ウォッチは反対に百目鬼の姿に百々目鬼という名前を当てています。
恐らく鬼のほうが見栄えが良いとかそういう理由で栃木の兎田の鬼の姿を採用し、知名度的に百目鬼よりも上である百々目鬼を名前として採用したのでしょうね。何にしても百目鬼と百々目鬼が同列に扱われたという事実には変わりは無いのですが。
もしかして妖怪ウォッチの運営、百目鬼を百々目鬼としたのってこの技がやりたかったからっすか?だとしたら寒いっすね。奇譚のない意見ってやつっす。

水木しげる氏は百目鬼は書いていないのですが、よく似た妖怪は描いてます。

その名も妖怪「百目(ひゃくめ)」。この妖怪は水木氏オリジナルの妖怪ですが、恐らく百目鬼からインスピレーションを得ていると私は思います。これが藤原秀郷に退治された「百目鬼」の姿に一番似ているのでしょう、という話でこの話を締めたいと思います。
御精読有難うございました!
次回予告
次に紹介する妖怪は「夜行さん」。節分や庚申の日など特定の日にちにだけ現れる妖怪。
会ったら最後、彼が乗っている馬に蹴り殺されると言います。
また水木しげる氏の絵では大豆を抱えています。何でも大豆を人に投げつけるのだとか。
節分との関係は?節分ってそもそも何?方相氏とは?
奇しくも次も妖怪ウォッチに登場する妖怪だけど全く関係ないからね!!!
