#021 修学旅行は奈良盆地・我が家の古墳
講義録 『修学旅行は奈良盆地』
お待たせしました。
いよいよ…?
やっと…?
古墳時代です。
もしタイムマシンがあるなら、
私がいちばん行ってみたい時代は古墳時代です。
授業でそう話すと、生徒は驚きます。
「古墳時代ですか?」
「何だか意外…」
そうなんです。
日本史の中でも、
これほど謎が多い時代はありません。
誰が作らせたのか。
前方後円墳は、なぜあの形なのか。
あの形は何を意味しているのか。
あれほど巨大な古墳を築く以上、
設計図があったのではないか。
完成形を共有しなければ、
あれほど整った古墳は築けなかったはずです。
その建設現場を、この目で見てみたいのです。
弥生時代を思い出してください。
弥生時代にも王はいました。
しかし、その多くは小さなクニを治める王でした。
ところが、古墳時代になると景色は一変します。
広い地域の人々を動かし、
巨大な古墳を築かせる支配者が現れます。
その変化は、古墳の分布にも表れています。
古墳は全国に約16万基あります。
しかし、200メートルを超える前方後円墳35基は、
奈良県と大阪府に集中しています。
さらに、古墳時代前期の前方後円墳の多くは
奈良盆地に築かれました。
この分布から、
奈良盆地を中心に有力な政治勢力が形成され、
各地へ勢力を広げていったと考えられています。
奈良盆地に、何者かがいたのです。
面積は約300㎢。
東京23区の半分ほどしかありません。
そこに全国を動かす政権が生まれました。
それが、ヤマト政権です。
神武天皇が即位したと伝えられる地も、
藤原京、平城京が置かれた地も、
奈良盆地です。
こうして古墳時代が幕を開けます。
巨大古墳に眠るのは誰なのか。
なぜ地方にも巨大古墳が築かれたのか。
ヤマト政権が地方豪族に古墳造営を認めたのか。
それとも、地方豪族が独自に築いたのか。
古墳時代には、まだ多くの謎が残されています。
だからこそ、
私はこの時代へ行き、
自分の目で確かめてみたいのです。
とりあえず修学旅行は、
奈良盆地だけ。4泊5日。
学年主任の権力で来年には決定します。
余談 『我が家の古墳』
実家の墓は、日当たりがあまり良くありません。
大きさも、周囲の墓と比べると
一回り…二回りほど小さい気がします。
巨大古墳どころか、円墳にもなりきれない。
どこか控えめなサイズ感。
さらに、いつもカラスの糞の痕跡があります。
木の下にあるからでしょうか。
墓参りのたびに、考えます。
恐らく、祖先は、古墳を造らせる側ではなかった。
造る側だったのではないか。
土を運ぶ。
石を積む。
埴輪を作る。
指示を受けながら、黙々と古墳を築く。
教科書に名前は残りません。
歴史を築いてきたのは、
そうした名もなき人々です。
そう考えると、
誇らしい気持ちになります。
墓は、その人の人生を語ります。
残された人の思いも受け止めます。
私にとって実家の墓は、
ご先祖様に手を合わせる場所であると同時に、
父と向き合う場所でもあります。
父が入院しているとき、
東京の病院への転院という選択肢もありました。
病院の先生からも提案されました。
地方の病院では難しい治療でも、東京なら…。
兄と相談しましたが、
距離も費用も、現実は簡単ではありませんでした。
「転院していたら、父は助かったのではないか。」
そんな思いは、今でも完全には消えていません。
同じ病気でも、
住む場所や経済的な事情によって、
助かる命と助からない命がある。
それが現実です。
誰にでも、
生まれ、老い、病み、そして死ぬ瞬間は訪れます。
この「生老病死」だけは、平等です。
だからこそ、
人生の入口と出口、
そして自分ではどうにもならないことくらいは、
平等であってもいいのではないかと思います。
出産、介護、治療、葬儀、墓。
全員に良質な医療を。
全員に平等な墓を。
そして、全員にカラスの糞害のない墓を。
命に差はありません。
父の墓を見るたび、
祖先のこと、
歴史のこと、
そして父のことを考えます。
墓石をきれいに磨き、
カラスの糞もきれいに掃除します。
最後に手を合わせます。
「またカラスにやられてたよ。」
「次のお墓参りまで我慢してね。」
この余談をすると、
生徒たちは神妙な表情で耳を傾けてくれます。
古墳や歴史の話から始まりますが、
最後にたどり着くのは、
生老病死や介護、医療、そして家族のことです。
歴史は過去を学ぶ教科ですが、
ときには今を考え、
これからの社会を考える教科でもあります。
身近な話だからこそ、
自分の家族や将来に思いを巡らせるようです。
noteでは授業の講義録を書いていますが、
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