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社員を信じることと、経営判断を委ねることは違うーー信頼と経営判断の境界が曖昧になるとき

経営相談や創業セミナーなどを通じて、多くの経営者と接してきました。

順調に事業を伸ばしている会社もあれば、
残念ながら経営が立ち行かなくなった会社もあります。

その理由は一つではありません。
売上の減少、資金繰り、人材の問題、環境変化など、
さまざまな要因が重なって経営は変化しますから、
外から見える一面だけで原因を語ることはできません。

その中で、今も心に残っている二人の経営者がいます。

お二人とは、創業セミナーをきっかけに知り合い、その後も交流が続きました。
継続的な経営支援をしていたわけではありませんが、折に触れて近況を伺ったり、相談を受けたりすることがありました。

そのため、私は二つの会社の経営のすべてを知っているわけではありません。

それでも、二つの事例では偶然にも、
経営者と社員との関係が経営判断に大きく影響していたように見えました。

ちょっとした「ずれ」の積み重ねが、
経営が立ち行かなくなったのではないかと考えています。

だからといって、社員が悪かったと言いたいのではありません。
経営者も社員も、どちらも会社を良くしたいと思っていたからこそ、
気づかないうちに経営の歯車が少しずつずれていったように感じています。

信頼は、少しずつ形を変えていく

二つの会社では、事業をさらに成長させようと、
新規事業のノウハウや経験を持つ人材を採用していました。

社員からは、次のような熱意ある提案を受けることもあると思います。
「この事業は伸びるので、設備を入れましょう。」
「人を増やせば売上はもっと上がります。」

ノウハウを持つ社員、これまで成果を出してきた社員であれば、
経営者はその提案に耳を傾けます。

社員の経験や専門性を信じ、任せることは、
事業を進めるうえで欠かせません。

しかし、その信頼が少しずつ形を変えてしまうことがあります。
 
最初は仕事を任せていただけだったものが、
次第に事業の進め方にも広がっていく。
そして、投資や採用についても、社員の提案に沿って判断するようになる。

その時点では、誰も間違ったことをしているとは思っていません。
会社を良くしたい。社員の力を生かしたい。
その思いと判断を積み重ねた結果なのです。

「任せる」と「経営判断を委ねる」は違う

社員は、自分が担当する事業や現場のことは、誰よりも詳しくなります。
だからこそ、提案には説得力があります。

一方で、経営者が見なければならないものは、それだけではありません。
資金繰り、会社全体の利益、他部門への影響、将来の投資余力、
万一うまくいかなかったときのリスクなどを見なければなりません。

社員は担当領域の責任者ですが、経営者は会社全体の責任者です。

社員の提案を尊重することと、
その提案どおりに経営判断をすることは、同じではありません。

この境界が少しずつ曖昧になったとき、
経営は思わぬ方向へと進んでしまうことがあるのです。

一度立ち止まりたい考えたいとき

新しい事業を始めても、当初の計画どおりに売上が伸びるとは限りません。

成果が出る時期が遅れたり、人件費や経費が想定以上に増えたりすることもあります。

もちろん、事業を進めるために追加投資が必要な場合もあります。すぐに成果が出ないからといって、取り組みを止めることが適切とも限りません。

だからこそ、続けるか止めるかを決める前に、経営者として留意したいことがあります。

1.期待だけでなく、計画と実績の差を見る

将来の売上を正確に予測することはできませんが、
当初の計画と実績にどのような差が生じているのか、
その理由は何かを確認することはできます。

「もう少し続ければ成果が出る」という期待だけでなく、
売上や利益、費用、資金繰りなどの数字を踏まえて、
現在地を見直す必要があります。

2.追加投資の前に、これまでの判断を振り返る

人員、設備、広告費などを追加する前に、
なぜ当初の見通しが外れたのかを検証することが大切です。

これまでの判断を振り返らないまま次の費用を加えていくと、
計画を修正しているのではなく、
止める判断を先送りしているだけになることがあります。

追加投資によって何が変わるのか。
どの程度の成果を、いつまでに求めるのか。
そこを改めて明確にする必要があります。

3.経営者自身が理解し、説明できる状態にする

社員の方が、その分野について詳しいことは珍しくありません。
経営者が、専門的な知識のすべてを持つ必要もありません。

それでも、
何に、いくら使うのか。
どの数字を成果の目安とするのか。
うまくいかなかった場合、会社が負担する損失はどこまでか。
どの時点で続行、修正、中止を判断するのか。

こうしたことについては、経営者自身が理解し、
自分の言葉で説明できる状態にしておく必要があります。

社員の経験や意欲を尊重しながら、会社全体を見て判断することは、
経営者にしか担えない役割です。

立ち止まることも、経営者の役割

「ここまで進めたのだから。あと少しで成果が出るかもしれない。」

その気持ちは、とてもよく分かります。
しかし、そのときこそ立ち止まって、考える必要があります。

当初の計画から外れていないか。
投資額は妥当なのか。
会社全体として負担できる範囲なのか。
成果が出なかった場合でも、会社は耐えられるのか。

立ち止まって確認することは、社員を疑うことではなく、
会社を守るための、経営者の責任です。

この話を書く理由

このような話を書くことには迷いがありました。

うまく行かなかった会社のことを取り上げるのは、その方々に失礼ではないか。
私は二つの会社を継続的に支援していたわけでもなく、経営の全体像を知っているわけでもありません。
知っている事実だけで、経営が立ち行かなくなった理由を断定することもできません。

それでも書こうと思ったのは、今まさに同じような場面に立っている経営者がいるかもしれないからです。

私は相談の場で、ときどき、このように話すことがあります。
「似たような経過をたどって、厳しい状況になった会社を見てきました。」

うまくいかなかった事例は、挑戦を止めることでもなく、誰かを責めるためでもありません。
今なら、まだ立ち止まって考えられるかもしれないと思うからです。

これから挑戦する経営者や、すでに事業を進めている経営者が、自分の判断を振り返るために生かすことができるのではないか。

私はそう考えています。

信頼と責任の間で

社員を信じることは、経営者にとって大切な姿勢です。
人は、信じてもらえるからこそ力を発揮します。
だからこそ、社員に任せることを恐れる必要はありません。

一方で、会社の未来に責任を持つのは経営者です。
社員の意欲や挑戦を尊重しながら、会社の財務や、そこで働く人たちの生活まで見渡し、最後に判断する責任があります。

「人を大切にする経営」とは、社員の意見をすべて受け入れることではありません。

社員の声を丁寧に聞くことと、その思いを尊重する。
そして、会社全体の未来を見据え、ときには立ち止まり、ときには異なる判断をすること。
その両方があって初めて、人を大切にする経営になるのではないでしょうか。

社員を信じて任せることと、経営判断を委ねることは違う。
その境界を問い続けることこそ、経営者の大切な役割なのだと思います。

〈このnoteを書いた人〉
有村知里(Chisato Arimura)

アイパス経営コンサルティング株式会社 代表取締役
中小企業診断士/人本経営学修士(EMBA)
横浜を拠点に、中小企業の経営計画づくりと実行、チーム力向上を支援する中小企業診断士。1997年創業、2021年法人化。
「小さくても強くてやさしい会社づくり」を掲げ、「人を大切にする経営」「五方良し経営」を軸に、利益と品格を両立する経営を大切にしている。

経営者の想いを言葉にし、社員と共有できる形に整えながら、現場で動く経営計画、相談しやすい組織、対話が生まれる仕組みづくりを伴走支援している。

会社HP:http://www.arimura-c.com/

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