小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(52)君の瞳で
Chapter52
「あなたは、誰⋯⋯?」
ロウソクの灯りの中でゆっくりと立ち上がる黒装束のレナは、トムを見つめながら問いかけた。彼の胸は感じたことのないほどに高鳴り、彼女の顔を直視できずに視線を逸らした。
「ぼ⋯⋯僕は、トムだよ、トム! 君はその⋯⋯レナ、なんだよね?」
「⋯⋯トム? わからない⋯⋯私は、あなたを知らない⋯⋯」
トムは声も姿も間違いなくレナであることを確信しながらも、彼女が自分を認識しない現実に動揺し、手が震え、額には汗が浮かんだ。すぐさま彼は優先順位に則って、思考を切り替えるべく彼女に質問を投げかけた。
「わかった! 君は一時的に、記憶が飛んでしまっただけだと思う。でも大丈夫だよ。無事にまた、君に会えただけで⋯⋯はは」
「記憶が飛ぶ⋯⋯? あなたは、私を知っている⋯⋯?」
「う、うん。僕は君の⋯⋯幼馴染で、その⋯⋯今はわからないかもしれないけど⋯⋯良かった、安心したよ」
「幼馴染? 私のことが⋯⋯心配?」
そう言いながらレナはトムに近づいて来た。声のトーンがいつもよりも低いせいか、彼女が醸し出すクールな魅惑に、彼の声はうわずった。
「そ、そりゃそうだよ! あの『絵本の世界』でレナを見つけなきゃって、僕は必死に君を⋯⋯」
「⋯⋯君を?」
距離を詰めるレナに対して、トムは反射的に後退りを始めた。彼にはかつてない感情が湧き上がり、彼を支配し始めていた。ジリジリと後ろに下がるうち、トムの手がヒヤリと冷たい鏡に触れた。彼は背後の鏡と前に迫るレナの間に追い詰められていた。
「レナ⋯⋯その、君は何だかいつもと雰囲気が違うような? その服だって、魔術的な感じがするし、その⋯⋯」
レナは無言で、ゆっくりとトムの顔に手を伸ばしてきた。彼女の顔が、さらに近づいていく。
「あの⋯⋯レナ⋯⋯?」
「後ろの鏡⋯⋯見て。文字が描かれている⋯⋯」
「え?」
トムは頭を目一杯後ろに振り向けて、背後の鏡を確認した。その表面には何やら赤い文字が大きく不気味に描かれていた。それはかつて彼が「悪夢の旅」の始まりで体験した、解読不能な記号の羅列だった。
「これは⋯⋯僕が『絵本』をめくった時に現れた、あのアルファベットか?」
──NEDD I BROF ──
レナの左手が優しくトムの右肩にかかると、彼は「ひっ」と小さく声を上げた。
「あなたの背中に⋯⋯まだ続きがある。それを読ませて」
トムは身体をずらし、振り返って鏡を見た。そこには霞んだ文字で赤黒く「TOM」と描かれていた。
「えっ⋯⋯これは僕の名前か? 何だこれは⋯⋯どういう意味だ?」
「この⋯⋯組織の一員⋯⋯、禁忌の集団の一人⋯⋯」
「え⋯⋯組織? 一体、何のことだよ? これは⋯⋯」
トムは、大人びたレナの魅力から一時的に目が離れ、鏡に映る謎の文字に意識が向いた。

