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内面? 外見?

笑顔を作るために表情筋トレを始めたので自撮りをしている。

正確に言うと、それ以前から自撮りはしていたのだった。自問自答ファッションを始めてオンラインのメイクレッスンに申し込んだ際、自撮りした顔を事前に送る必要があった。そうしてまじまじと見た自分の顔は我ながら色々課題が多く、せめて口角を上げよう、上げる練習をしようと思って自撮りを始めた。出勤前、メイクを終えて家を出る直前に撮る。専用フォルダに入れたり見返したりは家を出てからする。じっくりは見ない。

先日机を整理していたら、歯医者で撮った矯正前の自分の顔の写真が出てきた。
歯科矯正はコロナ禍後に開始した。歯の矯正、特に抜歯はしばしば頬がこけるなど、美容面でネガティブに働くことがある、という話がある。そういえばその辺りはチェックしてなかった、矯正前から顔の形はどれだけ変わったんだろうと思ってiphoneのフォルダを「顔」で検索した。

結論から言うと顔はずいぶん変わっていた。

ただそれは抜歯(上下二本を抜いた)の影響もあるが、顔筋の衰えや食いしばりの影響の方が圧倒的に大きいような気がした。iphoneに残っていた最も古い自分の顔の写真は7年前。まだ矯正は開始しておらず、実家を出たばかり、あるいはその直前だ。この年の自分の顔が大きく映った写真は3枚、その中にはrmkのメイクレッスンに行った時の写真もあった。
レッスンを受けたばかりの自分の顔は当然ながら、普段の、職場に行っていた時よりもしっかりと、プロの手によるメイクが施されている。にも関わらず、当時の自分の顔は今よりずっと老け込んで見えた。端的に言うとほうれい線が今よりはっきりくっきり入っている。顔も大きいし眉もたぶん手入れされていない。そして眼鏡が顔に合ってないのもあってか何処かむっとしたような、きつい印象を与える表情をしていた。
その後矯正を開始した後、つまり3年前の、メイクレッスンを受ける直前の顔は顔全体の輪郭こそ変わりほうれい線は多少薄くなって(!)はいるものの、上記の点はほぼ変わっていなかった。歯を見せるタイプの笑顔はやってもいない。自分の笑顔は可愛くない、気持ち悪いと思っていた。
instagramやyoutubeにはよく劇的ビフォーアフターとして数年前の自分の顔と今の自分の顔を並べて見せる人がいるけれど(そして大抵、後者の写真はそもそもライティングからして違っててずるいなーと思う)、わたしも自分の自撮り写真で似たようなものはできるな、と思う。その程度には変わっている。

実家を出たばかりの頃。出るまでの経緯もあって自分の人生にはそれなりに絶望していたし、こうなるまで何もせず放置していた(と思っていた)自分にも腹が立っていた。できるだけ遠くに行きたかった。
今更だ、みっともない、何をやろうと変わりようがない。
そういう内心の声を撥ねのけるようにしてメイクレッスンを受け、ボーカル教室に通い、合唱団に入った。今にして思うと当時から、自分の外見や顔に強いコンプレックスがあること、スポットライトを浴びてみたかった(文字通りの意味でも比喩的な意味でも)ことには気付いてはいたのだ。
メイクレッスンを受け、道具も揃えた。けれどその後の練習(例えば眉を綺麗に見せるためにコンシーラーを使うとかビューラーを使うとか)は中々継続できなかった。当然の結果ではあるけれど、メイクが格段に上手くなるといったこともなかった。多分、かいまり先生(オンラインのメイクレッスンの先生)は、わたしが過去に複数回メイクレッスンを受けた経験があると知ったらびっくりすると思う。
歌の進歩も微々たるものだった。リップロールは毎日練習したらできるようになったけれど、息漏れは中々改善せず、声量も増えない。もちろん即座にプロ級に上手くなる筈はないとわかっていたし、そこは覚悟の上ではあったけれど、わたしの所属している団体はわたし以外はみんな個人でのライブ経験があるという特殊環境で、劣等感は常にあった。団体練習では他の人と音がずれたらどうしようといつも不安だった。歌や楽器が上手くなりたかったら録音するのがいいとどこかで読んで、でも自分の下手な歌声を聴くのが嫌だった。それができるようになるまでには数年かかった。

当時通っていたボーカル教室にはコンテストがあって、提出用の歌唱動画が残っている。コロナ禍に抑うつで休職し、痩せた身体をどうにかしなければと焦って食事に追加してプロテインを飲み、あっという間に太った。当初は体調が悪く冷えて痩せた身体でなくなったことにほっとしていた。動画は多分、その頃のものだと思う。流石にそろそろ引き締めなければと思い始めたのはもう少し経ってからのことだ。
ぼんやりと虚ろな、どこにも焦点の合わない目をした自分が歌っている。

ああ彼らは、わたしを馬鹿にしたコーラスグループの彼らは、こういうわたしを見ていたのか。

そう思って、腑に落ちた。そして、腑に落ちた自分に落ち込んだ。こんな見た目の自分ならば侮られて当然だ、そう思った自分に、かつての自分を眼差す自分の視線に落ち込んだのだった。

身なりに構わず大人しそうな、自信なさげで目が合わず、曖昧に笑う小太りの女。
練習には毎回来るけれど歌は下手で上達の兆しも無い。

……と、誰かに言われたことはない。
だからこれはわたしがわたしに言っている言葉だ。
でも、こういう「気付き」(本当はそうではないけれど)が理由で拒食症など、見た目への拘りを強くして自縄自縛状態になる人はいる気がする。

音楽能力が低いから見下されたのだ、と思っていた。
そうではない、例え何かしら能力があってもこいつは侮っていい、侮れる相手だと思ったらそうする、そういう人達と自分は親しくしていたのだと。あるいはそもそも相手はこちらに関心が無かった、当時のわたしが思っていたほどわたしと相手は親しくなかった、本当はお互い親しくなるつもりも無かった人達だったのだ……と、それなりに時間が経って気付いた。とはいえもしかしたら今も、このあたりの認知はちょっと歪んでいるかもしれない。
空想の中の他者はずっとわたしの音楽能力を嗤っていた。そして今、わたしの中の空想の他者は、おまえの見た目がそんなだから馬鹿にされるのは当然だったと笑う。
わたしは自分の空想の中で対人トラブルの相手と空想の口論をしたりすることがよくあって、それもだんだん減ってきてはいるのだが、それでも寒暖差疲労や寝不足で疲れていると、彼らはわたしの脳内に突然現れる。
そうして、おまえが内心で自分のことをどう思っていようと関係ない、仕事を押し付けた職場の同僚も、無意識に見下すようなことを言っていた合唱団のメンバーも、お前のことを冴えない見た目で自信の無い間抜けなやつだと思ってたんだよ、と言う。
それに傷つく。
全部空想なのに。少し目を転じればそうではない人、心配してくれた人も沢山いるし、いたのに。ちゃんと覚えているのに。

人間関係は鏡だ、と言われる。あなたのレベルにふさわしい人があなたの前に現れる、と。あなたの振る舞いに相手もまた影響され、言動が変わるのだ(だからまずあなたが変わりなさい)とも言われる。外見とは内面の表出で、だから眉毛や髪型のおかしい人は内面にも問題を抱えていることが多い……そんな言葉をネットで見かけたこともあった。
対人トラブルで落ち込んでいた頃、この手の言説を目にするたびにふざけるなと思ったし、同時にとても落ち込んだ。今こうして書いていて、あれはタイミング的に見てはいけない言説、食べてはいけない「プラスチック」だったのだなと思うけれど、そういうものだからこそ強く目を引く。
正直、この手の言説には今でも落ち込むし、全てはわたしがわたしに自信がなくて自我が薄かったからだと思うと泣きたくなる。それがずっと自分にとっての生き延びるための戦略だったのだ、それ以外の戦略を知らなかったし取りようがなかったのだ……そう言い聞かせても。

たぶん、音楽能力も見た目も、私が強いコンプレックスを抱えているジャンルなのだと思う。コンプレックスがあるから直視しないでいたその分を、回復してきた今になって、いや今だからこそ直視できるようになった。なってしまった。
当時は当たり前のように眺めていた自分の顔を見て落ち込むなんて、冷静に考えればなんとも妙な話だ。でも当時は本当に自分の顔が見えていなかったし、すべてを諦めていたから何もしなかった。
そして私の中の空想の他人は私の弱点をよく知っていて、的確にそこをついてくる。

現実の他者はみんながみんな、わたしの弱点をじっくり見てはいなかっただろう。ましてわたしの顔の造作を注視する人なんていなかっただろう(いたらちょっと怖い)。
でもじっくり見ているわけでも気にかけてるわけでもない他者の第一印象、こいつを侮っていいかどうかという判断が何から生まれるかと言えば恐らくは外見と言動であり、つまりそれはいずれも内面の表出としての外見であり……。思考はループする。

いわゆる外見の劇的ビフォーアフターを売りにしているyoutuberさんが、外見の変化に伴い、外見を馬鹿にされていたのがナンパされるようになり、その後ナンパもされなくなり、男性から対等に扱われるようになったと書いていた。つまり変化は三段階で、フィクションなどでよくある、馬鹿にされていた→されなくなったという二段階、一発逆転ではなかったということだ。
外見が変化し、それに併せ内面が変化することで、周囲の扱いが変わる。というより、そもそもこちらを舐めてくるような人間に執着する必要は無かったのにわざわざ執着するようなことがなくなったことでまともな対応の人間だけが残る、という方が正解なのだろう。そしてそのことでこちらを舐めてくるような人間はますますこちらに近付けなくなる。

十年前、いやもっと前から美容を頑張っていたら。似合う服を知っていたら。自問自答ファッションに出会えていたら。そんな考えが時折、いや何度も過って、いやいや全くもって意味のないifだな! と思う。絡まれやすい、舐められやすいのはわたしのように身なりに構わない人間だけではないし、そもそも絡んでくる方、舐めてくるような人間が絶対、圧倒的に悪い。例えそういう人間が「わたし自身のレベルに合わせて現れた存在」であったとしても、だ。

良い子にしていればいつか良いことがあるはずだという戦略を、あまりに長くとっていた。
おかしいと気付いて我流でもがいても抜け出せなかった。
でも、もがいてはいたのだ。何もしなかったわけではない。
自問自答ファッションに出会えたのも、そういう過去の過程があってのことだと思いたい。

笑えない、笑った顔が気に入らない、顔が気に入らない、というのがコンプレックスだったのだなと今にして思う。それ以外にもコンプレックスは山ほどあったし今もあるけれど、それらを全部「自分は駄目だ」という言葉で単純に塗りつぶしていた。塗りつぶしていることにすら気付いていなかった。

メイクレッスンには2回行ってたけれどわたし自身の顔の造作を一部でも褒められたのはかいまりさんの化粧教室が初めてで、私の場合、もしかしたらそれが一番効いたのかもしれない、と思う(テクニックもお世話になりましたが)。
ちなみに歌は後遺症の療養中、youtubeで見つけた地声トレーニングと自律神経ケアのための姿勢改善等でずいぶん変わった。先日、あなたの声はつやのある、もの悲し気な歌の似合う声質ですね、と教室の先生に言われた。ほとんど初めてもらった、わたし個人の声に関する第三者からの評価だった。

オーラや華やかさは内面からくるのだ、とは小田切ヒロさんのメイク動画で聞いた言葉だ。メイクとしてはハイライトを使えばいい。だけど圧倒的に内面、自分に自信があるかどうかだ、と。
わたしはどれだけ変わっただろう。わたしの写真に、わたしの内面の変化はどれだけ映っているのだろう。
メイク、自撮り、歌、ファッション、どれもテクニックでいくらでも変わる。今の私は家のなかの一番日当たりのいい場所、差し込む光の綺麗な時間帯(=午前)に写真を撮っていて、そこで撮ったわたしの肌は撮影ライトを当てたように光って見える。台湾かっさを使い出してから、そしてその後顔筋トレで口角が上がるようになってから、自撮り写真を見ることの苦痛は格段に減った。
かつての自分はライティングとかそういうこともよく知らない……というかそもそも自分の顔を撮るのが苦痛で仕方なかったきら、周辺知識を得たり実行するという発想も無く、余計に写真に落差があるのだと思う。写りの良い場所を選んで撮影すること自体、かつてならさもしい発想と馬鹿にしたり自分を責めていたかも知れない。劇的ビフォーアフターのアフターの写真がライティングからして違うのも、だからそういう意味ではわからないではないのだ。内面の変化とはテクニックやツールの変化でもある。

カメラの角度、機能、光の位置や入り方。それでも写真は写真で断片でしかなく、生身の人間は話し、動き、リアクションを返す。わたしの友人はわたしの話す内容や書くものを好きになってくれたのだ……と思うと改めて有難いなと思うし、少なくとも彼らと話していた自分は多分、iphoneに残っている、無理やり強張った笑顔を浮かべた写真のそれよりはずっといい顔をしていたんじゃないかな、と思う。

もっと前からもっと努力できたはずだ、とは、後からなら幾らでも言える。

見かけに構ってなかったなあ、コンプレックスばかりだったなあ、と思う。構わないことで余計に自分を悪い場所に追いやっていたな、とても長い回り道をしていたなあ、とも。

だけどわたしは意地悪だから、見た目や言動からこいつは侮っていい奴だと判断しそうした判断をそのまま垂れ流すような言動をしたり、見下しを前提とした「善意のアドバイス」を無自覚にするような「側」に自分は行かないで済んでよかった……いや実は既にやってるかもしれないけどこれからも気を付けよう、とも思う。
わたしよりメイクがうまくても服が可愛くても友人が多そうに見えてもそういう人はいて、だからその意味では外見と内面は全く関係ないのだった。
そういう人に一度も会わないで済む幸福な人生もあるのかもしれないけれど、わたしは学べた、学べるはずだ。そう思うことで自分を慰めている。

内面と外見は繋がっている。ある面では。
でも外見や、ちょっと話しただけでその人の価値を勝手に決めつけて見下すのは間違っているし愚かだ。外見を含めた自己表現について努力するのと、その物差しを他者へ向けない事とは両立する。そして他者にはかつての自分も含まれる。

自問自答ファッション三年目、外見も内面も色々変わって、それでも勿論、変わらない部分もある。変わってないわたしが、本当はわたしは何も変わってないのに、と首を傾げる。

でもこういうことで落ち込めるくらいには自分も変化したってことなんだろうな、と思うのだ。


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