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【課題指摘主義・発信側における解決提言の欠損情報】既存社会・オールドメディアが抱えてきたもの。

私はADHDとASDの自覚が無い団塊の世代左派両親から生まれ、育ったためか?義務教育に全く染まらず、既存秩序の就職氷河期世代劣等生そのものだ。

ただ、昔から新聞、読書、ニュースを興味ある形から得る行動は重ねていた。

転換点は、インターネット、ネットサーフィンが可能になったこと。そして、スマホの登場。そして今はAIだ。

何故昨今においてオールドメディアが、『blow back』に陥ったのか?

だいぶ霧は晴れた気がする。

それは『左派野党』にも同様のイデオロギーが流れてきたのもだ。

つまり「解決策の提言を語る前提条件」を持ち合わず、「既存秩序都合の基盤から」情報を制作、流布しているからではないか?

その「エッセンス抽出」が、昨年終盤に「高市早苗首相誕生と既存グローバリズムのあいだ」において周知・顕在化したものの中にあった構図の正体ではないだろうか?

それを黙って受動的に受け取るオールドメディア信奉者たちは、感化され「洗脳・マインドコントロールされた思考」であることすら自覚することなく、その「解決策なき反対者・批判思考」を「正義」や「平和」、「愛」だと勘違いした「非現実的思考盲信」を「組織・集団」の構成メンバーたちに寄与する。

これまでは、「オールドメディア」は「既存秩序」との関係性において、極めて合理的な「洗脳・マインドコントロール機構」だったのではないか?

その状況は「一変した」。

「SNS」を「通信・デバイス」が実現したことにより、個人の情報選択と発信が自由になり、リテラシーに関して、AIはそれを利用して、疑問・問い重ね持つもの達に、主体的な「誤差学習・アップグレード」をAIとの共同作業のように積み重ねている。

AI・デバイスが「既存メディアを飲み込む未来」は、そう遠くない様に感じる。

正解のないオープンな議論としてのメディアの態度・意識の欠損。

それが「ブローバック」として致命的なまでにその構図内に効いてきた気がする。

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要は「気に食わないものに唾を吐きかけるだけ吐き続けて、そのままずっと素通りし続けること」。

これまで「オールドメディア・左派野党」は、それを「グローバリズム上の正義・言論の自由・デモクラシー」だと、その相手など気にせず自己主張して、ただ情報だけを垂れ流し、試聴している側からの意見など無視して、放置してきたのではないか?

そしてそのオールドメディアや左派野党を『盾』にして、地域社会の中で「カルト・イデオロギー組織・集団」は教育・利権・行政組織内部にまで浸透してきた。

つまり戦後日本社会秩序の中に蔓延してきたものは東西冷戦構造の中にあった「それぞれの悪き部分を繋ぎ合わせた裏悪用」だったことを、まず最初にその内部構造にあった因果関係を正確に掌握することが肝になるのではないか?

環境を再生するときに、どこにその汚染源があるのか特定しなければどんなに掃除をしてもしてもその汚染物質は湧き出る。

まずは、国家による主体的選択としての「既存秩序にあった汚染根源の完全特定」だ。

緊急オペレーションとして、それを駆除・除去した時、ようやく国際社会が目指す「新世界秩序へのアップグレード」が可能になる。

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西暦2026年現在の、地球とホモ・サピエンスが存在している認知領域は驚くほどに「アップデート」されている。

『鬼滅の刃』における、「始まりの呼吸・透き通る世界」への覚醒を果たした新しい世代達が、これから先の未来へ、ホモ・サピエンスが生きる地球生命の最適化を探求することを、共有化しながら愉しむ。

それぞれの人生の中にあるものを、それぞれの間にあるものを。それ以上でも、それ以下でもない。

それがこの世に、それぞれがそれぞれの因果律によって存在していることであり、その差異があること自体がそもそも「自然・当然」なのだから。

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これはあくまでも、想像の領域に過ぎないが「認知症」が「症状を進行させる要因」として、「受動性」や「失敗」「恐怖」「不安」が構造原理の前提にある傾向があるのではないか?

日本国を含む、東アジア各国の「少子高齢化」と「認知症激増」は周知の事実だが、そもそもその「国家内認知バイアス」が「カルト・イデオロギー」によって強く働き過ぎて、本当に着目すべき「それぞれの社会性・在り方」など傾向を押し殺してきた可能性が高い様に感じる。

これから、新世界秩序が始まった先に徐々にその「ヴェール」が剥がれ落ちてゆくことで、それぞれの国家、民族、遺伝子、環境、意識などの要因・因果関係によって吾々に作用していた「本質・根源的なもの」が明らかになるだろう。

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昔、故人石原慎太郎氏が都知事時代に記者会見において「靖国神社参拝問題」を聞かれた時、逆にその質問をした記者に切り返した会見があった。

うる覚えだが、確か以下のような内容だった。

「君個人の意見が聞きたいな?靖国神社参拝に賛成か反対か?どうなんだね?君の新聞社はそれに答えたらクビになるのかね?」

そのやり取りこそ今回の内容が示そうとしたものと合致する。

そしてその記者はこう答えた。

「個人としてはあれですけど、公人としては・・・」

その答えは「ダブルスタンダード」である上に「答えになっていない」。

個人としての意志も見解も、課題解決のための論拠も持ち合わせていない。

何故その様な人物が「報道機関の取材担当」になるのか?

オールドメディアの組織・人事・目的も伝わらない。

そしてそれが、「公共放送の記者会見」として公共放送誕生以来、変わることなく日本国民への電波情報として、ご家庭の受信機へと一方的に流され続けてきた。

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「禅問答(ぜんもんどう)」とは、一言で言えば**「言葉や理屈を超えた真理を掴むための、師匠と弟子の真剣勝負の対話」**のことです。

しかし、私たちが日常で使う「話が噛み合わないやり取り」という意味とは、本来の目的が大きく異なります。以下の4つのポイントで詳しく解説します。


1. 目的:理屈(思考)を破壊すること

普通の会話は、言葉の意味を理解し、論理的に答えを導き出します。しかし、禅では**「人間の知恵や理屈(分別智)こそが、悟りの邪魔をする」**と考えます。

禅問答の目的は、あえて論理的に解けない問いを投げかけることで、相手を**「思考停止(袋小路)」**に追い込むことです。頭で考えるのをやめ、直感的に、あるいは全身で真理を掴み取らせようとするのです。

2. 「公案(こうあん)」という問題

禅問答で使われるテーマを「公案」と呼びます。これらは過去の高僧たちのエピソードや対話から取られたもので、約1,700ほどあると言われています。

  • 例: 「生まれる前のあなたの本当の顔はどんなものか?」

  • 例: 「(目の前の机を指して)これを『机』と呼ばず、かといって『机ではない』とも言わずに、何と呼ぶか?」

これらには「A=B」というような決まった正解はありません。

3. 「答え」ではなく「境地」を見る

禅問答において、師匠は弟子の「言葉の内容」だけを見ているのではありません。

  • どのくらいの鋭さで答えたか

  • 迷いがないか

  • 言葉に頼らず、その場でどう振る舞ったか(黙る、立ち去る、叫ぶ、指を立てるなど)

これらを通じて、弟子が**「どれくらい執着を捨て、悟りの境地に近づいているか」**を判定します。

4. 歴史的背景:唐時代の中国

禅問答が最も盛んだったのは、中国の唐時代です。当時の禅僧たちは、厳しい修行の中で、師匠にガツンと一言(あるいは一撃)を食らうことで、パッと目が覚めるような体験(見性・悟り)を求めました。
このダイナミックなやり取りが記録され、後の時代の修行者が「教科書」として使うようになったのが、現在の禅問答の形です。


まとめ:禅問答とは何か?

禅問答とは、**「言葉という道具を使って、言葉では説明できない世界(悟り)へ飛び込むためのジャンプ台」**のようなものです。

現代風に言えば、**「脳のOSを強制終了させて、新しい次元で世界を捉え直すためのトレーニング」**と言えるかもしれません。

もし、あなたが誰かに「それは禅問答だね」と言われたら、それは「理屈が通じない」という意味ですが、本来の禅の世界では**「理屈を超えたところにこそ、本当の答えがある」**という非常に前向きで深い意味を持っているのです。

以上AIアシスタントより。

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本来、オールドメディアやジャーナリズムが国民のための公共放送としての責務を果たすのであれば、

タレントや御用学者だけでなく、視聴率とスポンサーのために番組制作ではなく、世の中に埋もれた存在・可能性こそ多くの国民が共有可能になるための構成・構造を、「資本」や「組織」などを度外視した「公共性としての責務」を果たす選択の必要性があったのではないか?

「禅問答」のように「答えがない事に、自らの意識状態から見出す境地」の中に、そのやりとりを受け止めて、視聴者からの賛否に対して、如何なる形でも受け止めてアップグレードしていく勇気。

恐らくそのチャレンジ精神は、「動画・SNS」によって果たされ、現在既に次の領域へと人類社会における社会構図のフェーズは移りつつある。

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みなさま、いつもご愛読頂きありがとうございます。
これからも、そしてこれまでも、いつ果てるか解らぬこの小生が「今、ここ」で残せるだけ、「今ここ」の意識状態から、ありのままの表現方法としての随筆として、「note」にアップロードしていくことの実践をしております。
私の「note」が、あなたとその更に先に繋がり合う、何らかの意識・存在に、次世代に継承され続け重なり合ってゆく。「みえざるミチのチカラ」、「明日へつながる静寂」、「安寧なる意識状態・心の棲家」として融合し合うこと。
この青い水の惑星で、真核細胞生物・哺乳類・ホモ・サピエンスとして、あるいは核酸による遺伝子生命体として、量子物理現象の中を生きる全てがその何かと何かの中に見い出すこと。その胸の奥底に宿った意識体を、それぞれがそれぞれに違った生命現象として与えられた中を生き、育み、目に見えぬ中に吹く風や液体・水のように限りなく透明な流れる力。吾々が吾々と共に生きる先で、道に迷うときはいつでも内側から発する何かを感じ、その座標軸に置いて繋がる形而が、示すことを運んでくれる。
「今、この瞬間」。
この出会いがこれから先に連なり合っている何かであることへの気づきがあなたの中にもあることを、いつもいつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。