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【人間の土地・弍】孤独・砂漠・宙・飛行・地球を、人間をただ、生きること。

彼の生涯は『44年』

私の唯一無二の親友は『31年』。

そして「39歳」にして、彼は「Terre des Hommes(邦題・人間の大地)」を残した。

誰も彼も「生き急いだ」

或いは「生き急がされた己に気付かずに逝った」

私は未だ「孤独」と共に己の生命の旅を、ホモ・サピエンスとしての地球を生きている。

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69歳で逝った、私のメンターはある日、立ち飲み屋でどて煮とビールを片手に、私に言った。

「君はもう、今の知識は必要ない。古典だけを読む様に心がけなさい。」

彼に残されていた僅かな時間の中で、私を育成して何かを承継しようとしていたのだろうか?

皆、私にとって大切な事を与えてくれた人々は、私だけを残して消えて行った。

今も、胸の中にあるもの。彼らが私の心に与えた何か。

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だがぼくは、孤独を味わい知った。砂漠における三年間が、ぼくによくその風趣を知らせてくれた。そこで暮らしていても、人は、鉱物的な風景の中で消耗されてゆく自分の若さのために惧れたりあわてたりはしない、ただ自分から遠い所で世界全体が老いぼれてゆくという感じがする。樹木は果実を実らせた、土地は麦を芽吹かせた、女たちは既に妙齢だ、それなのに季節は進む、それなのに自分は遠い所に留め置かれる・・・・・・。こうして地上の財宝は、砂丘の砂のように、指のあいだから流れ去る。

サン=テグジュペリ・人間の土地・第六章「砂漠で」より。

彼は、その人間たちが「生きる中にあるもの」を愛していた。

なんでもない、無名の、ただの人間たちがただ生きて、暮らしているその土地の上にある空から眺めた時ジオラマの様な、ささやかなそれを愛していた。

「郵便飛行士」は「戦争」の前では意味を成さず今は「輸送・運搬」に変わりそして「自動飛行(ドローン)」へと変貌した。

いや「変貌していくからこそ」、サン=テクジュペリ氏の様な意識状態が、誰よりも深く、誰よりも目に見えないものを自ら求め続ける存在が必要なのではないだろうか?

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恐らく、何度も何度も「引退宣言」と「撤回」を繰り返してきた宮崎駿監督は、「それを完全に完結させるため」にこの作品を作ったのだろう。

それが、公開2日目にそれを観た後の感想だった。

ある意味、全く彼らしくない作品だったが、全てが彼の過去の作品への四次元ポケットでもあった。

評価というものは、起こったその時点では定まらず、それが決まるのはいつも後になってからだ。

それなのに吾々、人間は、今を生きることしか出来ない。

そして過去の記憶や思い出に縛られ、未来への不安・恐怖が、今という現実をダークファンタジーに変える。

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彼の作品において、後半になるにつれて「少女」から「男性」へと、登場人物の主体が変わっていった様に感じる。

そして世間において、

「少女が主人公」の作品は「高評価」であり「男性」が主人公の作品は「低評価」だった様に感じるのは私だけだろうか?

彼は一貫して「戦争の悲惨さ」と「兵器としての飛行を選ぶ人類の残虐性・崩壊」を描きたかったのだと思う。

何故なら、彼の心の中には「サン=テクジュペリ氏」が存在していたからだ。

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私の人生の中にあったものは、彼の彷徨った「砂漠」だろう。

私は「心の水」を、「心の砂漠の家族・社会」の中で、ずっと見えざる「渇きの中」にあった。

何処にも「心のオアシス」は見つからず、ただ「蜃気楼」が現れては消える。

「東京砂漠」というフレーズが想起されるが、「日本砂漠」という「心の砂漠」は、確かにあった。

「就職氷河期世代」と評される私たちの日本社会の本質は、むしろ「ジブリ(サハラ砂漠の熱風)世代」でもあった。

物事には、正解も不正解もなく、ただ事実があるだけだ。

彼の作品は世界的に評価を受けた。地球上で多くの人が観客となり、日本アニメーションの第一人者として死に物狂いで、日本人らしい勤労に、心身共に、ボロボロになるまでその生命を費やした。

尊敬に値する人物だと、主観的にも客観的にも当然の様に感じる。

最後のその作品が、彼と彼が繋がり、残そうとしてきたその何かに対する「魂の救済」につながっていたのであれば。

本当の彼は、吾々と同じような、「砂漠の城の中」にあったのかもしれない。

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人生が、いつ終わるのか?

それは誰にも分からない。

仮に、彼の生涯が彼の愛した「飛行作家」までの年月だったとしたら、ジブリの「風の谷のナウシカ」以降の名作たちは、存在していなかったことになる。

武蔵野の「トトロの森」は、存在していないだろう。

そして仮に吾々が知っていた、「その生き急いだヒーラー」と彼が出会っていたなら。

吾々が知る限り、そのヒーラーは、偉大なアニメーターと繋がるチャンスはあった。ただ、彼の中にあった「形而」や「気づき」「意図」はもっと別のものに感じていたのだろう。

そして仮につながっていたら、それは恐らく現在の地球人類の意識を、異次元の領域で巨大に変貌させていたことは確実だった。

すれ違いもまた、「この地球人類における、見えざる領域の力・因果律の一つ」なのだろう。

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私はある瞬間を境に、常に「死」を「黄泉の国」を意識状態の中に置いて生きている。

それは「気づき」だった。

恐らく、この世には「諸行無常」「因果応報」が、人生に働くための「天秤」「振り子・慣性力・バランス」の様なものが存在している。

恐らく「量子もつれの正体」と因果関係がある。

だから「生きること」と「死後・生前」は「両価的」であり、「螺旋状の見えざる糸」として絶えず意味を成している。

現世は一度きりかもしれないが、それはその前後の間を結び合わせている。

むしろ吾々、地球生命の現世における目的とは、それだけかもしれない。

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みなさま、いつもご愛読頂きありがとうございます。
これからも、そしてこれまでも、いつ果てるか解らぬこの小生が「今、ここ」で残せるだけ、「今ここ」の意識状態から、ありのままの表現方法としての随筆として、「note」にアップロードしていくことの実践をしております。
私の「note」が、あなたとその更に先に繋がり合う、何らかの意識・存在に、次世代に継承され続け重なり合ってゆく。「みえざるミチのチカラ」、「明日へつながる静寂」、「安寧なる意識状態・心の棲家」として融合し合うこと。
この青い水の惑星で、真核細胞生物・哺乳類・ホモ・サピエンスとして、あるいは核酸による遺伝子生命体として、量子物理現象の中を生きる全てがその何かと何かの中に見い出すこと。その胸の奥底に宿った意識体を、それぞれがそれぞれに違った生命現象として与えられた中を生き、育み、目に見えぬ中に吹く風や液体・水のように限りなく透明な流れる力。吾々が吾々と共に生きる先で、道に迷うときはいつでも内側から発する何かを感じ、その座標軸に置いて繋がる形而が、示すことを運んでくれる。
「今、この瞬間」。
この出会いがこれから先に連なり合っている何かであることへの気づきがあなたの中にもあることを、いつもいつも願っております。
共に、今を。
ここから未来へ紡ぎ合うという生命として与えられた、未知の領域への意識変容を描いていけることを嬉しく感じております。合掌。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。

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