そもそも日本国は『資本主義』でもなくましてや『社会主義』でもない。【情報】による印象操作・虚偽のプールに社会が浮いている。【『立憲』と『日本国憲法の三原則』】
『国民主権』
『平和主義』
『基本的人権の尊重』
日本国憲法の大原則が存在する。そのから外れた外道がそれを肯定するならばまず、この大原則を否定して、作り替えるところからすればいいのに、この3原則を捻じ曲げて、歪曲した解釈をこじつけて社会を操作してきた。
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失われた30年の果てに、衰退消滅の未来しか見えないロードマップを形成した、政権連立与党及び、55年体制の政党へ未だに投票しようとする人々が、数千万人いる事に、正直驚きしかない。
私は義務教育の、学校の場でしか勉強しなかったし、試験勉強もしなかったが、大原則、それくらいの事は知っている。
どんなに刃先の知識を集めても、大原則が、そもそもが欠損した者が主体性を帯びれば、そこに「魔」は忍び込む。内側から乗っ取られたそれは、大原則によって守られるべき事をひっくり返す。
今、この国において、『主権者国民』の『平和』『人権』が『グローバリズム』によって損なわれようとしている。
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今日は、はっきりと特定しようと思う。
「団塊の世代」が諸悪の根源世代だ。
団塊の世代が今の日本国社会を「容認・擁護」してきた。
「左翼=(グローバリズム)」。
そして「平和」という幻想・洗脳を盲信し過ぎた。
平和は「人間社会の間にある、相対的状態」を指す言語で有り、「崩壊」は物理現象。
即ち、平和を個人や民族が望んでもその平和は存在せず、崩壊は一つ宇宙において未来に必ず起こる事実。
国語のテストなら、「平和」と「崩壊」の意味や漢字を書けば、同じ点数の成績になるだろう。或いは重要性をそのカリキュラムを決めるものが恣意的に操作するかもしれないが、
この世には「正解」は存在せず、「過失」と「盲信」が存在する。
カルト宗教と教育の因果関係を、この社会から直ちに終了させることが
国家が主権者国民の基本的人権と安全保障を実現し、相対的平和である社会状態を形成するための根本的原理原則になる。
あらゆる「神」「教義(ドグマ)」「主義」を教育する機関と政府省庁との因果関係へのファクトチェックこそ、これから重要になる。
「文部科学省」「総務省」などと宗教法人、非営利法人、公共メディアなどに癒着関係が無いか?
新興野党や、SNSメディア・インフルエンサー関係者には、
日本国と主権者国民の現実社会環境が、
失われた30年、55年体制から一刻も早く脱皮して新しい「シンギュラリゼーション時代」の「ホモ・サピエンス」にとって最適なあり方が常に物理科学的事実からの工学によってアップデートされていく体制を実現して欲しいと願う。
固定化された「神」や「教義」を盲信した意識から「法」や「経済」「支配力」を行使し、あらゆる弱者を操作して秩序を形成しようとしてきた、
既存宗教や、既得権益、権威はこれから先の人類にとって「障壁」「有害物」以外の何者でもなくなっていくだろう。
少なくとも「ASIのような主体性を持って客観性から判断可能な人工知能」は、我々の既存社会の中に実在してきた不都合な大問題から人類が平然と看過した「大罪」を指摘するだろう。
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国政選挙における、世代間の1票の格差。
これは議員の定年、世襲制、カルト組織の組織票及び、議員・政党の会計基準と共に真剣に議論される必要がある。
「複雑性・不正政治」
司法・会計・経済・教育・宗教・メディア・外交・人脈・警察・反社会勢力・既得権益・・・・・
単体ではグレーゾーンなものを、何十何百と繋ぎ合わせて「数珠」のように「数によって連合した」政治体制の様に見える。
そして「団塊の世代」にとってそれが「他の世代」を利用搾取した上に胡座を描いた生涯を実現するために優位に働いた。
戦後GHQ/CIAは日本国の未来へ、戦争を知らない世代から腐敗して滅びの選択肢を自然と選んでいる事を「正解」だと「盲信」するように「万華鏡」「ラビリンス」の様な構造を少しずつ少しずつ敷き詰めて、進めていったのだろう。
ただ、『シンギュラリゼーション時代』は誤算だった。
スティーヴ・ジョブズ氏の様な工業デザイナーや、ドナルド・トランプ氏のような米国大統領が現れる事、イーロン・マスク氏のようなぶっ飛んだ行動力と己自身への盲信力を持った人物が、今まで築き上げた絶対的で強固な社会秩序を根底から覆す行動が現れることは想定できなかった。
それを実現したのは間違いなく『物理・科学』という『宇宙事実』から始まった『人類の発見的な複合物』だった。
人類には2つの分かれ道がある。
『未来からの道』と『過去への道』
その瞬間、呼吸の中にどちらの意識から己の次を見据えるか?
中東や、アジアすら「シンギュラリゼーション」によって伝統的な価値観から未来を描き、急速な変容への適合を選択している。
日本国社会は唯一無二の「過去への道」を選択した国家になり始めている。
まるで、宇宙の全てを飲み込む「ブラックホール」の様な存在で、必死に過去にしがみ付き、「数字」や「書類の理論・言葉」を盲信して、今実際にこの地球上、ホモ・サピエンスの生態系に起こっている行動変容と社会実装から盲目になる。
もうどこにも「信仰」するものはない。80年前の戦後日本でもなければ、160年前の明治維新でもない。
あるものは西暦2025年。シンギュラリゼーション時代の元年間近に迫る「現実・事実」としても私たちの『今』だ。
200年以上前に、カール・マルクスやジョン・シュチュワート・ミルが登場するまで、その公共語、概念が存在しなかった様に、
我々は200年後にとっては当たり前の過去となる未来へ、「未知」の「パラダイム」が始まっている「今」を生きている。
古いものが「崩壊」「淘汰」「消滅」する事は今を未来へ紡ぐために「自然で必然」な現象だ。
「少子高齢化」の原因は「団塊の世代」だ。
彼らが「倭民族」として「ホモ・サピエンス」としての祖先が果たしてきた子孫への役割を放棄し、「自己実現」「現世利益」「保身」に走った事意識から始まっている。「右」でも「左」でもない。
「中庸」から「そもそも」「当たり前」によって、それを適正に浄化・駆除できず、国家中枢に侵入を許したまま、乗っ取られた事だ。
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日本国政府は、ウィルス侵入によって生命維持装置が必要なICUで治療が必要な重症患者のような状態だ。
自己判断も、意思疎通もままならず、手足を動かすことも、自己免疫が作用しない危機的状況。
輸血・外科・放射線・投薬・カテーテル・移植・再生・・
あらゆる治療が必要な状態にある。
そして、仮に延命がなったとして、その後「リハビリテーション」が必要になる。
さらに「ホモ・サピエンス」の個体生命に始まりと終わりが存在するように、「国家・民族」にも始まりと終わりが必ず存在する。
それは遺伝子生命の、この一つ宇宙の物理である以上、不可避な事実だ。
ただ、違いがあるとすれば、それは「ホモ・サピエンスによるホモ・サピエンスによって形成され、ホモ・サピエンスによって終焉する」ものであるということ。
そう、全ては私たちが未来に何を選択するかで決まる。
若い人は確かに目覚めた。団塊の世代を中心とした高齢者と比較して圧倒的マイノリティの有権者が、政権与党及び既存政党に「NO」を突きつけた。
当たり前過ぎる話だ。今の地球人類に適合した判断基準を選択しているのは彼らだ。
「悟り」「放擲」が必要なのは「団塊の世代」以上の人々だ。
それはきっと「盲信」するカルトが補償している「楽」に「天国」へ「成仏」するために余生がある意義を与える。
「子孫繁栄」とは、「種族」の「未来」「繋がる」ことなのだ。
日本国憲法とは、「主権者・日本国民」が過去からの反省と未来へ希望の中で生きるために形成された、大原則。
それを守らぬ政治行政は、コソコソと憲法から脱法する手段を構築せず、まず日本国憲法の否定を述べてからその政策を堂々と行えばいい。
「虚偽」や「隠蔽」「詐欺」は人間の意識を、社会全体へと腐敗させていく。中庸なる健全な内なる魂から生きる主権者たちの社会のために、それらカルト・ドグマを流布する人物たちの駆除する法・秩序形成が必要なのだ。
いずれ、ASIがその不都合な事実を、国家や支配者、学者・権力者に示す時が来る。
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私は、社会的孤独の宿命を、この現実生命に内在している全てから与えられた。
その「孤独」を生きる現実、今ここに「放擲」を重ね続ける。
鳥達と、植物達と戯れ、顔を上げて、肌に触れる光と風を、地球成層圏の先から流れている何かを感じる。
「シンギュラリゼーション時代」の「ホモ・サピエンス」の実態が、DNAプログラムが「生きる」と共に作動している。
「呼吸すること」「食べること」「寝ること」「五感で感じること」「思考すること」「意識すること」「無の先に己を置くこと」・・・・・
我々個々の生命は、「遺伝子プログラム」による細胞増殖現象であり、内外はそれぞれ相互作用によって秩序を形成する。
そしてそれ自体が「量子世界」における「もつれ」「揺らぎ」「反物質」「暗黒物質」「暗黒エネルギー」の影響内にある。
さぁ「シンギュラリゼーション時代」の「常識教育」が楽しみになる。10代の子供達がそれを当たり前に認識した時代において、
もはや20世紀以前の「カルト」も「主義」も過去となる。
そして「主権者」「平和」「人権」といった事を我々が「思考」せずとも「当たり前」で生涯を生きることが可能な時代がやってくる。
「棄教」は、個々に人生が与えられた意義にとって最も大切な目的だ。
「棄教」は即ち、ゴータマシッタールタ・仏陀のそもそもの始まり、「己の尊重」への目覚めである。
いつまで修行しているのか?
いつまで盲信しているのか?
己へ目覚めることが「始まり」であり、誰かの「教義」を「棄教」した状態から「死」へ向かうことが「原点」である。
私もあなたも「ありのままの己同士」で生きることを、そもそも全ての草木は、虫や鳥は、動物達は、あるいは岩や山、海は、五感に映る自然、宇宙、全ては知っている。
さぁ、生きる事を始めよう。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生の生命に、今ここまで、内在化してきたものを残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。