『乳粥と父子家庭(釈迦)』仏陀の悟りと『日本の失われた30年』への気づき。
「仏法」「仏教」を語る人にとっては当たり前の話かも知れない。
ゴータマシッタールタ(釈迦)は、シャーキャ(釈迦)族のラージャ(王族)として誕生した。
シッタールタの母マーヤーは、出産後7日目に他界しその後は父で王のシュッドーダナの子としてマーヤーの妹であるマハープラージャーパティによって育てられた。
今風に言えば、父子家庭で、妹が乳母をした環境で生育した。
ある意味仏教国である日本国の子育てに「捨て育」が存在しているのは、「仏教伝来・大乗仏教」によるこのゴータマシッタールタの様な子育てを模倣した部分も大きいのかも知れない。
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ホモ・サピエンスが他の生命達と共通の遺伝子プログラム、DNAとRNAの螺旋塩基配列の転写によるものであり、この世の力は量子もつれ現象をレラティブ・スペクトラム状の見えざる物理現象の連鎖である事が、科学事実化した今、インド哲学及び仏陀の悟りは、いよいよこの世の本質を体験したものが語った教えだった事が否定し得ないよりも「真相論」として語られる時代が到来している。
そして彼の長年に渡る苦行の果てに、これでは悟れないと絶望した時辿り着いた存在が、褐色の乳母スジャータがシッタールタに与えた『乳粥』だ。
そして彼は、沐浴を果たし身を清めた後に菩提樹の下で瞑想を行い、悟り(サマディ)の領域へと達観した。
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彼は私たちが当たり前の価値基準としている「母が母乳を子に与える」と言う体験が、母マーヤーが出産後直ぐに他界したことによって、根本的生育環境として欠損していた。
ある意味彼に「出家」を決意させた因果律の根底にあった事を「乳粥」はその細胞レベルで満たされる「生命エネルギー」によって満たされ蘇った己に刻まれた遺伝子と人生における体験の歴史が重なった瞬間だったのだろう。
そしてそれを、彼はその状態を瞑想が意識を満たすまで味わった。
そして「仏陀(ブッダ)」がシッタールタの中に宿り、ゴウタマが誕生した。
齢・35歳だったと言われている。
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『失われた30年』
それは『母性の消失の30年』だった様に感じる。
1970年代頃から始まった「女性の社会進出」や「フェミニズム」「男女同権」「男女雇用機会均等法」等。
それらの「ロジカルシンキング・欧米グローバリズム的理性」は、ホモ・サピエンスや種族としてのそもそもを、男女は、それぞれ違った性が存在していて一つの生命種族としての役割を果たすということ。当たり前を崩壊させたのではないだろうか?
事実として「少子化」は絶望的な民族崩壊寸前の国家社会を揺るがし、「移民政策」や「貧困化」を現在の日本国の根本的な社会課題として招いている。
「全体主義(Totalitarianism)」は、本来既にそれ以前の日本社会において認知された上で「大和民族」は形成されていたのではないだろうか?
それを「アップデート」ではなく「ダウングレード」させられた事を平然と「理性・知性」と刷り込まれてきた。
「母性」と「母乳」そして「乳粥」
それは「生命の泉」の様なものなのかも知れない。
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我々、ホモ・サピエンスの遺伝子プログラムとしての男女が、この世に何故存在して、何故それらの男女の違い、能力がそれぞれに備わっているのか?
私はある一人の僧侶以外から、この話を聞いた事がない。裏返せばその僧侶はこの話を私にしてくれたから私はそれを知っている。
「仏教のそもそも=ゴータマシッタールタの生涯にあった女性達」
まず仏教を他人に語る人は、その事から話をしてもらいたいと切に願っている。
何故なら、それ無しの仏法は、その後の弟子達などによって勝手に説法として書き綴られた、改竄された新訳、超訳に近いもので「カルト宗教ドグマ」に直結している。
「そもそも」を「根源」から流れを感じることによって、本当の道理、真理に触れる事が可能になる。
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インド哲学の源流となる抒情詩達の一つに「バカヴァット・ギーター」が存在している。
当然若き日の「仏陀・ゴータマシッタールタ」も触れてきて、彼の言語的思考の中に息づいている。
大乗仏教の僧侶達にとってそれが当たり前の事であったとしても、少なくとも「放擲」と「悟り」に通じている相対性・連続性についての問いには、信徒や、仏教を知らぬ人々に明確に答えてほしいと願っている。
恐らくそれが、我々が男女として、ホモ・サピエンスとしての現世を生きる意味や目的に直結している「在り方(Being)」そのものを指し示すものであるのだろうから。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。