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ホモ・サピエンスに溢れる「トランザクション」・「デイリーライフ」から、西暦2025年の地球社会にある現象と本質を眺める。

朝日・風・音楽・そしてコーヒー。

ベッドから抜け出して、座布団の上で座を組む。

目を閉じて深呼吸と共に多元宇宙と己の実在を無数に実在する水素分子、フォトン、素粒子の結晶としてのこの今を知覚する。

エマニエル・カントの様に、毎日決まった正確なタイムスケジュールで日常を送ろうとは思わないが

ホモ・サピエンスとして生きる日常には、数々の自動的処理が介在して成立しており、そしてホモ・サピエンスはホモ・サピエンスにとって必要であり、ホモ・サピエンスにしか成し得ない、その一つ一つ、それぞれを軽視して、他のどうでも良い事を盲信する、理解不能な変態的生物だ。

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私は朝、バナナを食べる。

そもそも、バナナを栽培、収穫、洗浄消毒、包装、仕分け、輸送、陳列されて初めて私の出番。

購入してそれを持ち帰り、1本バナナを房から捥ぐ。皮を剥き実を口にする。咀嚼して嚥下しながら、味覚を食感を堪能する時に、「品種改良」されていることを思い出す。

そう、栽培の手前に品種改良があり、更にバナナを食物として発見した人がいる。

1本あたり40円くらいだろうか?

私のデイリーライフは「バナナ」によって繋がれた無数のホモ・サピエンスの地球上におけるトランザクションによって成立している。

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バナナの皮は廃棄される。ゴミとして収集場所から清掃員に回収される。適切な処理がされて自然界への循環へと還る。

ホモ・サピエンス社会と個人のデイリーライフ。

シンギュラリゼーションによって、ホモ・サピエンスが社会的に解放可能なものは全て実現へ向けて社会全体が結束する必要がある。

「労働」や「資本」という古い概念を、主義として過去の遺跡、博物館の資料にするために。

そしてそれによって、普遍的な遺伝子生物としての「ホモ・サピエンス」の生命と生き方がクローズアップ、表在化されてくるだろう。

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特に「呼吸」と「生きる」事。「男女・異性」の存在はより意味を増す。

国語・数学・理科・社会・外国語・・・・

実は全て「シンギュラリゼーション」が補う。

タブレットデバイスを全てのホモ・サピエンスが、1台ずつ、部屋や衣服同様に、或いは電球や食器、布団同様に、「生きる権利」として所有する様になれば、ついに

ホモ・サピエンスの誰もが無意識に意識してきた、「教育主義」からの解放社会が始まる。

1%程度の出来る人と最先端量子技術に、研究開発は委ねる。

99%のホモ・サピエンスはそれを社会共有、限りなく解放された社会を共有享受する中に未来への社会的進化への変容がアップデートされていく。

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「アート」や「音」の意味も、「資本」や「労働」から超越する。

また真の意味で、ホモ・サピエンスのオキューペーションの中庸なる状態から始まる「ボランティア」「利他」が、自然派生して、それが社会を円滑に循環する真価を、ASIは実証し、利己的なホモ・サピエンスでは成し得なかった、「真の心を持つ個体」に一隅を照らし出すだろう。

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今朝もまた、食事を作り、洗濯をして、子供達の為に本能から次世代のために生命を使う人々がいる。

今日もまた、暑い中で、社会のためにゴミを集め、水道を工事し、誰かのために、海を越えて食料を、エネルギーを輸送する人々がいる。

その汗に流れる意識、価値は「貨幣的数値」では表せない。

過信したグローバリズム、国際金融資本による統治は、シンギュラリゼーションによって間も無く終焉するだろう。

本来はリーマンショックで終わりでよかったものを、金融を雁字搦めに、更に複雑化させて維持した、生命維持装置金融工学の様なもの。

それによってホモ・サピエンスの貧富の差は増大し、「反グローバリズム」が急速に台頭する事となった。

本来の「資本主義社会」の目的を逸脱し、資本家の権利を擁護する「新自由主義経済」による暴走は、絶対的格差を生む。或いはそれを容認してでも先を目指すのが「新自由主義経済」とも言える。

その場合には底辺にいる者へも、「新自由主義経済」の恩恵が届く事が社会として絶対条件になるが、今、それによって利益を得る既得権益側は栄華を極め、次々に奈落の底へ落とされる貧困層は増加の一途を辿り、絶望的に全てを奪われ、地べたを這いつくばる社会構造になっている。

ドナルド・トランプ大統領を、数世紀間、ホモ・サピエンス世界の中心にあったアメリカ合衆国国民が2度も選択した事、それが全てを物語っている。

もう、国家教育、メディアによるプロパガンダで、その新自由主義、グローバリズムの「副作用」への洗脳による目眩しは通用しないほどに、

21世紀を生きる、大多数のホモ・サピエンスは隠されてきた事実に、あまりにも追い込まれ過ぎて、生命の危機からそれに気づき始めている。

なぜ、社会は、科学は、技術はこんなにも進化しているのに、私たちの生活は以前よりも更に貧しくなり続けるのだろう?と。

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今、地球上にある、国民の実体経済が豊かになっていない国々は、

政府が資本主義を理解せずに、資本主義に介入し悪用した因果によるもの。

本来ホモ・サピエンスという種族における、地球上で創造された近代国家の役割とは、資本主義や国際社会によって生み出されて恩恵、或いは不利益によってその領土におけるホモ・サピエンスの生態を是正するためにある。

つまり、領土で生活する主権者が生活しやすいように国家はその責務を「与えられている」。

その役割を与えられたものが、「利権」や「天下り」によって「国際社会」や「資本」から利益供与を受けたとしたら、

その分だけ、領土内で生活する同胞たちを裏切り、売り渡す行為と同じである。

そろそろ公共メディアも、単純で初歩的な経世済民と、ホモ・サピエンス社会について基礎の基礎である「地球生命と社会論」でも放送してみてはどうだろうか?

国家と国際金融資本が、欲望を肯定して、排他的で、労働を提供する一般庶民の生存権から搾取をする時、

その領土に生きる民族の未来は、滅亡または消滅へ向かう事になる。

当たり前だ。僅かなの者に富が集まり、遺伝子を残してもそれを支えているのは庶民だ。

何故蟻の女王がわざわざあれだけ多くの個体を生み出すのか?生態系を観察すればわかる。

未来において、民族の個体数が、種の多様な保存が、環境適合の保険となりつらなっていく。

救いようもないほど、高学歴エリートの「カルト的盲信」による偏重が著し過ぎている。

ホモ・サピエンスに正解は存在しないが「過失」は存在する。

過ぎたるは及ばざるが如し。「中庸」で日常を重ねられるかどうかで、その場所へ己を回帰可能な意識を生きるかで未来は決まる。

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全てを肯定も否定もせずに、事実をただ受容した呼吸と共に、地球に抱かれた己を生きる日々。

21世紀を生きる、ホモ・サピエンスが築き上げてきた先達たちの遺産、恩恵を社会全体で活用していく。

既得権益を保身しても、幸福にも、子孫繁栄にも繋がらぬ。

むしろ、その全てを己ではなく社会に寄贈するからこそ、また与えられた生命の可能性を、新発見を、新しい日々を重ねることが可能になる。

全てを放擲した場所から未来を重ね始める。

そして、公僕とは、領土の国民のために自己の人生を捨てる実践を望むものがするオキュペーションであることが適正である原点を、まず国家の在り方が崩壊すれば、未来、その民族種族は、

殺虫剤を持ち帰った蟻の群が崩壊するように、戦わずして内側から死に絶える事を

絶対に主権者国民の生命を守るために、生命を捧げるために、給与をもらい、主権者国民のためならば、いつでも死ぬ覚悟を喜びとする人の職業であることを忘れてはならない。

そしてきっと、まだこの国はその意識を持って無言で働いている人によってギリギリ保たれている。

日常のホモ・サピエンスとしての社会生活、デイリートランザクションの中にある気づきから、その人々への敬意を、感謝を感じずにはいられない。

さぁ、ここから、明日に駆ける未来へ。

人と人の想いが、願いが、勇気が、いつかそれを変容させるきっかけを育む出会いの奇跡になる時を信じて。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。

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