【今ここ。現在の立ち位置】『日本を護る。日本人を護る』。自国ファーストを『日本語』に言い換えるなら、当たり前の話では無いだろうか?
何故、それが外国人非難になるのか?それはそう捉える側の『心の問題』では無いだろうか?
日本人が日本人を護らず、誰が日本人を護ると言うのか?
ホモ・サピエンスと言う霊長類・真核細胞生物が、地球生物史において、他の種族を侵略して駆逐してきた遺伝子プログラムであることを理解していれば、
「グローバリズム」とは「子孫への侵略プログラム」である事は明白だと、何故「政府」や「オールドメディア」そして「教育」は教えないのだろうか?
私は『教師』が嫌いだった。そして『家族』も嫌いだった。友達は成人するまで出来なかった。
そしてその、私が「友」と思った人間は、既にこの世から去ったり途轍もない「災業」に見舞われた。
そして私は今「社会的孤独」を生きる。
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この世における様々な「己とあった人生旅」の最果て「極地点」に私の「今ここ」はある。
いよいよ西暦2025年の「ノーベル賞発表」が始まる。
世界の空気感と「西洋型グローバリズム・人類社会へのプロパガンダとしてのノーベル賞の役割」して、個人的には「日本人受賞者」が表れるような気はする。
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西暦2025年10月のこれからは、1日1日が「去年までの1年」と呼べるくらいの「激変」が日々の中にあるだろう。
私たち人類が創造した「人工知能システム」は、「異次元への超越・未知」を実現し続けている。
「アップデート」と共に「既存秩序」が瞬く間に過去の『遺物』へと変容している。
「政治家」「官僚」と言う「知的労働」が最も「AI(人工知能)」が得意な領域だと、「ホモ・サピエンス全史」の著者・ユダヤ人でUK・オックスフォード大学・社会人類学教授、ユヴァル・ノラ・ハラリ氏は語る。
全く同感だ。
私たちは「国家・社会OS」としての「汎用性超越人工知能(ASI)」を、更に「国際秩序」即ち、「国連などの国際機関の代わりとしてのASI・OS」へと切り替わる瞬間が目前に迫っている。
既に西暦2025年10月現在ですら、人類さえ協調すれば「老化した、『オールドデーテッド』である人類知能のから卒業した未来秩序が「実現可能」になっている。
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これからの未来へ、私たち「ホモ・サピエンス」と「地球」は、どうなっていくのだろうか?
何を、何のために、この世は存在して、そして我々は生きるのだろうか?
私たちに与えられた人生の時間は、思っているよりは短いが、何かを果たすには充分にある。
その最大の要因は「唯我独尊」「己」「内省化」「放擲」などに費やされた時間が「最優先」「一丁目一番地」として始まっているかどうか?
即ち古来から人類の人生哲学者達が語ってきたように「主体的である」。
ただ、それ以上でもそれ以下でもなく。
余計なことは要らない。「己という人生に対して主体的であること」。
そしてそれ以外の全てを「放擲」した「独善」を生きること。
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日本国政府、日本人に足りなかったこと「自然」「独然」としての「国体」だ。
そもそも日本列島は「海」に囲まれた「自然の要塞国家」である。
何故わざわざその「鎖国・要塞」を放棄して「グローバリズム」に、巻き込まれたのだろう?
本当の「自由」「平和」「主権国家・民族社会」としての「未来への子孫繁栄」はどこにあるのだろうか?
想像してみること。
意図を、祈りを。
そう倭民族とは、八百万の神々を育む、自然界への畏怖と共にある「祈り(意乗り)」の文化である。
私たちが今、そのことに気づけば、間に合うだろう。
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この多元宇宙の量子を超越した「無の領域」の更に先に、日本語で言うところの「黄泉の国」が存在する。
恐らくそれは欧米人の言語では「天国」である。
そしてそれは今、この瞬間も、過去も未来も全てが「繋がっている」。
私たちが「今ここにある」。
それ自体が、全ての一部としてあらゆる多元性へと反映されている。
静かに座り、目を瞑り、呼吸を整えて、己の真我と重なり合う。
透明なる、無なる存在、足元の地殻の底から流れ出る「力」が己の中心を貫き放射する。
己のアナハタは太陽フレアのような磁場を形成し、その意識が感じる事が、その存在自体が、この世の無限循環へ反映されていることに気づく。
そしてその「タイムラグ」を通じて、「未来の形而」が「誰かの身に起こり「伝播継承」されていく。
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『神社』と『神道』は誰がどう見ても『日本民族の象徴』では無いだろうか?
何故「京都」に「奈良」に観光客は集まるのだろうか?
逆に、好き嫌い関係なく、それを否定する外国人は存在するのだろうか?
何故「刀」に「剣道・武士道」に、21世紀を生きる人類、世界中が熱狂しているのだろうか?
私たち日本人こそ、日本文化が何なのか?
せめて「祖先が大切にしてきた事を大切に思う」と言う、遺伝子プログラムである「己」を自分自身が大切にする意識は必要では無いだろうか?
私は最後まで「日本人の両親から生まれた己」であることを「あるがまま」を肯定して生き続ける。
それは、100%日本人の遺伝子プログラムである私にとって、最も尊い意識の源泉である。
そしてアフリカ人にはアフリカ人の、欧米人には欧米人の、アラブ人にはアラブ人の、漢民族には漢民族のそれがある。
それが、ホモ・サピエンスとして、遺伝子プログラムの中に流れている、当たり前の本能的違いでは無いだろうか?
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけありのままの随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先にある何らかの存在に、これから先、明日への静寂、安寧なる心の棲家につながる。この惑星で人類として生きる全て人々がその何かを見つけ、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いが何かであることを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。