私のエデン(第1話)

あらすじ
仮想世界エデンと現実を行き来する生活を送る高校生・狭山里香。エデンは楽しく、現実はつまらない。狭間で揺れる里香はいつしかエデンに依存していくようになり…?
幸せとは?未来とは?最後に決めるのは?
自分の生き方を模索していく高校生のお話し。

第1話

キーンコーンカーンコーン

チャイムが鳴ると同時に、クラスメイトは一斉に席を立った。
「ねーねー、今日カラオケ行かない?」
「この後部活か~。ダルいぜ」
教室のあちこちから会話が聞こえてくる。特に予定もなかった私も帰ろうと席を立った時、トントンと後ろから誰かに肩を叩かれた。
「リカ、これから暇?良かったら一緒にゲーセン行かない?」
眩しい笑顔で友人が誘ってくる。が、今日の私は乗り気じゃない。
「ごめん、また明日」
「残念。じゃあまた明日ね~!」
相手の手をそっと払い、バイバイと手を振る。友人も気にする様子もなく、手を振り返してくれた。放課後の賑やかな雰囲気の中、どこか冷めた気持ちを抱えながら教室を出ようとすると、隣のクラスのカナタが入口からひょっこりと顔を出した。
「おっ、リカ!ちょうどよかった。一緒に帰らないか?」
「お二人さん!今日も仲がいいね~!」
「うるせぇよ」
クラスの男子にニヤニヤしながら言われれば、カナタは顔を赤くしながら小声で返す。
「うん、一緒に帰ろう」
クラスメイトに冷やかされながら、私は彼の手を取って共に教室を後にした。

校門を出て頭上を見れば視界いっぱいに七色のグラデーションが広がっていた。日が沈みかけ、西の空は紅色に輝いている。遠くでは一番星がキラリと光り、まもなく夜が訪れることを告げていた。道行く人も家に帰る途中なのか、あるいはこれから仕事なのか、足早に通り過ぎていく。
「今日のごはんなぁに?」
「今日はまーくんの好きなハンバーグだよ」
「やったあ!じゃあ早く帰ろう!」
すれ違う親子の微笑ましい会話。いつもの通学路。木や電柱の影は長く伸び、一日の終わりを感じた。
「あー今日も長かったなぁ!授業はつまんないし」
隣では恋人のカナタがぼやいている。学年でも5本の指に入る成績の彼に、学校の授業は物足りないのかもしれない。平均ど真ん中の私からしてみれば、全くもって羨ましい限りである。
「カナタってば、いつもそうじゃん。進学、苦労するかもよ?」
「いーんだよ、別に。大してやりたいこともないし。適当なくらいがちょうどいいんだよ」
「もう…」
ポンポンとリズムよく進む会話。難しく選ぶ必要のない言葉。さっぱりした互いの距離感は、心地よいものだ。
隣を並んで歩く彼の顔を、夕焼けが茜色に染める。カナタの瞳に映り込んでいる景色までをも見てみたくて、その綺麗な横顔から目が離せなくなってしまった。
「何?俺の顔に見とれてた?」
「バカ」
視線に気がついたカナタが子どもっぽく笑った。思わず彼の腕をべシッと叩く。

リーン、リーン、リーン、リーン。

その時、どこからか鈴のような音が頭の奥から聞こえてきた。最初は小さく、次第にハッキリと。まるで、音に気づけ!と言わんばかりに。
(ああ…もうそんな時間か…)
「ごめん、カナタ。『帰る』ね」
「そっか!じゃ、また今度な」
笑顔で手を振り別れを告げた。

道の真ん中で目を閉じ、右耳に触れる。これがないと上手くスイッチが切り替えられない。『帰る』ことに意識を向けるためのルーティン。
「戻る」と念じれば、今しがた身体に感じていた夕日の暖かさがなくなり、瞼越しに見えていた明るさもなくなった。
3…2…1…。頭の中で3つ数え再び目を開けると、そこは暗闇の中。ひんやりとした空間に、私は寝そべっていた。
「終わりだ」
頭の横にあるスピーカーから男性の声がした。
プシュウーという音と共に、ゆっくりと青白い光が視界に入ってくる。卵の中から外を見たらこんな感じかなと思うのは、今自分がいる場所が卵型の装置だからだろう。
「……」
私は無言でカプセルから出た。カツンと、靴の底が無機質な床に当たる音がする。ちらりと右に視線を投げれば、白衣を着た男性がファイルを手に立っていた。
「どうも」
「別に、じゃあね」
いつもの事務的な挨拶。なんの感情も宿らない言葉。そう、これが私の現実。
私は机の上に置いてあったスクールバッグを手に取ると、私は機械だらけの薄暗い部屋を後にした。

外に出れば先程までの景色とは違い、灰色の雲が空を覆っていた。今にも雨が降り出しそうな空を睨みつつ、早足で駅に向かった。
ゴールデンウィーク終わりの今日は、いつもより静かだ。ホームに立つ人の姿はまばらで、中にはベンチに座ってうたた寝している人もいる。
タイミング良く来た電車に乗り、空いている座席には目もくれず出入口のドア前に立つ。
窓から見えるほの暗い景色をぼんやりと眺めながら、私は先程まで自分が参加していた実験に思いを巡らせた。

Eternal/Digital/Epilogue/Newworld

通称EDEN(エデン)。
この実験は、頭の中で作った世界を体験できるというものだ。場所・人・物、さらには世界観も自分の想像一つで創れる。総理大臣にも億万長者はもちろん、勇者や魔王にもなれる。まさに夢のようなシステムだ。

ただ、これには危険も伴う。
一番は被験者の脳への負担だ。常に頭の中の想像をエデンで創造するために、脳のメモリを機械で吸い上げ、それをあたかも現実であるかのように脳に直接映像を見させている。
また、非言語的な領域である皮膚感覚などもコンピュータが分析している。脳の膨大な記録から最適な環境を作るのに一役買っているのだ。

例えば私が「夕暮れ時だな。冬だから寒いかと思ったけれど、西日は暖かいだろうな」などと一々脳内で考えて具現化しなくても良いようになっているらしい。
プログラムとは何と便利なのだろう。
簡単に言ってしまえば、その人の願望を見させてくれる、夢のような実験なのだ。

元々は病末期の患者さんに使用する予定のものだ。
すでに臨床段階に入っており、数年後には本格運用が見込まれている。
死ぬ間際、やり残したことをエデンで追体験し、幸せな最期を迎える。もしくはエデンに残り続け人生を終えることもできるのだ。

私がこれを受けているのは、常人ならばどのような結果が得られるかという実験だ。
とはいえまだまだ反対意見も多い。私のような未成年に行えば、脳が壊れたり、依存性が強まりこちらの世界に帰ってこられなくなる危険がある。
現実とエデンが創る空想の世界を分けて考えられなくなるからだ。
なので厳格に管理された状況下でしか許されないのだ。

『次は──駅…』
車内に流れるアナウンスで我に返る。20分というのは、ぼーっとしていれば長いが、考え事をしているとあっという間だ。
駅を出れば辺りは暗くなっていた。制服姿なので補導対象に見られるのは困る。今どきの高校生の門限を18時だと思うのは勘弁して欲しいところだ。
「うわっ、そろそろ降ってきそうじゃね?」
「コンビニで傘買っとく?」
すれ違う人もまた雨を警戒している。確かに、濡れたくはない。

駅から徒歩15分。薄いグレーのシックな2階建て新築アパート。その一室が私の住まいだ。わざわざ駅近のに人気の物件を選んだのは、人に対して見栄を張りたい母だ。
(自分が住むわけじゃないのにね…)

ポケットから鍵を取り出せば、キーホルダーの鈴が小さく鳴る。玄関ですぐにカバンを下ろした。タブレットというやつは本当に重い。毎日持ち帰らなくてもいいと思う。
手探りで壁のスイッチをおす。一気に明るくなる室内。一人暮らしの部屋は、生活感はあるもののそれだけだ。元々物が少ないため汚部屋にはならないが、片付けが苦手なので適度に散らかっている。月に1回大掃除が恒例行事だ。
「はぁ……」
家に帰るのは億劫だ。帰ったところで「おかえり」と声をかけてくれる存在はいない。両親は健在でここからそう遠くないところに住んでいるが、互いにほとんど交流はない。文字通り放任状態だ。お金だけは振り込まれ続けているので、バイト三昧にならないのが唯一の救いだ。

だからなのだろうか。贅沢ではとも思う。自由度がこんなにも高く、親に迷惑さえかからなければどこで何をしていても文句を言われることはないのだから。

「うわ…」
ハンガーから回収したシワだらけのブラウスに、思わず顔をしかめた。明日学校に着ていくためにアイロンがけをしなきゃいけない。が、それ1枚のためにアイロンを温めるのも億劫だ。
「とりあえずご飯食べてから考えようかな」
冷蔵庫を開けて見れば、昨日作ったひき肉入り野菜炒めと、ご飯とそのお供の明太子が並んでいた。しらすのパックやソーセージもあるが、とりあえず最初の3品を取り出す。
「確か、インスタントの味噌汁がこっちの棚に…あ、あった」
それぞれ温めたりお湯を入れて食卓に並べれば、質素ながら夕飯が出来上がった。
「いただきます」
手を合わせ、箸を持つ。中学校の終わり頃からこんな生活だ。一人静かな食事にも慣れてしまった。
思い出したようにテレビをつければ、いつの間にか夜のバラエティ番組が始まる時間になっていた。
「天気予報終わっちゃった」
明日の洗濯に関わる大事な情報を見逃したことに悔しがりつつ、もそもそと食事を続けた。

「ふわぁ~っ、眠い…」
風呂に入るとやはり眠気が勝ってくる。
だが、ここで寝る訳にもいかず、ブラウスのシワ伸ばしと今日の課題をなんとかこなしていく。
気がつけば午後10時。そろそろ寝た方がよさそうだ。
「…おやすみ」
枕元に置かれたクマのぬいぐるみに挨拶をし、私は眠ることにした。

ピピピピッ、ピピピピッ、

目覚まし時計が今日も寝起きの悪い私のために仕事をしてくれる。手だけを動かし停止ボタンを押す。
少しの間布団に潜っていたが、諦めて起き上がり、眠気覚ましのために水で顔を洗う。そのまま適当にパンを選び、紅茶をいれれば、立派な朝食のできあがりだ。
5月とはいえ、朝はまだまだ寒い。テレビをつければ毎朝の番組。物騒な事件、今のトレンドなど、日々ニュースに事欠かない世の中は忙しなく動いている。が、そのどれもが自分の世界とはかけ離れた存在のように感じた。
朝食もそこそこに支度を始める。
「...うわ」
寝ぐせではね散らかったこげ茶色の髪が鏡に映った。直すのも面倒で、一つにまとめてしまう。
「また伸びてきたなぁ」
2年生の終わり頃に肩くらいの長さに切りそろえたのだが、約2ヶ月で背中にかかるようになってきた。
「...今度切る時は、思い切って染めてみようかな。それも、とびきり奇抜な色で」
髪色が七色に変わる自分を想像して、一人笑った。

「いい天気だなぁ」
5月の爽やかな風が心地いい。朝からおしゃべりな雀の声。青空を横切るツバメ。道行く色とりどりのランドセルが眩しく輝いている。
前を歩くイヤホンをつけて歩くサラリーマンは、周りに目もくれない。もったいないと思うのは、私だけだろうか。
(…とはいえ、のんびりしていたら私も遅刻しちゃう)
学校まで徒歩30分の道のり。自転車で行けば早いのは分かっているが、一人で歩くこの時間が好きなのでこの通学スタイルを続けている。

何の変哲もない毎日だ。学校へ行き、授業を受ける。部活動も間もなく終わりが近づき、大学受験への追い込みを視野に入れていく。

(ま、それは周りの話。私は部活入っていないし、将来なんてまだ全然考えられていない。…私は、どう生きたいんだろうね)
考えても答えの出ない問いを抱えながら歩いていれば、いつの間にか学校に到着していた。

「おはよう」
「おはよ~」
教室に入り挨拶をすれば、クラスメイトが返事をしてくれた。
だが、それだけだ。
会話を重ねることなく、窓際の自分の席に向かった。
嫌われているわけではない。ただ、皆はどこかのグループに属していて、私はどこにも属していない。
ただ、それだけだ。
「ねーねー、昨日のテレビ見た?」
「課題見せてくれっ!」
「今日の5時限ってなんだっけ?」
賑やかなクラスの中、私の周りは波が引いたようにシンとしている。カバンから読みかけの本を取り出し、一人読書する。いつも通りの、孤立した空間。
会話どころか、エデンのようにカラオケに誘ってくれる友人など一人もいない。

これが、現実の私の日常だ。

キーン、コーン、カーン、コーン…

予鈴が鳴り、それぞれが自分の席へと戻っていく。私も本を閉じて1限目の準備をする。
退屈な日常は、まだまだ始まったばかりだ。

私の通う学校は平凡な公立高校だ。そのせいか3年生という受験や進路を意識する学年になっても、あまりギスギスした空気にはならない。ほとんどは進学希望だが、中には就職を選ぶ人もいる。
私はというと、実はまだ進路を決めかねていた。
進学したいと言えば、親は多分学費を払ってくれるだろう。もし払われなくても、今まで振り込まれてきた余りある生活費とバイトで乗り切れそうだ。
しかし、やりたいことや将来の夢と言われると、いまいち思い浮かぶものはない。かといって就職を選ぶのも抵抗がある。

この悩みを相談できる相手がいない。実はそこが一番の問題なのだ。

「…であるからにして──」
先生が教科書を読み上げる声。チョークが黒板を打つ音。紙をパラリとめくる音。校庭から聞こえるホイッスルの音。湧き上がる歓声。
その一つ一つが煩わしい。
世界は私を置いて進むのに、私は私を生きなくてはならない。
「じゃあここを、狭山、読んでみなさい」
先生に指名され、ぼんやりと飛ばしかけていた意識を教科書へと戻した。

放課後。長い授業も終わり、時間が空いたのでエデンへ行こうと思っていた。

学校から約1時間の場所。そこがエデンの研究所。
エデン研究所は、閉鎖された病院を改装して造られた場所だ。かなりの年代物だったらしいが、今はその面影もない。視界に入る白い壁は眩しいくらいに綺麗で、研究所というより高度な医療機関といった方がしっくり来る。
だが、研究所という名はあるものの実際ここにいる研究員はたったの一人だ。それでよくこの清潔さを保てているなと思うのだが、その人曰く「人間より優秀な掃除ロボスタッフが24時間常駐しているのでね」だそうだ。

そしてここの主は、人間が嫌いだ。

コツ、コツ、コツ、

通路を歩く靴音が耳に届く。無機質な響きを持つそれは、日常とは一線を引いているように感じた。
カードキーを使い、扉のロックを解除する。開いた扉の先には、地下へと続く長い階段があった。灯りはついているものの、光量に乏しいので気をつけないと段差を踏み外してしまいそうになる。
足元に注意しながら進んだ先には別の扉があって、指紋認証とパスコードで開けられるタイプのものになっている。随分厳重なことだと思うが、逆に言えばそれだけ用心しなきゃいけない理由があるのだ。

『認証しました』

事務的な女性の声と共に、ウィンと扉が横に開く。
「また来たのか」
モニターの前に座っていた白衣の男はちらりと私を一瞥すると、再び目の前の作業に戻った。
「いらっしゃい、とか、おかえり、とか言えないの?」
「別に呼んでいない。君の家でもない」
淡々と冷たく返され、私は小さくため息をついた。いつも同じやりとりをしているのだ。たまには違い返事が返ってこないものかとも思ってしまう。エデンの中にいる人より、目の前にいる人物の方が余程機械的に感じた。

この男は佐野秀人(さのひでひと)。
人間嫌いなここの主で、エデンに関する研究を行っている。彼は研究者で、私はさしづめ彼に見初められたモルモット、といったところだ。

「2週間前に来たばかりだろう。高校生というのはそんなに暇なのか」
チクリと嫌味を言われ、思わずムッとした。学校で浮いていることや家庭環境を知っているくせに、意地の悪いことを言う。
「引きこもりの研究職よりは忙しいと思うけれど?」
つい言い返してしまえば、相手も痛いところをつかれた顔になり、無言を返してきた。
つまるところ、私たちは似たもの同士なのだ。
「ねぇ、今日もエデンに行きたいの」
「ダメだ」
即座に返ってきた答えに、私はもう一度ため息をついた。
脳への負担が大きいため、エデンへ行く間隔は最低3週間以上空けなくてはならないらしい。ギリギリ許容範囲だとも思うのだが、こちらが機械や人体に詳しくない以上、佐野の言うことに従う他ない。
こういう時は何を言っても首を縦に振ってもらえないと分かっているのだが、何となく負けた感じがして悔しい。
仕方なく私は離れたところにある椅子に座り、部屋の機器類を眺めた。

机の上には3台のパソコン。同じ形だが、全てが真ん中に座る人に正面が来るよう置かれている。
パソコンだけで机はいっぱいなので、右側にサイドデスクが取り付けられている。こちらは難しいタイトルの本が数冊と、広げたままのノート、佐野の愛用しているペンが一本転がっていた。
前に一度ノートを見させてもらったのだが、複雑な数式や専門用語が並んでいてさっぱり理解できなかった。
部屋の左奥には、数え切れないくらいの本が棚に上から下までギッシリつまっている。

そして、右奥にあるカプセル型システムが、エデンへと繋がる装置だ。太さの異なる数十本のコードがカプセルから天井に取り付けられているボックスへと伸びており、そのボックスから3台のパソコンへと別のケーブルが伸びている。

(まるでSF映画のワンシーンみたいな部屋だなぁ。機械だらけの異空間って感じ)

機械と本以外には何も無い。テレビはもちろん、仮眠するベッドも、くつろぐためのソファも、観葉植物もない。ウィンウィン、ピピッピピッと機械音だけはするので賑やかと言えばそうなのだが、正直これは佐野だから成り立つ快適空間であって、至って現代的な自分では一時間で気が狂ってしまいそうだ。

こんな複雑で巨大な機械が置けるくらいだから部屋の広さは相当なものなのだろうが地下という閉鎖的な空間だからなのか、窮屈で息苦しく感じてしまう。
「いつまでそこにいる」
「いつになったらエデンに行ける?」
質問に質問で返した私を軽く睨みつけると、佐野はパラパラとノートを見返して「月末」と短く告げた。
「…分かったよ。じゃあ、またね」
椅子から腰を上げて軽く手を振る。佐野はこちらを一度も見ず声をかけないまま、私の背後で扉が冷たく閉じたのだった。



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