初投稿|30年間"生きづらさ"に苦しんだADHD+ASD持ち51歳、森で生き返る
はじめまして。初めてのnoteでは、僕がどんなふうに"生きづらさ"の中をもがいてきて、今どんなことをやろうとしているのかをできるだけ素直に書いていきたいと思っています。
きれいにまとめるつもりはありません。格好つけても仕方ないし、むしろ格好つけてきたこの30年が僕をいちばん苦しめてきたから。
だからこのnoteでは、できるだけ正直に辛かった頃に感じていたことをそのまま書きます。
最初に、これを読んでいる皆さんに伝えたいことを、ひとつ。
「生きづらいと感じているあなたの苦しみは、一緒に理解し合えればもっと短くできる。そして、その先に幸せな人生をちゃんと切り開いていける」
僕はそれを30年かけて、ずいぶん遠回りしながら知りました。
だからこそ、このnoteを通じてみんなに伝えたいんです。
極端なADHDとASDで"生きづらさ"を感じ苦しんだ30年間

僕は、極端なADHDと、表面的には分かりにくいASDの特徴を強く持っています。
これを自分で認めて、こうして公言できるようになるまでに、約30年かかりました。
30年です、長いですよね。生きにくさを感じ始めた15歳から、45歳ぐらいまで。
その間、ずっと、生き辛さと不安を抱えながら生きてきました。
自分が何者なのか、なぜこんなに周りとうまくいかないのか。
その理由がわからないまま、ただただ手探りで生きていた感じです。
いちばん古い記憶をたどると、小学生の頃にいきつきます。
小学4年生ぐらいまでの僕は、物事の善悪の判断がよくつきませんでした。
自分と周りの世界との境界みたいなものが、まだ曖昧だったんだと思います。なんというか、夢の中にいるような、ふわふわした感じの世界に生きていて、自分と他人の違いもよくわかっていませんでした。
ただ、周りの人が僕の発言や行動を見て「面白いね!」って笑ってくれるのが、すごく嬉しかった。だから、ちょっと他とは違う発言を、何度も繰り返すようになりました。
でも、それを面白くないと思う子たちがいたんですね。
「おまえの存在がむかつく」とか、「俺のかわりに宿題やっといて」とか。だんだん、自分にとって嬉しくない言葉も受けるようになって、いつのまにか、毎日いじめられるようになっていきました。
それでも当時の僕は、自分がいじめられることで場がうまくおさまるなら、それでもいいか、みたいな気持ちもどこかにあったのを覚えています。
そのいじめが、はっきりエスカレートしたのが、小学5年生のときでした。
毎日、学校に行きたくなくなって、仮病を使って休んだりしていました。
ある日、帰ろうとしたらランドセルがなかった。あちこち探して、裏庭まで行って、やっと見つけた場所が...
焼却炉のゴミ捨て穴の中でした。
自分のランドセルが、焼却炉のゴミ捨て穴に捨てられていたんです。
昼休みにいじめられて、自分の席に戻って泣いていたら、机ごと蹴られて、「泣いてんじゃねぇよ」と理不尽に言われたこともありました。
自宅では、僕にとって唯一ひとりになれる時、それがお風呂掃除の当番の時間でした。
誰の目もない、そんな1人の時間に、僕は「このまま死ねたら楽だな」って、思っていました。何回、いや、何十回も思っていました。
まだ10歳そこそこの子どもが、です。
今思うと、本当にギリギリのところにいたんだと思います。
そこから僕は、人との交流や、感情のやり取りそのものを、なるべく避けるようになっていきました。
小学校、中学校、高校、大学と、友達はいたんですが「親しい」という感覚が、よくわからなかった。むしろ、嫌なことをする人を「嫌だな」と思う感情のほうが、強く育ってしまっていました。
会話の内容がよくわからなくても、ただ笑ってごまかす。ちょっとしたことを大きく見せて話す。そうやって、かなり逃避的な毎日を、ずっと続けていました。
この"逃避グセ"は、大学に入ってからも、僕を苦しめ続けました。
大学には推薦で入りましたが、入学した瞬間にそれまでの人間関係が全部リセットされてしまった。
そして数ヶ月、僕は「親しい」友達をひとりも作れなかったんです。
親以外とは話ができなくなり、電車に乗るのもつらくなって、人の目が怖くなってしまった。電車の中で、向かいの人の目線が怖い。心臓がバクバクする。たぶん、パニック障害の一歩手前まで行っていたと思います。
友達の表情が、ちゃんと見えなかったんです。
その時には自覚していなかったが、きっと「大学で親しい友達が作れない自分」が恥ずかしくて、情けないと感じていたんだと思います。なぜ理由もわからずに親しい関係が作れないんだろうという焦りと、孤立している状況への不安で、いっぱいでした。
僕の学生時代の生きづらさエピソードについてはこの記事で詳細に解説しているのでぜひ見てみてください。
そんなダークな子ども時代を過ごした自分ですが、21歳の時に「夢を持てない社会の閉塞感」を感じたことがきっかけで就職をしないことに決めて、『夢をちゃんと大人が応援する場』としての学習塾を地元である埼玉県で立ち上げました。
その後、51歳までに7つの会社を起業し、2つの会社を上場企業にバイアウトしてきました。
傍からみれば、華々しい結果だとよく言われるのですが、それは僕の表面の部分だけしか見られていないと感じています。
自分の生き苦しさや、認めざるを得ない社員との衝突、幹部と方針のずれや行き違いなどがあり、これまでの日々が常に修行の場であったなと思います。
そして、7つ目の会社でやっと過去の自分のマイナスを自認できたからこそ、自分の弱さをこうやってnoteにさらけだすことができました。
なぜ7つ目の会社で過去の自分のマイナスを自認できたのか、という部分については今後のnote記事で公開していこうと思います。
凸凹がある人たちと共に、ガチャンと"革命を起こす"
今だから、はっきり言えることがあります。
健常者の"あたりまえ"や、周りの言葉から、「自分は他人と違う」「常識からずれている」という想いを、少しずつ積み重ねていく。その積み重ねが、いつの間にか「常識」というものを作り上げている。
つまり、その「常識」は、自分の中で勝手に作り出しているものでしかないんです。
周りと欠けていると自分が思い込んでいた部分が、「そのままで良いんだ」と思えるようになったのは、実はここ数年の話なんです。
今あらためて振り返ってみて、本当にそう感じます。

そして、僕がいちばん大事にしているキーワードがあります。
それは、「共に」です。
依存でも、憧れでもない。もちろん、上下の関係でもない。
自分の辛さと向き合い続けた結果として、今の僕があります。そのことを、どうしても伝えたい。そして、同じようにADHDやASDで苦しんでいる人を全力でサポートしたいんです。
生きやすさがわかるから、生きづらさがわかる。
逆もまた然りです。あの30年があったから、僕は同じ場所で立ち止まっている人の気持ちが、痛いほどわかる。
生きづらいと思い始めてから、僕は答えにたどり着くまで30年かかりました。
でも、僕は思うんです。
この苦しみはもっと短縮できる、と。
ひとりで抱え込まずに、一緒に苦しみを理解し合うことで、その人の幸せな人生を、ちゃんと切り開いていける。

それだけで、もう既に革命が起きているんだって、僕は本気で思っています。
そして、共に、日本や世界を面白く生き抜いていきたい。
安曇野コモンズという「働く=生きること」を楽しめる場所
僕には、この人生の中で何度も何度も立ち返りたくなる原点があります。
それは、「森の中で自分を癒す」ということ。

20代の頃、つらいことがあると、僕はよくレンタカーを借りて、高原や山に行っていました。
特に、会社が大きくなって社員の離反などがあり、精神的に疲れきっていた時期。そういうときは、人通りのない神社の裏に行って大木に寄り添い気持ちを落ち着かせていました。
不思議なんですけど、大きな木に触れていると、心がスッと整っていくんです。
考えてみれば、その大木は、僕の人生よりもずっと長く、100年も、1000年も生きている。そんな存在に身を寄せていると、自分のルーツみたいなものを、見つけられるような気がしたんです。
都会は、僕にはどうしてもつらかった。
うまく言葉にできないんですけど、人の負の感情が渦巻いているような感じがして、息苦しくなる。だから僕は、人の少ない自然の中で、仕事がしたかったんです。
そして、かつて辛い時に僕を癒してくれた木に関わる仕事を、20代の頃からずっとやりたいと思っていました。
だから、長野県の安曇野にある山に囲まれた、この自然の中での新しい挑戦。
それが、僕にとっての「安曇野コモンズ」です。

安曇野コモンズでは、果樹と田んぼと、IT系B型就労施設をメインに活動しており、9月より林業チーム(フォレストバンク)が本格活動していきます。
安曇野コモンズは、林業や、お米づくり、障がい者支援事業を組み合わせた新たな取り組みです。ただ理念を語るだけの場所ではなく、自分が楽しみながら次世代が楽しく暮らせるようにするという『自分軸をどこまでも探求する世界』というのが安曇野コモンズの特徴です。
遊びにお越し頂ければ、全国にいる仲間を紹介することもできます。
ここは、ひとつの「選択肢が増える場所」という役割も担っていきたいと思っているんです。安曇野や他の仲間など、その人に合った別の場所を紹介する。選択肢が多いことって、それだけで救いになると思うから。
安曇野コモンズの取り組みについては、このnoteで今後も少しずつ伝えていきたいと思っています。
⬇️安曇野コモンズについてはこちら⬇️
https://azuminocommons.org

僕がこの場所で、いちばんやりたいこと。
それは…
『ADHDやASDで苦しんでいる人たちと一緒に、その苦しみを理解し合うこと。そして、その人の幸せな人生を、一緒に切り開いていくこと』
「働く」って、本当は「生きること」そのものだと思うんです。
我慢して、すり減らして、なんとか耐える時間じゃなくて。自分の凸凹も含めて、生きていることそのものを楽しめる場所。
そういう場所を、僕は安曇野に作っていきたい。
凸凹があるからこそ、見える景色があります。
もしあなたが今、生きづらさの真っただ中にいるなら、その答えは、きっとあなた自身の中にあります。
自分の辛いことの意味が理解できれば、もう恐れる必要なんてない。あとは、自分の内なるワクワクに従っちゃえばいいんです。
僕はそれを、30年かかって知りました。
かなり遠回りをしてきたかもしれません。
ですが、7つ目の会社で過去の自分のマイナスを自認したからこそ、結果的に大切なメンバーと共に、この大切なサービスを世に送り出して次のステージに向かえることに、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、この想いをADHD・ASDで苦しんでいる人たちに届けたいと想い、noteを始めることにしました。
凸凹がある人たちと共に、ガチャンと、革命を起こしましょう。
そして、この日本や世界を、一緒に面白く生き抜いていきましょう。
