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今会いたいから会いに行く

「また今度」は大抵叶わない。だからこそ、会いたい人には会いに行く。


私の家で料理を作る料理男子でシェフ一号、シェフ二号がいた。
「いた」というのは、もう二人は来なくなってしまったからだ。

シェフ一号の誠は去年卒業し、今は日本語教師をしている。
社会人になってから毎日忙しく、体調不良がつづく。

五月の連休では故郷に帰ることを楽しみにしてたが、歯を抜いて炎症がひどくなりろくにものが食べれず。

回復したと思ったら胃腸炎になり点滴。
それは三日前のこと。

かなりつらい様子だが、うちに来たいと言って、車に乗ってさっき来た。

近いとはいえ彼のいる临沂から棗荘までは三時間。

朝一の連絡では、また下痢が止まらないとかで明日にすると言っていたのが、少し落ち着いたと言って車を飛ばして到着。

手ぶらで来いと言い忘れたので、西瓜二つに大きな箱二つ、さらに食べ物を持ってくる。

中国人は会計もそうだが、日本人がケチに感じるほどおごり方もおみやげも豪快だ。

私は誠の料理を楽しみにしていたが、そんな体調不良では作れない。
それに誠は私の日本料理が食べたいと言っていた。

胃腸に負担をかけないよう悩んで作ったのは豆腐ハンバーグに白菜かぶせて蒸したもの。最後に大根おろしをかけた。

私の料理は見た目は不味そうだが味はおいしいと自分で思っている。
誠も喜んで食べていた。

そして食べると、薬を飲んで「また下痢になると大惨事だから帰る」と言って帰っていった。

往復6時間。滞在時間はわずか一時間半程度。

それでも誠は私に会いに来た。

まもなく私が棗荘を去るからだ。

今学期までなので6月には去ると勘違いしたらしい。
だからあと一回は来れるだろうと言った。

体調不良でも「これが最後かもしれない」と思って来てくれたこと、ほんの少しの時間でも会いたいと思ってくれたこと、それがとてもうれしかった。

離れてからわかること

誠にも聞かれたが、今、私の家にはほとんど誰も遊びにこない。
そもそも、毎年うちに来るのは一年生や二年生が多かった。

今、日本語科は三年しかいない。
三年にもなると、大学院準備や資格取得で忙しく、焦りと疲労で余裕がない。

かつては色んな学生でにぎわっていたのが嘘みたいで、卒業生などは驚く。

まあ、何かが終わる時なんて、こんなものかもしれない。

でも、誠もそうだけど、卒業すると私に会いたくなる学生が出てくるようで、それこそ今年何人か卒業生がはるばる会いにきてくれた。

卒業したからこそ、もう戻れない日々を思い出し、あの頃に戻りたいと願う。

いつも学生に言うが、今同じ場所で同じ時間を過ごせることは本当に奇跡だ。

「また今度」が好きじゃない

私は「また今度」という言葉が好きじゃない。

そう言って「また」なんて来なかったことのほうが多い。

言うからには絶対に実現させたいと思うし、「会いたいねー」と言って会おうとしないような付き合い方は嫌いだ。

私はこれが最後だろうと思いながら死の直前までやりとりした友人たちが何人もいる。

自宅療養に入った人と別れ際最後に交わした言葉、表情も今も鮮明に覚えている。

私がLINEなどの返事をしない人に「そこまで興味も関心もないんだろう」と思ってしまうのは、自分が余命何カ月という友人たちと本当に毎日やりとりしていた人間だからだ。

ただ、これに関しては人それぞれ考え方がちがうから、これはあくまで私の感じ方だ。

実際、私の友人で、いつも帰国のたびに私から連絡していた人は、「会いましょう会いましょう」と言いながらもなかなか会ってくれなかった。

だからこの人は私に興味ないし会う気もないんだろうと思った。
そして連絡しなくなったが、手紙が来ていたので電話してみた。

するとその人は泣きながら、「この三年、思い出さない日はなかった」と言った。

これは本当に驚いた。「だったら、なんで会わなかったんだ?」と。

その後この人と再会するが、私も自分基準で考えてしまったことを謝った。

人間関係は変化する

いずれにしても、本当に、今一緒にご飯を食べてる人は今この日だけのものだというのは、実体験を通しても言える。

ある日突然別れはやってくる。

それが死別とは限らない。

仲がよかった同僚のポジさん(ポーランド人のおじさん)だって、コロナ後また棗荘で会えるはずだった。

でもコロナ期間、巻き込まれ事故で生死をさまよったポジさんは、そのまま辞職。孫とアフリカに行くまで回復したのはよかったが、再会は果たせないままだ。

四年のモンスター学生や三年シェフ二号だって、一時はすごく仲が良かったが今は断絶。彼らに共通して言えるのは、仲良くなる=なんでも許されると思ってること、私を助ける=自分のほうが上の立場と勘違いすること。そしてその増長を私は許さない。

結局私に残る人間関係はお互いへの尊重や思いやりがある関係だけだ。

それに加えて、私の場合、連絡がなくなったり、返事がないと、この人は自分と関わる気ないのだなと諦めが早い。

それもこれも人間関係が流動的で変わりやすいことを知っているからだ。

関係性の変化は子どもにも言える。
どんなに仲良くしていても、成長すれば自然と離れていってしまう。

だからこそ、子どもと遊べる時間は一瞬と思って、私は子どもとの約束は何をおいても守ろうとする。今しかないと思っているから。

今会いに行くということ

二度と会えなくなった人、二度と戻らない時間、二度とできない体験、それはみんな同じはずなのに、どうして今が当り前のように続くと思うのか。

私は学生たちには常日頃同じことを言っている。

「今会いたい人がいるなら会いなさい」

「今隣にいる親友は卒業したら当たり前にはそこにいない」

だからこそ、今日、誠が体調不良をおしきってでも、この後もう時間がないと言って来てくれたのは本当にうれしかった。

私は自分が思ってるよりも、人は私のことを忘れてないのかもしれない。

「また今度」という言葉には先送りの意味しかないと以前は思った。
でもそこには「いつかまた会いたい」という今の気持ちが込められているんだろう。

それでもやはり実際に会いに来てくれる人、連絡してくれる人、返事をくれる人は、その時間の分、自分に気持ちを向けてくれた人。

ほんの少しの時間でも会いに来てくれた誠に私は心から感謝する。





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