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この1万ビューの全員が、私にとってYOASOBIだった|届かないラブレター|自キュン90

返事のない手紙が、毎日を変えていった。

憧れた人へ届けるつもりで書き始めても、
本人が読んだかどうかは確かめられない。

それでも、名前も知らない一人が持ち帰った瞬間、
物語はもう誰かの暮らしへ届いている。

2011年、心理学者のアダム・グラントとジェームズ・ベリーは、
他者の役に立ちたいという向社会的動機が視点取得を促し、
内発的動機と創造性の結びつきを強めることを示しました。

ならば、読者を意識してから文章が変わったのは、
自分らしさを捨てて数字へ迎合したからではなく、
自分以外の暮らしから物語を見るようになったからかもしれません。

今回の主人公は、吉岡 真澄(43歳)。

七月二十三日の「ふみの日」、
約一万ビューになった連載を見ながら、誰に宛てて書いてきたのかを友人へ話します。

少し、彼女の夜を覗いてみましょう。



「YOASOBIに読まれたら、どうするの?」

「もう読まれてるかもしれない」

「本人たちに、だよ」

友人の綾は呆れたように笑い、テーブルの上のスマートフォンを真澄へ返した。画面には連載の集計が表示され、全体のビューは一万に近づいている。誰がどの記事を最後まで読んだのか、そこに憧れた二人がいたのかは分からない。

「だから、その中にいたかもしれないでしょう」

「いたら連絡が来るんじゃない?」

「名乗らず読んで、普通に閉じたかもしれない」

「夢があるのか、ないのか分からない話だね」

真澄が連載を始めるきっかけは、2022年の夏だった。出演を楽しみにしていたFUJI ROCK FESTIVALで、ikuraが新型コロナウイルスに感染し、YOASOBIの出演がなくなった。代わりに別のライブ映像でも見ようとYouTubeを巡るうち、二人が小説を音楽にする制作について語る映像へたどり着いた。

Ayaseは小説を何度も読み込み、物語の色や空気を音へ変え、原作の言葉と自分の解釈の距離を測りながら歌詞を作ると話していた。真澄が驚いたのは、本を参考にしていることだけではない。一曲の後ろに、別の表現へ往復できるほど多くの入口を作っていることだった。

「それで、自分も小説を書こうと思ったの?」

「半分はね。もう半分は、恥ずかしくなった」

「何が?」

「自分が出してたもの。自分ではいいと思ってたけど、まあ、このくらいでいいかって終わらせてた」

真澄は以前から文章を書いていた。自分が面白いと思うものを、自分が納得できる形で出し、反応が少なければ読者に見る目がないとまでは言わなくても、届き方を直そうとはしなかった。SNSの「いいね」を軽いものと考え、読者とのつながりを、作品の外側にある数字として扱っていた。

YOASOBIへ届けると決めた瞬間、その甘さを許せなくなった。ニュースから題材を仕入れ、心理学の研究へつなぎ、歌詞になりうる一つの感情を守りながら物語にする。憧れた相手が読んでも、まあまあとは思われたくなかった。

けれど、力を入れても最初から多く読まれたわけではない。公開画面の数字が「1」へ変わり、しばらく動かない夜もあった。

「一人しか読んでないとき、どう思ってた?」

「もっと読まれるべきだと思ってた」

「その一人には?」

「見えてなかったんだと思う」

その後、タイトルを変え、冒頭で読者が自分の経験を重ねられる問いを置き、前後の記事をつなぐ説明も加えた。自分が書きたいことを薄めたのではない。読んだ人が、物語の中から自分の暮らしへ持ち帰れるものを増やした。

ビューとスキは少しずつ安定し、ときどき一つの記事が小さく跳ねるようになった。数字を意識すると作品が汚れると思っていた真澄は、数字の向こうに人を置いたとき、むしろ書く理由が明確になることを知った。

グラントとベリーの研究では、自分が面白いから取り組む内発的動機に、他者の役に立ちたいという向社会的動機が加わると、相手の視点を想像する働きが促され、新しさだけでなく有用性を持つ発想につながった。創作を自分の外へ開くことは、個性を失うことではない。相手の世界から、自分の表現をもう一度見ることだった。

「じゃあ、今はYOASOBIに届かなくてもいいの?」

「届いてほしいよ。でも、もし本人に『読みました』と言われる代わりに、今読んでくれている人が全部いなくなるなら、そっちは選ばない」

「ずいぶん現実的なラブレターだね」

「違う。宛先が増えたの」

真澄はスマートフォンを持ち直し、一万に近い数字を綾へ向けた。

「私にとって、みんながYOASOBIなんだよ。読んだ人が一つでも自分の暮らしに使いたいと思えるように書き直した。本人がいたかもしれないって、一万ビューになった今だから言える気がするけど、本当は一ビュー目の時点で、その可能性はあった。誰が読むか分からないなら、最初の一人にだって、まあまあなものは渡せなかったんだよ」

綾はすぐに返事をせず、もう一度画面を覗き込んだ。

「じゃあ、これは誰宛ての手紙?」

「次に読む人」

「返事は?」

「なくてもいい。書いている毎日が好きになったから」

七月二十三日は、日本郵便が手紙に親しむ日として広めてきた「ふみの日」である。手紙には宛名を書くが、公開した文章の宛先は、読まれるまで決まらない。返事の代わりに残る一つのビューも、本人だと証明することはできない。

真澄は新しい原稿を開き、最初の一文を書いた。ハレー彗星が戻るほど待たなければ次に出会えないとしても、その間に手紙を書く相手は増えていく。

送信先の見えない画面へ文章を置くと、集計にはまだ現れていない次の一人が、白いページの向こうで宛名を待っていた。



次の話では、先生の言葉を秘密道具にした人生を。

この話では、YOASOBIへ届けるために始めた創作が、読者一人ひとりの暮らしへ渡す手紙に変わり、最初の一ビューにも同じ可能性があったと気づく夜を書きました。

次の話では、自己効力感を手がかりに、十一回の転職先でもらった先生たちの言葉を四次元ポケットへ入れ、今度は自分が誰かへ言葉を渡す側になる責任を考えます。

「世界は広い、お前は全部見ろ」と言われ、本当に11社を見て回った|私の四次元ポケット|自キュン91

https://note.com/yagiwooo/n/nb430640763e2



あとがき

憧れた一人へ届けたいという気持ちは、創作の基準を引き上げます。しかし、その作品を実際に受け取るのは、名前の分からない一人かもしれません。今回は、数字を追うことを読者へ迎合する行為ではなく、数字の向こうにいる人の暮らしを想像する行為として描きました。



今回の学術メモ

2011年、グラントとベリーは、内発的動機と創造性の関係を、向社会的動機が強めることを三つの研究で検討しました。その媒介として示されたのが、相手の好みや必要を想像する視点取得です。本稿では、自分がよいと思う文章から、読者が使える文章への変化を、個性の放棄ではなく視点の追加として位置づけました。



#自キュン #YOASOBI #note #創作 #ふみの日

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