東京マラソンに当選した日|人生折り返し、初フルマラソンへの挑戦【東京マラソン2026①|動事001】
①当選からの練習|なぜ走るのか、どう準備したのか
仕事・家庭・育児・大学院受験——それでも走り続けた理由を、正直に書く。
今日、3月9日は名古屋シティマラソンの翌日だ。昨日は名古屋の街を多くのランナーが走り抜けた。私は参加していないが、先週の3月1日、東京マラソン2026を走った。
今回から、そのレースの記録を書いていく。
なぜ、走るのか
少し遠回りな話から始めさせてほしい。
タウンアーキテクトとして、まちづくりに携わってきた。そんな人間が、マラソン大会に関心を持たないわけがない。
マラソン大会は、まちづくりに関わる人間にとって最高のイベントだと思っている。
普段、都市を見る手段は限られている。車の中から、電車の窓から、あるいは図面や地図の上から。どれも「俯瞰」だ。しかしランナーとして街を走るとき、都市はまったく違う顔を見せる。
地面の硬さ、風の向き、街の匂い、建物のスケール感、人の流れ——これらはすべて、ヒューマンスケールでしか体感できないものだ。時速5〜6kmという、人間本来の速度で都市を読む。車でも電車でもなく、自分の足で。
都市のど真ん中を、42.195キロにわたって封鎖し、数万人のランナーが走り抜ける。銀座、日本橋、浅草、築地、豊洲——普段は車が支配する東京の大動脈を、人間の足で走る。これは単なるスポーツイベントではなく、都市そのものを舞台にした壮大な実験だと思っている。
フルマラソンでなくても構わない。10kmでも、ハーフでも、街を走ることそのものが、まちづくりの人間にとっては現場調査であり、発見の連続だ。
プロとして都市を「設計する側」で見てきた自分が、今度は「走る側」として都市を体で読む。それがどんな体験になるのか——それも、東京マラソンに挑む理由のひとつだ。
45歳を過ぎた頃、ふと気づいたことがある。人生の折り返しを、とっくに過ぎていた。
ジャネーの法則——年齢を重ねるほど時間の体感速度が速くなる。これからの時間は、これまでよりずっと速く過ぎていく。10歳の子どもにとっての1年と、47歳の大人にとっての1年は、体感として全然違う。
そう気づいたとき、死ぬまでにやりたいことをリストアップした。
その中に「フルマラソンを走る」があった。体力が必要なことは、動けるうちにやる。それが今の自分の行動原則だ。並行して進めている他の挑戦も、東京マラソンへの挑戦も、根っこは同じところにある。
ランニングとの付き合い方
もともと長距離を走ることは、嫌いではなかった。
2014年から、名古屋シティマラソンのクォーター(約10km)に毎年出場するようになった。
2020年はコロナで中止となったが、2023年まで計9回出場した。特別な練習はほとんどしていなかった。「大会があるから走る」というスタイルで、レースの非日常感だけを楽しんでいた。タイムという数字で目標を立て、達成できたときの爽快感。一人で黙々と走る時間の心地よさ。気づけば、大会に出ることが生活のリズムになっていた。
また、夏は一切走らない。暑い季節に無理して走るのは自分のスタイルではない。春と秋冬に絞って走る、というサイクルが自然と定着した。
そして2024年、ハーフマラソン(21km)に距離を伸ばした。

ハーフマラソン5回を経て、フルへの自信が少しずつついてきた。ハーフのベストタイムは1時間55分35秒(キロ5分28秒ペース)。単純計算でフルマラソンに換算すると4時間前後になる。根拠のない目標ではなく、ハーフの実績に裏付けられたサブ4だった。
いつかフルマラソンを走りたい——その思いを、少しずつ現実に近づけるために。
ダメ元で応募したら、当たってしまった
正直に言う。本気で当たると思っていなかった。
東京マラソンは毎年数十倍の競争率を誇る、日本最大の市民マラソンだ。何年も落選し続けているランナーが山ほどいる。それを知りながら「まあダメ元で」と応募した。
結果——初応募で当選。

しかも滑り止めで応募した大阪マラソンまで同時に当選した。
しかし、カレンダーを見て頭を抱えた。大阪マラソンの翌週が東京マラソン、さらにその翌週が名古屋シティマラソン——3週連続でレースが並ぶ過密日程だ。体力的に無理をしても良いことはない。悩んだ末に大阪マラソンを辞退し、東京マラソン1本に絞ることにした。名古屋シティマラソンも、今年は泣く泣く回避だ。
嬉しい反面、少し焦った。私はまだハーフマラソンしか走ったことがない。42.195キロを、一度も走ったことがなかった。
当選してから変えたこと
当選通知を見た瞬間から、練習の質と量を意識的に変えた。
① 週間走行距離を増やした
それまでは週1〜2回、のんびりとした練習だった。当選後は距離を意識的に増やし、ピーク時には週25〜35kmを走るようになった。
ただし、無理はしなかった。仕事が忙しい週、育児で時間が取れない週は、距離を落とすことを自分に許した。続けられる練習が、最高の練習だと思っているから。
② 週末のロング走を軸にした
平日の練習時間確保は難しい。家庭との両立を考えると、週末にまとめて長い距離を走るスタイルが自分には合っていた。朝練は一度もしなかった。それでも、週末のロング走を積み重ねることで、着実に距離への耐性がついていった。
③ 四半世紀ぶりに復活させたテニスが、体力の土台になっていた
社会人になってから、定期的なスポーツとは無縁の生活が続いた。学生時代は硬式テニス部だったが、社会人になってからはテニスどころか、定期的に体を動かす習慣がなかった。そのまま20年以上が過ぎた。
2023年11月、テニスラウンジに通い始めた。四半世紀ぶりの復活だ。毎週土曜日の朝8時半から80分。ラケットを握る感覚はすぐに戻ってきた。身体は覚えているものだと、少し驚いた。
ランニングだけでは鍛えにくい体幹・瞬発力・有酸素能力を、テニスが補ってくれていたと思っている。四半世紀のブランクを経て取り戻したこの習慣が、フルマラソンへの体力的な土台を静かに作っていた。マラソンの練習はランニングだけではない。
④ 30キロ走に挑戦した——そして、限界を知った
フルマラソンの壁は「30キロ以降」だと言われている。本番2週間前、意を決して30キロ走を敢行した。
結果は——完走した。ただし、ゴールした瞬間に足が動かなくなった。
30キロを走り終えた直後、「これ以上は一歩も無理だ」と感じるほど脚が限界に達していた。ハーフマラソンでは一度も経験したことのない感覚だった。完走はした。しかしあと12キロを走る体力は、そこには残っていなかった。
フルマラソンは30キロのレースではない。その先の12キロが本番だ。この体験が、補給戦略を見直す最大のきっかけになった。本番では栄養ジェルを潤沢に用意した。
練習と並行して起きていたこと
実は練習期間中、もうひとつの大きな挑戦が並行していた。
某国立大学大学院への社会人入試だ。
念願の社会人ドクターへの挑戦。しての仕事、家庭・育児、ランニング練習、そして受験勉強。詰め込みすぎかもしれない。でも、「死ぬまでにやりたいことリスト」に照らせば、どれも外せなかった。
2月某日、合格通知が届いた。
4月からは、社会人大学院生としての新生活が始まる。アラフィフの春から、また学び直す。
この合格が、東京マラソン前日の精神状態をとても良いものにしてくれた。自分に課してきた目標が、ひとつひとつ達成できている。その手応えが、スタートラインへの静かな自信になっている。
目標タイム:サブ4
4時間を切ること。
ただし、東京マラソンはあくまで練習レースという位置づけだ。
本命は4月19日の長野マラソン。長野マラソンは制限時間5時間と、東京マラソンの7時間より競技性が高い。制限時間内に完走するだけでなく、しっかりとしたタイムで走り切ることが求められる。
東京マラソンでは「初フルマラソンの感覚を掴む」ことを最優先にした。ペース配分、補給のタイミング、身体の変化——これらを本番の舞台で学び、長野マラソンに活かす。それが今シーズンの戦略だ。
同じような境遇のランナーへ
仕事・家庭・育児——やることが多い中でランニングを続けている人は多いと思う。完璧な練習ができない日だって、当然ある。
それでも、細く長く続けてきた習慣は裏切らない。
クォーターから始め、ハーフへ。ハーフの土台があったからこそ、フルへの挑戦が現実になった。完璧な練習計画でなくても、自分のペースで積み上げてきたものは、必ず本番で力になる。
そしてもし、「人生折り返し、体力が必要なことは今のうちに」と思っているなら——マラソンは、その答えのひとつになるかもしれない。
さあ、42.195キロへ。
あなたは「いつかやろう」と先送りにしていることが、今もありますか?
次の記事では、(②当日までに準備するもの)について。
