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あの棚が、私の原点だった|「遊べる本屋」ヴィレッジヴァンガード本店閉店から考える【まち事003】

まち事003|「遊べる本屋」が、40年の歴史に幕を下ろす。


ここで買ったものが、今の自分をつくった。


2026年5月31日、八事からも近いヴィレッジヴァンガード本店が閉店する

建物と設備の老朽化が理由だ。1986年創業。
2026年11月には40周年を迎えるはずだった。

閉店のニュースを知ったとき、正直に言うと、胸のどこかが痛んだ。


「遊べる本屋」という革命

ヴィレッジヴァンガードのコンセプトは「遊べる本屋」だ。

本屋なのに、本だけを売っていない。雑貨があり、Tシャツがあり、ポスターがあり、輸入菓子があり、意味不明なオブジェがある。そしてすべての棚に、独特の黄色いポップが貼ってある。

あの黄色いポップのワードセンスに、私は惹かれた。

商品の説明ではなく、書いた人間の「好き」が溢れ出したような文体。どこか文学的で、どこかふざけていて、でも本質をついている。今から30年前、中高生だった私には、あの言葉たちが眩しかった。

そこに行けば、時間を忘れた。何時間でも滞在できた。棚から棚へとぶらぶら歩くだけで、知らなかった何かと出会い、新しい発見があり、気づけば教養が深まっていた。図書館でも学校でもない場所で、自分が本当に好きなものを見つけていった。

高校2年生の頃、急に読書にハマった。今思えば、ビレバンの影響が大きかったと思う。通学や塾帰りのバスの中で本を読む——それがかっこいいことだという価値観を、ここで得た。誰かに教わったわけでもなく、あの棚と黄色いポップが、自然とそう思わせてくれた。


ここで出会ったものが、今の自分をつくった

それでもここに来ると、何かを買わずにはいられなかった。背伸びして、ちょっとだけ大人に近づくために。

最初は、衝動だった。Gショックのパチモンを買った。本物は買えなかったけど、面白いと思ったから買った。それを学校に着けて行った。ピアスを買った。チェ・ゲバラのTシャツを買った。スーパーマンのマークのついた手袋を買った。理由なんてなかった。ただ、惹かれた。

やがて、憧れが形を持ち始めた。松本大洋が表紙を描いたスーパーカブのムック本を買った。ずっと欲しかった。キューブリックの「時計仕掛けのオレンジ」のポスターを買って、自分の部屋に貼った。レッド・ツェッペリンのカレンダーも買った。自分の部屋が、少しずつ自分の部屋になっていった。

そして気づけば、知性と美意識が動き始めていた。建築の本を何冊か買った。将来建築家になる自分の原点のひとつが、ここにあったのかもしれない。手塚治虫の漫画を買った。そしてここで、AKIRA(大友克洋)と出会い、松本大洋と出会い、村上龍と出会い、ポップアートと出会った。blue noteとも出会った。

衝動から始まり、憧れを経て、美意識へ。ファッションも、雑貨も、音楽も、アートも、本も、漫画も、映画も——あらゆるカルチャーの入口が、あの棚にあった。学校でも図書館でもない場所で、誰に教わるでもなく、黄色いポップに導かれながら、今の自分がつくられていった。今の自分の価値観・好奇心の原点を辿ると、必ずここに戻ってくる。


名古屋東部を駆け巡った、あの頃

ヴィレッジヴァンガードはかつて、名古屋東部エリアの郊外に独立した店舗を構えていた。

街中の商業ビル地下にあった本山店にも良く立ち寄った。
ビリヤード場を併設した徳重店にも。
今はどちらももうない。

いつの頃からか、大型イオンのテナントとして出店する形に変わっていった。郊外にポツンと佇む独立店舗という業態は、時代の流れの中で消えていった。

タウンアーキテクトとして言えば、これは単なる一店舗の話ではない。郊外型文化拠点の消滅という都市的な文脈で捉えるべき出来事だと思っている。

郊外という立地は、効率ではなく滞在を許す余白だった。目的なく来て、目的なく帰れる場所。駅前の商業施設では生まれにくい、あの「ぶらぶら感」を支えていたのは、郊外という時間の遅さだったのかもしれない。


数字が示す構造変化

2013年に500店舗以上まで拡大したが、その後は縮小。現在は300店舗を下回り、約3割の閉店が検討されている。業態も郊外型独立店舗から商業施設テナントへと変化した。

書店不況、CDの衰退、サブカル系競合の増加——向かい風は複合的だった。しかし本質的な構造変化は3つだ。

ひとつは、偶然の発見がデジタルに代替されたこと。もうひとつは、郊外独立型という不動産モデルの限界。そして「目的なく滞在する時間」そのものが、現代人の生活から失われたことだ。

スマートフォンのアルゴリズムは「あなたが好きなもの」を提示する。しかし、ヴィレッジヴァンガードの棚は「あなたがまだ知らない好き」を提示していた。この違いは、小さいようで決定的だ。

2019年にはメ〜テレでドラマ「ヴィレヴァン!」が放送され、本店が舞台となった。名古屋郊外の書店がドラマになるほどの文化的存在感を持っていたことの証明だ。


タウンアーキテクトとして

まちから文化拠点が消えるとき、失われるのは売場ではない。偶然と出会う「余白」だ。

書店・レコード屋・独立系の小売店——まちの文化を担っていた場所が、次々と姿を消している。目的なくふらっと入って、知らなかった何かと出会える場所。アルゴリズムではなく、棚と黄色いポップが引き合わせてくれた出会い。それがひとつ、また消える。

閉店の発表に「令和最大の悲報」「サブカル神話の崩壊」という声が集まったのは、単なる感傷ではない。多くの人が同じ「余白」の中で育ったということの証左だ。

ヴィレッジヴァンガード本店がなければ、今の私はいなかったかもしれない。

だからこそ、意識的に「偶然と出会う場所」に行く必要がある。アルゴリズムの外に出ることが、まちを楽しむことの本質だと思っている。


閉店前に、もう一度だけ

閉店は2026年5月31日。まだ時間はある。

もう一度だけ行こうと思っている。

あの黄色いポップを読みながら、棚をぶらぶらして、何かを買う。Gショックのパチモンを買っていたあの頃のように、理由もなく何かに惹かれて。

「遊べる本屋」に、最後に遊びに行く。

うれしい偶然と出会うために。


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