見出し画像

描いたことを実現させられるのは、生きているからこそ【#12家にまつわるストーリー】

抗癌剤治療を受けていた夫は日に日に弱っていました。8月のある日のこと意を決したように言いました。

「しばらくキモ(抗癌剤治療)を休んでみようかな」

起きられないほど衰弱しているのは抗癌剤のせいだと思ったのでしょう。実際のところそうかもしれませんが、抗癌剤を投与しているから癌の進行を止めているともいえます 。

抗癌剤の影響で、食べ物の味も変わり、食欲もなく食べられない日が続いています。こんなにつらい時間をただただ引き伸ばすことに何の意味があるのだろうか……?という迷いが出てきたようです。

8月の終わりに受けるはずだったキモを受けなかったことで、9月に入ってすぐは多少顔色が良くなり、自分で起き上がれる日もありました。

そんなおり、9月の10日に元同僚で仲良くしているビーチご夫妻から、Dr.Pが夕方来るから良かったら顔を見せてというお誘いがありました。Dr. Pというのは、我が家が米国に移住してきて以来ずっとお世話になった教授ですが、別の州に引っ越すことことになったのです。

コロナ禍だし、夫の体調もよくないので迷いましたがこの機会を逃せばたぶん夫は二度とこの面々にお目にかかることはないと思いました。子どもたちに言えば、心配してNO と言うでしょうが、わたしは今有る時間を大切に、夫にとって意義ある時間にしてあげたいと考えました。

N95マスクをして、完全防備の装いで夫を連れて行きました。ビーチ夫妻の家は、わたしたちが建築中の家からほんの3分ほどのところにあるので、家が完成すれば、まさにご近所さんです。ほんの1時間ほどの訪問でしたが、久しぶりに仲間に会えてとてもうれしそうでした。

9月15日、トムから「マスターベッドルームのシャワー室にとりかかるので早急にタイルを準備してほしい」とのメールが来ました。

夫はガレージ同様、マスターベッドルームにもかなり拘りました。

ふたりいっしょにシャワーが浴びられるように広く、器具もサーモ付きのをふたつ向かい合わせにつけるのだと言って聞きませんでした。

日本では、40℃に合わせておけば、その温度のお湯がでてくることが当たり前ですが、アメリカではシャワーの蛇口ににサーモ付きは珍しいのです。

「35年も前に日本で建てた家についているというのに、アメリカでは未だそれが標準じゃないなんて……」と、何でも進んでいると思われがちな“アメリカの標準”を笑っていたほどです。

拘りどころやライフスタイルがちがうのでそれも仕方ないことです。最近の日本の家なら当たりまえのウォッシュレットなども、米国ではそれほど普及していません。最近やっと一部の人の間で広まってきた程度です。

ひとつのシャワールームにふたつのシャワーをつけるという夫に、「シャワーを二人同時に浴びる必要ってあるの?」というわたしの意見など、どこ吹く風です。

水回りは、掃除やメンテを考えると多ければ多いほど手間がかかるというのがわたしの見解なのですが、夫の頭の中には、「夫婦仲良く広いシャワールームで戯れながらシャワーを浴びる絵」がガチでイメージされてしまっているわけです。そして、そこには最近流行りのソーキングバスを置くと決めていたので、シャワー器具もソーキングバスタブも夫が納得したものを手配してありました。

防水素材の壁を入れるだけなら大工さんの仕事ですが、タイルはタイル職人にお願いするので、費用はよりかさみます。タイル自体はピンキリなので、お値打ちで質の良さそうなものを選んでひと月以上も前に注文しておいたのですが、コロナ禍のどさくさでこれまた遅れており、特に床ように頼んだモザイクタイルは土壇場になって入らないと言われました。いやはやほんとにストレス。似たようなものを探して注文し直したところでした。

施主としてすること、考えるべきことはエンドレスでしたが、夫の体調とコロナ禍で簡単に人に会えない制約の中では、全てがことを難しくしました。

描いた家を建ててもらうことに、カスタムホームの意義があるわけですから、イメージを伝えることはとてもたいせつでしたが、それこそがやっかいなことでした。

画像2

伝えるために夫は絵で描き続けました。これは9月の17日に病床からトムに送った、ガレージ内に作ってほしい階段のイメージです。

こんな絵を見て、職人さんに指示をしなければいけなかった現場監督のトムもさぞかし頭の痛いシゴトだったことでしょう。

夫は日々、食欲が失せていきましたが、それでも頭はしっかりしていたので、起きているときには、資材の注文をするためにコンピューターを開けてはなにやらずっと調べています。

その間も工事はどんどん進んでいました。室内もガレージにもドライウォールがインストールされトリムやドアなどのペイントも始まっていました。大量のダンボールに収まったキッチンキャビネットも届きました。この取り付けが終わったらいよいよカウンタートップを手配しなければなりません。夫はカウンタートップは御影石にすると決めていました。

画像1

夫が日に日に衰弱しているというのに、わたしたちが手配すべきものがどんどん増えていきます。シャワールームのタイル、キッチンのカウンタートップ、フローリング、リビングとキッチンの特殊なサイズのドア……。

9月30日、しびれを切らしたトムから電話が入りました。

トム:「もしもし、ミッキーいるかい?」

夫は寝ていました。休んでいる時間がどんどん増えていたのです。

電話を受けたわたしは、いつものように陽気なトムの声を聞いたとたんに、どうしていいかわからずに、スマホ片手に声にならずに泣き出してしまいました。驚いたのはトムの方だったでしょう。

「ドアもタイルもみな注文してありますけど、遅れているみたいなの……、それに彼の体調もこのところよくなくて……ごめんなさい。ちょっと今はわたしの手には負えないのです。お願いです。家のことは少し待ってもらえますか」

そう説明するのがやっとでした。

わたしのただならぬ狼狽ぶりにトムもただごとではないと感じたのでしょう。

「わかった。わかったよ。だいじょうぶ。またしばらくしたら連絡するね」 I know I know. I understand. It's all right. We can wait. I'll let you know later then.

この日はそう言って電話を置きました。

夫は弱っています。

目に見えて弱っています。

それでも、「スコットに電話してくれよ。カウンタートップ頼まなきゃ」

そんな夫の言葉を聞きながら、

「だいじょうぶ。あとはわたしがちゃんと頼むから、今はとにかく体も頭も休めてね」

すると、なんとなくうなづいて、すーと眠りにつきます。

この時点では痛みもかなりきつかったのだと思います。

こうして9月が終わりました。
ちょうど1年前のことです。

【#13 家にまつわるストーリー】に続く





いいなと思ったら応援しよう!

yahoi /ライフエディター・エッセイスト 🌺 共感、応援いただけたならうれしいです。 感謝の気持ちは次のどなたかに恩送りします。