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怪奇! 40路"ときメモ"おばさんと還暦"プリキュアのおばちゃん"

ヘッダー画像が"ときメモ"ではないのは、元のタイトルが「女児アニメとギャルゲの狭間に」だったから。

40路"ときメモ"おばさん

まさか、このタイミングでときメモの話題が出てくるとは思わなんだ。

別の話だが、顔見知りの同人作家の女性から聞いた話。一番最初の「ときメモ」がリリースされた頃が本人のリアル高校時代で、藤崎詩織にすっころんだきり、今でも好きだという。

このお方、他のジャンルだとほとんどが擬人化系、ここ最近は刀剣系という、まぁお察しなところもある方なのではあるが、何気に女オタク~腐女子な人でも、特定の美少女ジャンルが好き、というパターンは10年以上前から他でも見かけるから、そういうものなのだろう。

相当以前にギャルゲ女子の話題に少し触れたが、

萌えゲーの「既存ユーザーは94%が男性、6%が女性」という2004年頃と違い、2010年代は、その6%が急拡大した時代であった。

初代"ときメモ"は1994年リリースだから、当時リアルで高校生だとすると2022年現在で40代中盤。

1994年当時も2022年現在も、ご本人たちが興じている様子を想像するのも変な気がする(失敬!)が、これが手を変え品を変え続いているどころか社会全体に薄らとブーストがかかっている。

以前より、かわいい物好き、かわいい服を着たいというような原初的な話を過ぎて、どうも最近は違うよ、ということを指摘してきた。

つい先日も電車に乗ったら、制服を着た10代の少女で、持っているかばんには美少女キャラ(多分女児アニメ系?)の缶バッチ、そしてプリティストアと書かれた袋を持っていた少女を見かけたばかりだ。

自分も東京駅八重洲口地下街にある店舗を見たことがあるが、今や女児アニメが自分たちが小学生だった1990年代までの顧客層とは全く異なる層にアプローチできていることを如実に見せつけられた。

やはりこういう光景を見て何かを感じる人は他にもいるようだ。

このような地殻変動の原動力は何なのだろうか?それが自分の、サブカルチャー研究への興味の入り口であった。

還暦"プリキュアのおばちゃん"

まぁ、これは孫と一緒に見てる系の話で済めば、そもそも話題にする理由がないのだが、今60代というと「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」世代。

この延長線上に今時の女児アニメがある。

その意味では少女趣味の根本は半世紀以上も昔から変わっていないといえよう。

なので、「おばちゃん」(失敬)が女児アニメ、少女漫画、ギャルゲーあたりを楽しんでいる光景は、このような時代の流れの中で、そのまま年齢が繰り上がった結果である。

"昔"と違う点は、リソースも場所(機会)が簡単に揃っているので、あとは当人の意欲さえあればどうにでもなる、という点だ。

恐らく、↓のツイートで言われている昭和32年生まれの"叔母"は、あと30年遅く生まれてきていたら、確実に足を踏み入れていたはずである。

これは2005年の時点で既に「メイド喫茶は客より店員が集めやすい」と言われていた話とも符合する。

気質・精神構造は、昔から変わらない。変わったのは環境の方である。

そこに年長世代の「相対的剥奪感」が重なると面倒なのだが、昨今のジェンダークレーマーの背後にあるのも「相対的剥奪感」なのかもしれない。

女児アニメとギャルゲの狭間に

さて、そこで問題になってくるのは「変わらない"少女趣味"」の行方だ。

現状分析については以前noteに書いた。

しかし上述のnoteで触れられなかったことがある。

それが「大人の少女趣味」が低年齢層向けに落ちてきている、もしくは、小学生以降に女児アニメの次に美少女アニメにハマるという、"地続き化"だ。

声優の誰誰が出ているから的な話は1990年代からアニラジ関係で頻出していた話題で、「犬山イヌコのポケモンアワー」のゲストに子安武人が出ていたら、近々の放送回で出てくるな、というような構造は結構古い。

ところが、こういう"大きなお友達"現象とは対偶の、女子小中学生が電撃G's magazineを買ってる、読者参加企画のはがき投稿者の属性別割合でマイノリティと言えないレベルの割合を占める、という現象が2000年頃から目につくようになってきた。

「萌え」と「女児アニメ」「少女漫画」の直和分解なんて不可能という状況が深化していった中で、大人と子供の境界線も以前に比べると微妙なことになってくる。

これが打算的恋愛の広まりと並行して起きているのが興味深いところだ。

打算的恋愛?と言えば、1990年代に言われた援助交際現象やコマダムブームは「男に伍して戦うコストを払うより、男に有利な会社システムや買春天国を逆手にとって、男からむしり取ったカネで消費に明け暮れる」という現象を連想するが、本質的には相手に期待しない作法である。

そしてもう一つ注目したいのが、不可視化されていたのか透明化されていたという意味で存在を社会的に認知されてこなかったレズビアンとい存在が同じ時期に注目されるようになってきたこと。

このきっかけの一つにセーラームーンが果たした役割は偉大というレベルでは収まらない。

宮台真司の議論に従えば「自己現象」となるだろう。

しかし、その結果が40代の"ときメモ"おばさんであったり、60代の"プリキュアのおばちゃん"という形で現れてくるのは、宮台真司も想像だにしなかったに違いない。

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