【探偵コメディ】小学生探偵 小寺理緒〈38〉裏切られた初恋
(注意)
この作品は連載ミステリで、記事の中で事件の犯人などが明かされています。
前回までの記事をご覧になりたい方は、こちらのマガジンからお読みください。
〈38〉裏切られた初恋
理緒から動機を問われた先生は、変わらず窓の外を見つめながら、その白い肌をまるで大理石の彫刻みたいに強張らせていた。しかし、ふっと口元が緩んだかと思うと、目尻から一筋の涙を流した。
「小寺さんはさすが探偵だね。それともやっぱ女の子だからかな。鋭いよ。さっき私に、「カッコいい高橋に裏切られたと思って、本を読むのをやめたんじゃないか?」って言ったでしょ。当たりだよ。そのとおり。」
そう言って笑う先生の頬は、急に血が通ったように、温かい色に染まっていた。
「私ね、初恋だったの。『七つ首学園の怪事件』の高橋が。」
「えっ!?」
マジメな先生の口から発せられた「初恋」という言葉に、理緒は驚きを隠せなかった。
「ね、おかしいでしょ?本の中の人に恋をするなんて。でもね、それはほんとうよ。真剣に好きになったんだから。」
作中の人物に恋をする。ともすれば、現実と物語の世界の混同であるが、名探偵に憧れる理緒には、その気持ちが分からなくもなかった。
先生は懐かしそうに話を続ける。
「あの本を読んだのは、小学四年生の時だったかな。そのころの私ね、男の子なんて、ぜんぜん興味ないと思ってた。だって、男の子って、イジワルだったり子供っぽかったりするでしょ?ちっとも、カッコいいとかステキだなって思わなかったんだよね。でも、そんな時に、あの『七つ首学園の怪事件』を読んだのよ。そして、高橋と出会った。もうね、あの時のトキメキは忘れられないな。頭がよくてカッコよくて、そのうえ、弱い者いじめは許さないって正義感。おおげさじゃなくて、まさに私の理想だったのよ。高橋は。本を読み進めるたび、ドキドキは増していって、ページをめくるのも怖いくらいだった。ね、これなら初恋って言っていいでしょ?」
理緒は毎日、恐ろしい探偵小説を、別の意味でドキドキしながらめくっている。どうやらそれとは違う種類のドキドキらしい。
だが、穏やかだった先生の表情は、ここで再び彫刻のように固まった。少しでも動いたら、ピキッと音を立ててヒビが入る。そんな緊張が表情に宿った。
「でもね。私は裏切られた。まあ、あなたに言わせれば、それは私の勘違いなんでしょうけど、本を読み進めていった私は、事件がみんな高橋の犯行だと知って、裏切られたと思った。高橋が他の生徒の前で犯行を自白するシーン。あれが私にはショックでならなかった。だって、私はずっと、高橋こそが犯人を捕まえてくれると思って、それを楽しみに本を読んでたんだよ?それなのに、まさかその人が犯人だったなんて…。ねえ、そんなの、受け入れられる!?」
先生は語気を強めると、理緒に向かって訴えるように尋ねた。
「小寺さん!?もし、あなたの好きな名探偵が、実は殺人犯でしたって言われたら、あなたどう思う?それでも、その本を好きでいられる?」
「それは…」
先生が理緒の返答を待つことはなかった。先生は怒りをあらわにして、当時の自分の行動と、その後の人生を振り返った。
「だから私は本をビリビリに破って捨てた。最後まで読まずにね!そして、それ以来、また男の子というものに興味がなくなった。というか、大嫌いになった。うわべだけ良い顔して、ほんとは野蛮で、言うことはみんな嘘ばっかり!」
理緒はこの人に、なんと声をかけていいか分からなかった。さすがにそれは、物語と現実を混同しすぎだとも思った。でも、自分自身のミステリ好きを考えると、そこまで作品にのめり込む気持ちもよく分かるし、本というものが、幼い子供にとって、時として強すぎる影響を及ぼすことがあるのも、理緒はよく知っていた。
理緒は肯定も否定もできず、当たり障りのない言葉で話を繋いだ。
「でも先生、それは子供の時の話ですよね?」
「ええ、そうよ。さすがに何年も経って、私も大人になって、あの本のことなんて記憶の奥深くに消えてたよ。だけどね、何週間か前、私はぐうぜん図書室であの本を見つけてしまった。『七つ首学園の怪事件』を!前にも話したけど、これは新装版だから、はじめは同じ小説とは思わなかった。でも、タイトルがタイトルだから、もしかしてと思って、手に取ってパラパラと見たんだけど、それはやっぱり、私が子供の時に読んだ『七つ首学園の怪事件』そのものだった。少し読んで、一字一句変わってないって私には分かったよ。すごいよね、子供の時の記憶って。文字を追うたび、次々と甦ってきた。おどろおどろしい学園の雰囲気。ハラハラしながら読んでた事件。そして、ページをめくるたびにドキドキしていた、あの初恋の気持ちまでもね!でも、懐かしかったのは一瞬で、次の瞬間には、高橋に裏切られた記憶も鮮明に甦った。善人のふりをした悪人、高橋。みんなを騙してた男、高橋。そんな最悪の記憶までも思い出してしまって、私は、はらわたが煮えくりかえりそうになった。自分でも驚いたよ。もう何年も経って、こんな小説のことなんて、とっくに忘れてたと思ったけど、ぜんぜん忘れてないどころか、憎しみは昔より遥かに強くなってた!」
先生のこめかみに、サッと青筋が浮き出したのが理緒には分かった。
「私はこの本をどうにかしなきゃいけないと思った。こんな最悪な本、ほんとは学校にあっちゃいけない。私はもちろん読まないけど、図書室にあったら生徒が読むに違いない。そしたら、昔の私みたいに、高橋に裏切られて傷つく生徒が出てくるかもしれない。それだけは避けなきゃいけないと思った。私のような被害者を二度と出さないために。子供たちをこの最低な本から、そして、最低な高橋から守るために…」
先生の目は怒りに燃えていた。そして、正義について語っていたときのように、いつしかその視線は遠くを見つめていた。
「だから私は行動に出ることにした。ほんとうは本を捨ててしまいたかったけど、そうすると、学校はまた新しく『七つ首学園の怪事件』を買ってしまう。だから、私はあのラクガキを書いた。この本はミステリだから、犯人が分かったら、誰も読まないだろうと思ってね。それに、たとえ読んだとしても、事前に高橋が悪い人だと知っていたら、受けるショックはずいぶん小さくなるでしょ?」
「それが、ラクガキの動機…」
「そうよ!私はイタズラだと思って書いたんじゃない!みんなを守るために、あのラクガキを書いたのよ!小寺さん、あなただって、そうよ。あなたは私のラクガキを見て、本を読まなかったんでしょ?きっと読んでたら、後悔したはずだよ!?あなただけじゃない。私がラクガキを書いたおかげで、あの本を借りた生徒はみんな守られた!私はみんなを守るため、そう!私は正義のためにラクガキしたのよ!」
先生は少し笑っていた。そして、やはり遠くを見つめていた。彼女が正義の行動の先にあると言う、輝かしい未来とやらを見つめているような、力強く、いっさい曇りのない瞳で。
いいなと思ったら応援しよう!
小説・写真・文学紹介など、たくさんの記事を書いています。マガジンに分類しているので、そちらからご覧ください。