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『ツインテールとドッペルゲンガー』解説②ふつうの男女

 こんにちは、山田星彦です。

 この記事では、私の小説『ツインテールとドッペルゲンガー』について、くわしく解説します。原作を読んだ方は、この記事を通して作品のテーマや作者の意図を深く理解していただけます。また、原作を読んでない方も理解できるよう努めましたので、未読の方もぜひ読んでいただきたいと思います。ただし、解説の中で作品の内容の根幹に触れますので、その点はご了承ください。

②ふつうの男女

急展開する男女の恋愛

 この作品は処女喪失だけを描いた物語ではありません。男女の恋愛についても、その展開を順を追って活写しました。およそのあらすじは、以下の通りです。

 物語の冒頭、ある山道を歩いていた男(主人公)は、側を通りがかった紫のウェアの少女の挑発的な魅力に欲情します。そして、その少女を欲望に任せて凌辱しますが、話を聞いているうち、彼女の可愛さに心から惚れ込みます。その後、わけあって自ら死を決断した主人公でしたが、少女はそれを許しません。主人公を受け入れることを決断した彼女は、主人公を逃がさなかったのです。そして、最終的に二人は体を交え、子を宿します。

 この物語は、一時間程度で読み終える文章ですし、作中の時間も同じくらいのものです。その中で、男女の出会いから、子供を宿すところまで、二人の恋愛は猛烈なスピードで駆け抜けていきます。しかも、内容的に過激なシーンがあったり、人物が豹変したりして、混乱や拒否反応を示す読者も現れたかもしれません。

誇張されているだけ

 しかし、この物語で描かれた男女の心情は、果たして特異なものでしょうか?たしかに、一つ一つの出来事は過激に見えるかもしれません。ですが、その一つ一つの出来事の奥にある男女の心理を紐解いてみると、それは決して特殊なものではないことが分かるはずです。
 女性が髪や服を整えることで男性を誘惑したり、男性が魅力的な女性にドキドキムラムラしたり、やっぱり可愛くてしかたなかったり。女性が男性を拒否してみたり、でも、ステキな部分に気づいて好きになったり、付き合ったからには離さなかったり…
 こうやって見てみると、この物語で描かれた男女は、世の男女それぞれが持つ、性や愛を巡る一般的な欲望を持っているにすぎないことが分かります。作劇の都合上、それぞれが持つ欲望を最大限にデフォルメしましたが、決して二人とも、変態や異常人物ではなく、実は、どこにでもいる一般的な男女なのです。
 そもそも、この二人の男女は、どちらも特徴的な個性を持ったキャラクターとしては描いていません。名前すら無いことからも分かるように、不必要な設定は徹底して割愛しています。そうすることで、この物語をどこかにいる特殊な人間の物語ではなく、どこにでもいる男女の物語にしたわけです。
 男女の欲望を過激に描いた理由は簡単で、その方が分かりやすいからです。誇張です。そうすることで、両者の欲望の形が明確になりました。そして、誇張と並んでもうひとつ重要なのが、ホラーという恐怖です。舞台を夜の山道にしたり、そこで殺人事件が起きたりすることで、人間の心理から平常心を奪い、ふだん隠している欲望を剥き出しにさせたのです。その結果、欲望を相手にぶつけ合う、二人の男女の生々しい姿を描くことが可能になりました。

両者の欲と罪

 男が己の欲望を女にぶつけたのは、もちろん少女に対する凌辱です。物語の中盤の山場のシーンで、突然、少女を森に連れ込み乱暴するのですが、読者からしてみたら、序盤の花の蹂躙でこの展開を暗示しているため、これは規定路線だったかもしれません。
 一方で、女の欲望は、最終話、意外な形で登場させました。少女は、男が自分の元から立ち去ろうとするのを引き留めます。そして、好意とも恨みともつかない態度で男をからめとりました。男は逃れられないと悟り、少女の側に自分の永遠の居場所を見いだします。
 この少女の行動は、いわゆる束縛を表しています。束縛というと、男性の凌辱に比べて軽いものに聞こえるかもしれませんが、決してそんなことはありません。そもそも、男性、というか哺乳類のオスは、一匹のメスとのみ、永遠の愛を誓うというようなことはありません。むしろ、複数のメスとの間に関係を持ちたがるのが自然です。もちろん、人間の男性もそう感じますし、それは悪いことではなく、優秀な子孫を残すための、動物としての本能です。
 それなのに、女が男を自分の元に繋ぎとめ、他の女性との関係を遮断しようとするのは、男性にとって大きな苦痛になります。本能を制限されるのですから、排泄や睡眠を禁じられるのと変わらない、男性への抑圧と言える行動です。

否定されるべきものではない

 このように、男性は欲情することで女性を犯し、女性は束縛することで男性を抑圧しています。この両者の行動は、たしかに、互いにとって負担であり、大げさに言えば、自分の欲を相手に押しつけていると言えます。これをこの作品では、「汚れ」あるいは「罪」と呼びました。もちろん、現実世界でも、度を越えたものは犯罪となったり、恋愛関係を破綻させてしまうものです。
 しかし、この両者の欲自体は、排除されるべきものではありません。なぜなら、この両者の欲があってはじめて、恋愛は成立するからです。女性が無意識に男性を挑発すらところから恋の駆け引きが始まり、男性が欲情するから性交に及び、そのあと、女性が束縛するから、家庭が成り立ちます。
 これら欲情や束縛は、それだけ見れば悪いことのようですが、当然すべて、子孫を残すという目的のためにセットされた、男女それぞれの本能なのです。両者が相手に自分の欲をぶつけ合って、時に相手に負担をかけながらも、二人の恋愛を前に進めるのです。それを私は作中で、「ぴったり組み合った愛欲の歯車」と表現しました。

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山田星彦 小説・写真・文学紹介など、たくさんの記事を書いています。マガジンに分類しているので、そちらからご覧ください。