【純愛ホラー】ツインテールとドッペルゲンガー〈1〉山道
ツインテールとドッペルゲンガー
この小説には、暴力・性描写などが含まれます。また、作中に登場する学説は作者の創作です。
〈1〉山道
あの日、俺は陽の暮れた山道を歩いていた。
山道といっても、それは舗装された緩やかな坂で、山の上にある町から自宅のある麓へ、俺はひとり歩いて下っていた。歩道の幅は10メートルほど。隣を走る車道とは、街路樹で隔てられている。
時々、車が俺を追い越し、赤いテールランプの光を残して暗闇に消えていった。が、歩道を歩いているのは、前にも後ろにも俺だけだった。
山の上には大学がある。二十年くらい前にできた新しい大学だ。
俺は大学生ではないし、大学の関係者でもないのだが、時々、この山道を登って大学近辺に赴いた。大学の周りには、本屋や飲食店などが並ぶ学生街があって、俺の暮らす駅の周りに比べ、若々しく爽やかな風が通りを流れている。俺も数年前、遠く他の町で大学に通っていたから、この町の学生街にも、なんとなく懐かしさを感じるのだった。
今日も俺は、午後の時間をその学生街で過ごした。と言っても、古本屋で一冊の本を買い、それを喫茶店で読むというだけのことなのだが、その本の内容が興味深く、つい夢中になってしまい、俺は今、その遅い帰路についているというわけだ。
時は秋の宵の口。風はないが、乾いた空気は身に沁みるように冷たい。
俺が山道を下りだしてから一気に暗くなり、まばらな雲に月も隠れているのか、自分の影も見えないほど、あたりは深い闇に包まれた。今や、一定の間隔で点々と立つ街灯の下を除いて、数メートル先も見えない。
この山道は、大学と麓の町を繋ぐ一本道で、山を切り開いて作られたものだから、歩道のすぐ側にまで森が迫っている。昼に見れば美しい葉や梢も、今や、闇をいっそう険しくするグロテスクな障害物でしかない。
この山道を下りきるには三十分はかかる。来たときは、紅葉や木の実など、秋めいた景色に目移りしたほどだが、暗闇に包まれる恐怖に怯えた今の俺は、ただひたすらに前だけを見つめ、知らず知らずのうちに、その歩幅も大きく広げていた。
◆
しかも、俺を怖がらせた原因が、暗闇以外にもうひとつあった。先ほどまで喫茶店で読んでいた本。その内容が今ごろになって、俺の平常心を脅かし始めたのである。
その本は古本屋で買った心理学の本だった。とくべつ興味があったわけでもないのだが、ふと気になって買い、その後、喫茶店でパラパラと読んでいるうち、俺はその中に突如あらわれたある意外な語句に、強く興味をそそられた。
それは、「ドッペルゲンガー」。
ドッペルゲンガーとは、自分と瓜二つの、もうひとりの自分のこと。過去さまざまな証言によると、そのドッペルゲンガーと不意に町で遭遇したり、あるいは、他人から自分のドッペルゲンガーの目撃証言を聞いたりするのだ。そして、恐るべきことには、自分のドッペルゲンガーを見た者は、数日のうちに死んでしまうという。
ドッペルゲンガーという言葉自体は、俺も聞いたことがあったし、なんとなく、その意味は知っていた。いかにも映画や小説に取り上げられそうな怪奇的題材だが、どこか迷信めいていて、人によっては胡散臭いと鼻で笑うかもしれない。
俺もどちらかというと、ドッペルゲンガーを幽霊や妖怪の類いだと考えていた。いわばオカルトとか心霊現象として扱う題材であって、心理学という、立派な学問が扱うべき材料とは思っていなかった。だからこそ俺は好奇心を駆られ、喫茶店で陽が暮れるのも忘れて、その本のドッペルゲンガーに関する部分を読み耽ったのである。
◆
すっかり闇に包まれた山道を下りながら、俺は本の内容を思い返していた。
本では、まず、ドッペルゲンガーの正体が端的に語られていた。
「ドッペルゲンガーを、自分とよく似た他人と解釈する者がいるが、それは間違っている。それは単なる空似にすぎない。ドッペルゲンガーとは、元々ひとつだった、自分の片割れと捉えるべきだ」
それから、ドッペルゲンガーの発生について。
「人間は誰しも、心の中に相反する二つの感情を同時に抱くものだ。たとえば、誰かを愛しつつ、また憎んでもいるというように。少々の矛盾であれば、折り合いをつけて二つの感情は同居できるが、その二つの感情があまりに鋭く対立し、両者がもはや共存できないと悟ったとき、その人間は肉体ごと分裂してしまう。別々の精神を持った、二つの肉体となるのだ。これがドッペルゲンガーの誕生である」
俺はこれを聞いて、妙に納得した。つまり、ドッペルゲンガーは、どこか自分の知らない所で生まれるのではない。自分の心の中で生まれ、そして、やがて自分自身と決別し、自分の体から出ていってしまったのがドッペルゲンガーなのだ。そう考えると、まさに、自分の片割れという言葉がよく似合う。
さらに話は、ドッペルゲンガーを見たあとの、不可解な死の理由にも及んでいた。
「こうして生まれた二人の自分が、それぞれの生活を始めるが、根本的な問題として、この世に自分が二人いるわけにはいかない。どちらか一人にしか、この世に生きる権利はないということを、ドッペルゲンガーもよく理解している。片割れの消滅をもってのみ、自分が完全一個の人格となるのだ。だから、ドッペルゲンガーは常に、もうひとりの自分を殺してしまおうと画策している。ドッペルゲンガーを見ると死ぬとよく言うが、それはつまり、ドッペルゲンガーに見つかったあと、その者がドッペルゲンガーに殺されたのである」
◆
そして、本の著者は、ドッペルゲンガーにまつわる章を次のように結んでいた。
「ドッペルゲンガーを見ることが死の直接の原因ではない。自分からもう一人の自分が分離してドッペルゲンガーが生まれた時点で、もうその人は、ドッペルゲンガーに殺される運命にあるのだ」
なんとも刺激的な文章で、これを山道で思い返したとき、得体の知れぬ恐しさが、あらためて俺の背筋を冷たくなぞった。
しかし、それと同時に、俺はふとこんなことを思った。
「たしかに、この世に二人の自分が存在するわけにはいかない。だから、ドッペルゲンガーは自分を殺そうとしてくる。しかし、だとしたら、どうだろう?自分が生き延びるためには、ドッペルゲンガーに殺される前に、こちらがドッペルゲンガーを……」
その時だった。俺の背後でザッという足音が聞こえた。
俺の心臓は握り潰されたみたいに収縮した。俺は思わず立ち止まり、後ろを振り返った。やはり背後には人影があって、おぼろげな街灯の下で怪しく揺れていた。
そこにいたのは、俺のドッペルゲンガー!
……ではなかった。大学生らしき二人の少女だった。二人は仲良く肩を並べ、ジョギングというのか、この山道をゆっくり走っていたのだ。
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