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文革直前1966年に祖父が撮った中国 #2 広州

私の手元には、あるカメラマンが残した膨大な数の歴史的貴重写真がある。
それは、1966年前に私の祖父が文革直前の中国を丸一ヶ月かけて旅をしたときの、モノクロとカラー写真約1600枚だ。

元東映のカメラマン

祖父の名は高岩震。今年98歳の、いまも元気な後期高齢者だ。

今回はシリーズ第2段として、60年前の広州の写真を公開する。
中国に渡った経緯や羽田から香港、深圳の写真については、まずこちらをご覧ください👇


祖父ら日本人一行は、香港から列車で深圳に行き中国に入国、そして、さらに乗り継いで広州へと辿り着いた。

広州站(広州駅)と書かれている。
メーデー(5月1日)直前なので、街はお祝いムード。


広州の街並みが、カラーで鮮明に残っている。

駅前だろうか。
広州の街並み。

広州って当時からこんなにも栄えていたのか。整然とした綺麗な都市である。

道路の様子。

民国時代風の建物に、綺麗に掃除された道路。さすがは一級都市である。

ここからは、モノクロ写真になる。

賑わう一角は?
商店だ。

近づくと、パンを売っている。60年代にパンとは洒落ている。やはり香港文化圏に近いからだろうか。

どんな味なんだろう?

目を凝らしてメニュー表を見ると、中段真ん中の平べったい丸いパンは、「西樵大餅」と書いてあるように思う。広東省の伝統的な焼き菓子のようだ。
その下段、四角いパウンドケーキのようなもの前には「旦戟」と書いてあるのが読めるけれど、検索してもそのような食べ物は出てこない。
もう少し調べてみると、広東語ではパンケーキを「班戟(baan kik)」と表現することがあるようなのだ。つまり、「戟」は広東では“cake”と言う外来語の発音を漢字で表したものだろう

そして、中国では「旦」は「蛋」の俗字として使われることがあるらしく、これらの情報を合わせると、この写真のなかの「旦戟」とは「蛋戟」、たまごケーキというような表現の可能性が高い。

現代において検索しても簡単にはわからない単語が、写真には当たり前に残されている。やはり写真の記録資料としての力は偉大だ。

どれにしようかな。
買ってもらえた子供。
店内には瓶がずらり。

「亚洲」と記された黒い瓶が並んでいる。
これはおそらく、「亚洲沙示」という、いまでも広州で有名な炭酸飲料だろう。台湾コーラとして有名な、「黒松沙士」のような味わいだろうか。

また、棚には「生啤」と書かれたメニュー表も見える。生啤は中国語で生ビールの意味だ。中国ではあまり生ビールを飲む習慣がないはずだが、60年代の広州の売店に売っているとは。あるいは、香港の「生力啤酒」の略だろうか?

その後、日本人一団は、現地で中国人らと宴会を開いたようだ。


北京、王府井、メーデーのお祭り編につづく。

(おわり)

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タカイワ マサ | ライター・イラストレーター 面白いと思ったら応援のほどよろしくおねがいいたします! いただいたチップは執筆活動に使わせていただきます。