文革直前1966年に祖父が撮った中国 #1 香港、深圳、九広鉄路
はじめに
👇の記事で予告していたのだが、私の手元には、およそ60年前に、祖父が文革直前の中国を丸一ヶ月かけて旅をしたときの写真約1600枚がある。
撮影者の高岩震(97)は、当時東映のカメラマンであり、東映労働組合の委員長として運動に精を出していた。
そんな折、世界の労働組合の代表者が、メーデーに合わせて、中国共産党から北京に招待されるというビッグイベントがあり、祖父も日本の労働組合代表団の一員として参加することに。
その際の写真が、実家には大量に残っているのだ。
今回は、羽田から飛行機で向かう様子や、香港の夜景、ネオン街、そして香港〜広州を繋いでいた九広鉄路の写真を時系列で載せていく。
なお、カラー写真は復元着色ではなく、全て当時のカラーネガを現像したものである。
熱気あふれる羽田空港
1966年4月27日。
祖父を含めた日本の労働組合代表団は、羽田空港から日本航空で出発した。

もうこの時点で、時代を感じる。60年前の羽田空港はこんな建物だったのか。



キャビンアテンダントは、なんと着物!
かつてJALの国際線では当たり前だったのだという。それにしても、絶対接客しにくそうである。
香港の夜景

飛行機は無事、香港に降り立った。

尖沙咀側から見た香港島に見える。
生力啤酒の看板もある。

いまはもう撤去されてしまったという、ネオン看板も写されている。




香港に詳しい方が見れば、場所など特定できるのだろうか。
夜の街並みモノクロ写真でも残っており、これはこれで熱気を感じて良い。



九広鉄路(KCR)で中国大陸へ!
翌日、祖父ら日本代表団は、九広鉄路で広州を目指すことに。

おそらく、かつて尖沙咀にあった旧九龍駅のホーム。




深圳(中国)とのイミグレがあったという羅湖駅。ここで入国手続きのために一時停車したのか。


列車は走り出し、深圳を駆け抜ける。

いまの大都会深圳が想像できないほど、農村の風景が広がっている。


なお、日本代表団は软座(グリーン席)を使ったようだ。



広州に着いた一行が見た、当時の中国の景色とはいったい?
(広州編につづく)
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