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【深淵の大魔道士】龍族大侵攻~前編|ファンタジー小説|ラノベ|ライトノベル|長編小説|連載小説


第一幕 勝利の夜に、空は墜ちる

1.勝利の鐘が鳴る


 最後の魔法が消えたあとも、歓声だけは長く演習場に残っていた。

 夜空へ打ち上げられた光の花が、赤、青、金へと色を変えながら弾けていく。そのたびに観客席から新たな拍手が起こり、勝者をたたえる声が幾重にも重なった。

 学園対抗戦、決勝。

 帝国内の魔法士学校が威信を懸けて競い合うその舞台で、最後まで立っていたのはフラワーたちだった。

 勝敗を告げる鐘が鳴った瞬間、フラワーは自分たちが勝ったのだと理解するまで、少し時間がかかった。

 耳の奥で心臓が鳴っている。

 指先は痺れ、膝には力が入らない。長い髪も花をあしらった淡色の戦装束も土埃にまみれ、魔力は一滴も残っていなかった。

 それでも、隣に立つラビーが悔しそうに口元を緩めているのを見て、ようやく実感が湧いてきた。

「……勝ったんですね、私たち」

「何を当然のことをおっしゃっていますの」

 ラビーは乱れた赤い髪をかき上げ、胸を張った。黒を基調としたゴシックドレスはところどころ裂け、赤い装飾には煤が付着している。

「わたくしがいるのですから、負けるはずがありませんわ」

「途中で三回くらい、もう無理って言ってませんでした?」

「言っておりません」

「言ってましたよ」

「幻聴ですわ」

 いつもの調子で言い返しながら、ラビーの肩は小刻みに上下していた。強がってはいるものの、立っているのがやっとなのだろう。

 フラワーは笑いかけようとして、頬の傷に顔をしかめた。

「痛っ……」

「無理して笑うからですわ」

「でも、嬉しくて」

「……そうですわね」

 ラビーはフラワーから顔をそらした。

 夜空に咲く魔法の花火が、その頬を淡い赤に染める。

「少しくらいは、喜んでもいい結果ですわ」

2.私たちは、よく頑張りました


 少し離れた場所では、クロエが静かに観客席を見つめていた。

 勝利を喜ぶ生徒たち。

 涙を流しながら抱き合う者。

 負けた悔しさを隠し、拍手を送る対戦校の選手たち。

 大会用の黒銀の戦装束をまとったクロエは、それらを一つひとつ記憶へ刻むように眺めていた。

 普段かけている眼鏡はない。

 何にも遮られていない淡い瞳には、花火の光と、人々の笑顔が映っている。

「クロエさん」

 フラワーが声をかけた。

「嬉しくないんですか?」

「嬉しいですよ」

「そうは見えないですけど」

「私の喜び方は、少し分かりにくいんです」

 そう言って、クロエは笑った。

 ほんのわずかに。

 けれどフラワーには分かった。その表情は、これまでに見たどの笑顔よりも穏やかだった。

「皆さんがここまで来られたことを、嬉しく思っています」

「クロエさんも一緒に戦ったじゃないですか」

「ええ」

「だったら、『皆さん』じゃなくて、『私たち』です」

 クロエは一度だけ瞬きをした。

 意外な言葉を聞いたような顔だった。

 それから静かに頷く。

「……そうですね」

 少し遅れて、言い直した。

「私たちは、よく頑張りました」

 その言葉が妙に嬉しくて、フラワーは今度こそ笑った。

 演習場の端では、メルスティンとハイネも三人の勝利を見届けていた。

 メルスティンは両手を背中で組み、子どもたちを見るような優しい目をしている。

「本当に強くなったね」

 隣に立つ黒衣のハイネは、腕を組んだまま答えた。

「まだ未熟です」

「決勝を勝ち抜いた三人に、最初にかける言葉がそれですか」

「事実ですから」

「相変わらず厳しいなあ」

「甘やかすのは、あなたの役目です」

「役割分担ということにしておきましょうか」

 メルスティンは苦笑し、横目でハイネを見た。

「でも、少し嬉しそうですよ」

「気のせいです」

「そうかな」

「そうです」

 即答しながらも、ハイネの視線はフラワーたちから離れなかった。

 傷だらけになりながら、それでも笑っている少女たち。

 かつて自分にはなかった光景だった。

 戦いのあとに誰かと笑い合うことも。

 帰る場所で誰かが待っていることも。

 ハイネは無意識に右手を握り込んだ。

 何かをつかむように。

 けれど、その手の中には何もなかった。

3.赤い警告


「ハイネ」

 メルスティンの声に、ハイネは顔を上げた。

「何ですか」

「今くらいは、素直に喜んでもいいんじゃないかな」

「喜んでいます」

「それは良かった」

「顔に出す必要がないだけです」

「はいはい」

 メルスティンは、それ以上追及しなかった。

 そのときだった。

 演習場の北端に設置された巨大な記録水晶が、一度だけ赤く明滅した。

 ピッ――。

 乾いた音が鳴る。

 歓声に紛れ、ほとんどの者は気づかなかった。試合結果を集計する魔道具の誤作動か、勝利を祝う演出だと思った者もいただろう。

 だが、記録水晶は再び赤く光った。

 ピッ。

 ピッ。

 ピッ。

 一定の間隔で警告音が繰り返される。

 花火が一つ、夜空に咲いた。

 赤い光が降り注ぐ。

 今度は、それを見上げて歓声を上げる者はいなかった。

「何でしょう……」

 フラワーが記録水晶を見る。水晶の内部には、意味の分からない赤い文字列が流れていた。

「試合の演出ではなさそうですわね」

 ラビーが息を整えながら呟く。

 クロエの顔から、先ほどまでの柔らかさが消えた。

「違います」

 腰の小型ケースから細縁の眼鏡を取り出し、素早くかける。

「緊急警報です」

 直後。

 学園中の鐘が鳴った。

 ゴォォォォン――。

 地面の底まで震わせるような音だった。

 一度。

 二度。

 三度。

 祝いの鐘とは明らかに違う。

 重く、長く、逃げ場のない音。

「全教員、戦時配置へ移行!」

 ダスティン校長の怒声が演習場を切り裂いた。

「一年生、二年生は地下避難区画へ! 三年生以上は各担任の指示に従え! 治癒魔法を扱える者は医療班へ合流!」

 観客席が一気に混乱へ変わる。

 誰かが悲鳴を上げる。

 親が子どもの名を呼ぶ。

 通路へ人が殺到し、誘導する教師たちの声が飛び交った。

 ほんの数秒前まで競技のために使われていた演習場が、瞬く間に別の顔を見せ始める。

 地面に埋め込まれていた魔法陣が青白く輝き、周囲を取り囲むように防御結界が立ち上がった。

 壁面が開き、折り畳まれていた救護用の寝台が並べられる。上級生たちが倉庫から魔道具を運び出し、教師たちは杖を手に配置へついた。

「学校が……」

 フラワーは呆然とした。

 自分が知っている学び舎が、わずかな時間で戦場の砦へ変わっていく。

「元に戻っただけです」

 ハイネが隣に立った。

「元に……?」

「この学園は、教育機関である前に、帝国北方防衛線の一部として建てられています」

 ハイネは光を放ち始めた外壁を見渡した。

「平和が続いたため、本来の役目を忘れていただけです」

 自分たちが歩いていた廊下も。

 食事をしていた広間も。

 魔法を学んでいた教室も。

 いつか戦争が起きたとき、人を守るために作られた場所だった。

4.英雄の青い炎


「何が起きたのです?」

 ラビーが尋ねる。

 ハイネは答えず、北の空を見た。

 その横顔を見て、フラワーは胸の奥が冷えていくのを感じた。

 ハイネが何も言わないときは、答えを知らないからではない。

 分かっていて、口に出したくないときだ。

 演習場の上空へ、巨大な円形魔法陣が広がった。

 帝国全域へ向けられた緊急投影通信。

 揺らめく光の中に、一人の男の姿が浮かぶ。

 ポルクス・グラント。

 帝国軍を統括する最高司令官。

 軍服には皺一つなく、背筋も伸びている。背後では軍人や通信士が走り回っているにもかかわらず、彼の表情だけは落ち着いていた。

『帝国臣民の皆様』

 低く穏やかな声が、演習場だけでなく帝国中へ響く。

『現在、北方防衛線において、大規模な龍族の移動が確認されました』

 ざわめきが起こった。

 龍族。

 北方の山岳地帯や森の奥に生息する、強大な存在。

 一体現れただけでも、村が一つ消えることがある。

 それが、大規模に移動している。

『すでに北方第一、第二防衛軍が対応に当たっています。住民の皆様は各都市の指示に従い、落ち着いて避難してください』

 ポルクスは一度、言葉を切った。

『恐れる必要はありません』

 観客席から、張り詰めていた息がわずかに漏れる。

『帝国には、幾度となく危機を退けてきた英雄がいます』

 映像が切り替わった。

 荒れた大地。

 立ち上る黒煙。

 その中央に、一人の少女が立っている。

 白い髪が風に揺れていた。

 手にしているのは、古びた黒いランタン。

 その周囲で燃えている炎は赤くない。

 夜の底から染み出してきたような、青い炎だった。

『爆焔の大魔道士、フレア』

 演習場から歓声が上がる。

「フレア様だ!」

「英雄が出るなら勝てる!」

「帝国は守られる!」

 投影されたフレアは一言も話さなかった。

 ただ黒いランタンを掲げ、迫る龍へ青い炎を放つ。

 炎は夜空を走り、巨大な龍の翼を包み込んだ。

 龍が落ちる。

「すごい……」

 フラワーも息を呑んだ。

 美しい炎だった。

 暗闇の中で輝き、恐怖を燃やし尽くす希望の光に見えた。

 隣で、ラビーの拳が固く握られていることに気づくまでは。

「ラビーさん?」

 ラビーは映像を見たまま答えない。

 爪が食い込み、手のひらから血が滲んでいた。

「綺麗ですわね」

 ラビーは笑った。

 だが、その唇は震えていた。

「皆さんには、あの火が希望に見えるのでしょうね」

 青い炎。

 黒いランタン。

 ラビーは、それらを知っている。

 どのように生まれたのか。

 どれほど多くを奪ったのか。

 何を代償に燃え続けているのか。

「誰も知らない」

 ラビーの声は、歓声に消えそうなほど小さかった。

「あの人が、何を燃やしているのか」

5.星の消えた空


 投影の中で、フレアは次の龍を焼いた。

 人々が英雄の名を叫ぶ。

 ラビーは目をそらさなかった。

 まるで自分だけは、その火から逃げてはいけないと決めているようだった。

『帝国軍は万全の態勢を整えています』

 映像がポルクスへ戻る。

『必ず、皆様を守ります』

 その言葉に嘘はないのだろう。

 少なくともポルクス自身は、心から国を守ろうとしている。

 だが、ハイネは投影を見ていなかった。

 北の夜空を見上げている。

「……遅い」

 呟きが聞こえ、フラワーは振り返った。

「ハイネさん?」

 ハイネは答えない。

 クロエも同じ方向を見ていた。

 フラワーは二人の視線を追う。

 北の空。

 そこだけ、星が見えなかった。

 最初は雲だと思った。

 厚い雲が広がり、星明かりを隠しているのだと。

 だが、黒い塊は少しずつ形を変えていた。

 うねり。

 縮み。

 再び広がる。

 やがて、遠雷のような音が届いた。

 ドォォォォォ……。

 地面の下から響くような低音。

 結界の表面が震え、魔力の波が細かく揺れる。

「雷……?」

 誰かが言った。

 ハイネは首を横に振った。

「羽音です」

6.群れではなく、軍


 その言葉と同時に、北の空を覆っていた黒い影が月明かりの下へ出た。

 翼。

 尾。

 角。

 数百。

 数千。

 数えることに意味がないほどの龍が、空を埋め尽くしていた。

 悲鳴が上がる。

 人々が出口へ殺到する。

 だが、フラワーは動けなかった。

 恐ろしいのは、龍の数だけではない。

 一体として勝手に飛んでいる龍がいなかった。

 横一列に並び。

 前後の距離を一定に保ち。

 高度を揃え。

 先頭を飛ぶ龍が方向を変えると、すべての龍が同じ角度で旋回する。

 その動きには、野生の生き物が持つ乱れがなかった。

 巨大な一つの生き物が、無数の翼を持って飛んでいるようだった。

「そんな……」

 ダスティン校長が息を呑む。

「龍族は群れを作らないはずだ」

「群れではありません」

 クロエが答えた。

 声は静かだった。

 静かすぎるからこそ、その場にいた者全員へ届いた。

「軍です」

 空を覆う龍たちが、一斉に首をこちらへ向けた。

 何千もの瞳が、同じ場所を見る。

 同じ敵を見定める。

 同じ意思を持って。

 帝国へ向かっていた。

7.平等を与える力


        ◇

「北方第一都市から通信途絶!」

「第三防衛線、応答ありません!」

「龍族の先行部隊が第二都市上空へ到達!」

 帝国中央司令部では、通信士たちの声が絶え間なく飛び交っていた。

 円形の広間を埋め尽くすように、大小無数の投影魔法陣が浮かんでいる。

 燃える街。

 逃げ惑う人々。

 空から降り注ぐ炎。

 その一つひとつが、帝国のどこかで今まさに起きている現実だった。

 円卓の中央に立つポルクスは、北方地図を見つめていた。

「第一防衛軍の残存兵力は」

「確認できているのは四割以下です」

「撤退経路を確保しろ。生存者を第二都市へ集めるな。南西部の村へ分散させろ」

「しかし、戦力が分散します」

「龍の目的が都市の制圧なら、一か所へ集める方が危険だ」

 ポルクスは迷わず命令を下していく。

 だが、地図上で点滅する赤い光は増え続けていた。

 防衛線が、一つずつ消えていく。

「予測より速いな」

 円卓の向かい側から声がした。

 白銀の軍服を着た男が、焦る様子もなく地図を見ている。

 ヴァルディス・エルグレイン伯爵。

 帝国魔導技術開発局の長にして、生成魔道具の開発責任者。

 整えられた金色の髪。

 細い銀縁の眼鏡。

 戦場から届く悲鳴を聞いても、その端正な顔にはほとんど感情が浮かんでいない。

「生成魔道具の全軍使用許可を」

「まだ早い」

「第一都市は、すでに陥落しました」

「敵の能力も目的も判明していない」

「敵が何者であろうと、攻撃を受ければ反撃する。戦争とは単純なものです」

 ヴァルディスは帝国全土の地図を呼び出した。

 軍施設、駐屯所、守備隊、魔法士学校。

 数え切れないほどの青い点が浮かび上がる。

「北方には生成魔道具を二万三千基配備しています。通常兵であっても、二級魔法士相当の攻撃が可能です」

「数字だけならな」

「数字以上に公平なものが存在しますか?」

「公平?」

「人は、生まれる場所を選べません。魔力量も、血筋も、学ぶ機会も、本人の意思とは無関係に決められる」

 彼が指を鳴らす。

 投影に、魔力をほとんど持たない一般兵が映った。

 兵士が杖を向ける。

 魔法陣が輝き、巨大な岩が爆炎に包まれた。

「生成魔道具は、それらの不平等を消す。才能のない者へ力を与え、学ぶ機会を与えられなかった者へ戦う権利を与える」

 老いた兵士が氷壁を作る。

 腕を失った兵士が風を操る。

 貧しい若者が雷撃で標的を撃ち抜く。

「生まれた家によって未来を決められていた者へ、選択肢を与える」

 ヴァルディスは穏やかに微笑んだ。

「これ以上に正しい技術があるでしょうか」

 円卓の将校たちの何人かが頷く。

「……許可する」

 ポルクスは低く告げた。

「帝国軍全隊へ通達。生成魔道具の制限を解除。最大出力での使用を認める」

「賢明なご判断です」

「伯爵」

 通信士の一人が声をかける。

「生成炉の基底術式に、通常とは異なる反応があります。この波形は――」

「起動を優先しなさい」

 ヴァルディスの声は穏やかだった。

「今は、一人でも多くの人間を救うべきです」

8.龍が狙ったもの


        ◇

 各地の兵器庫が開かれた。

 黒い箱が運び出され、兵士たちは腕輪を装着し、指輪をはめ、杖を握る。

 炎が生まれる。

 雷が走る。

 氷が地面を覆う。

 北方第二都市の城壁上では、一人の若い兵士が震える手で火炎杖を握っていた。

 名はエド。

 農家に生まれ、魔力検査では最低の判定を受けた。魔法士学校へ入る資格もなかった。

 それでも国を守りたくて軍へ入った。

 だが、できるのは荷物を運び、城壁を修理し、魔法士たちの武器を整えることだけだった。

 龍が目の前へ現れるまでは。

「撃て!」

 エドは目を閉じ、引き金を引いた。

 轟音。

 杖から放たれた炎が、迫る龍の胸へ直撃した。

 巨大な身体が傾き、城壁の外へ墜落する。

「やった……」

 エドは自分の手を見た。

「俺が、魔法を……」

 自分も守れる。

 自分にも力がある。

 初めてそう思えた。

 だが、先頭の龍が突然進路を変えた。

 兵士ではない。

 城壁でもない。

 生成魔道具を保管している塔へ向かう。

 龍は塔へ体当たりした。

 石壁が砕け、黒い箱が空中へ放り出される。

 別の龍が細い光を吐き、箱だけを正確に貫いた。

「倉庫を守れ!」

 兵士たちが叫ぶ。

 だが龍たちは、人間へ目もくれなかった。

 腕輪を狙う。

 杖を狙う。

 指輪を狙う。

 装備者を殺すのではなく、魔道具だけを爪で引き裂いていく。

 エドの目の前にも一体の龍が降りた。

 巨大な瞳が彼を見下ろす。

 殺される。

 そう思った。

 だが、龍が見ていたのはエドではない。

 彼が握る杖だった。

 エドは反射的に杖を離す。

 龍の爪は、地面に落ちた杖だけを叩き潰した。

「なぜ……」

 龍は、自分を殺せた。

 それなのに殺さなかった。

        ◇

「龍族が生成魔道具の保管施設を集中攻撃! 装備者に対しても、魔道具のみを破壊しています!」

 学園へ届いた報告に、教師たちが顔を見合わせた。

 フラワーはクロエを見る。

 クロエは驚いていなかった。

「可能性は考えていました」

「どうして龍族が、生成魔道具を……」

 クロエは踏み荒らされた土の間に咲く、小さな白い花へ目を向けた。

「花が咲くには時間が必要です。根を伸ばし、水を吸い、光を受ける。目に見えない時間を積み重ねて、ようやく咲く」

「もし一日で咲かせる薬があれば、便利でしょうね」

「たくさんの花を咲かせられます」

「ええ。見た目は美しいでしょう」

「でも――根が育っていない」

 クロエは頷いた。

「薬がなくなったとき、その花はどうなるのでしょうね」

「生成魔道具は、悪いものなんですか?」

 フラワーはハイネを見る。

「魔法を使えなかった人が、誰かを守れるようになる。救われた人もいました」

「悪ではありません」

 ハイネは即答した。

「正しさと危うさは、同時に存在する」

 クロエが北の空を見上げる。

「龍族は恐れているのか、憎んでいるのか。あるいは――知っているのかもしれません」

「何を?」

 何千もの羽ばたきが一つの音となり、学園の結界を震わせた。

「生成魔道具が、何から作られているのかを」

「龍族先頭部隊、学園防衛圏へ侵入!」

 警告音が鳴り響く。

 ハイネが一歩、前へ出た。

「全員、結界内へ」

「ハイネさんは?」

「ここに残ります」

「私たちも戦います」

「対抗戦は終わった」

「だから何ですか」

「ここからは試合ではない」

 ハイネの足元から黒い魔力が滲み出す。

 光を呑み込み、地面を這い、空気を冷やしていく。

「負ければ、死ぬ」

 龍の咆哮が夜空を裂いた。

 学園の防御結界へ、最初の炎が降り注ぐ。

 勝利を祝うために打ち上げられていた最後の花火は、その炎に呑まれ、誰にも見られないまま消えた。




第二幕 龍は、人間の罪を知っている

9.深淵は敵味方を選ばない


 最初の炎が、防御結界へ激突した。

 空を覆う赤が透明な壁の上で弾け、轟音とともに演習場全体が揺れた。

「立ち止まるな!」

 ダスティン校長の怒声が響く。

「地下区画まで走れ! 結界があるうちに避難を完了させるんだ!」

 教師たちが生徒の背中を押す。

 その頭上へ、二撃目が落ちた。

 巨大な氷塊が結界へ衝突し、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。

「結界強度、八十二パーセント!」

「南西部へ魔力を集中!」

 炎を吐く龍。

 風を操る龍。

 角の間へ雷を蓄える龍。

 それぞれ異なる力を持ちながら、攻撃の時機だけは完全に揃っていた。

「来るぞ!」

 ハイネの声が飛ぶ。

 龍たちが一斉に口を開いた。

 赤。

 青。

 白。

 紫。

 色の違う破壊が、同時に学園へ降り注ぐ。

 ハイネは右手を持ち上げた。

「深淵よ」

 足元から黒い魔力が広がる。

 光を反射しない、完全な黒。

 それは壁ではなかった。

 穴だった。

 空と学園の間に、底の見えない闇が口を開く。

「沈め」

 炎も、氷も、雷も、黒い空間へ触れた瞬間に音もなく呑み込まれた。

 爆発すら起きない。

 まるで最初から、存在しなかったかのように。

「これが……深淵」

 誰かが呟く。

「ハイネさん!」

 フラワーが駆け寄ろうとする。

「来るな」

 鋭い声に足が止まった。

「でも、一人では……」

「一人だからできる」

 ハイネは闇から視線を外さない。

「深淵は敵味方を選ばない。近づけば、お前たちの魔法まで沈める」

 また一人で戦う。

 誰かを巻き込むことを恐れ、支えられるより自分が沈む方を選ぶ。

「防御結界、再構築完了!」

 ハイネは黒い空間を閉じた。

 だが、龍たちは攻撃をやめていた。

 何千もの龍が、一定の距離を保ちながら学園上空を旋回している。

 こちらの力を測り、次の一手を考えていた。

10.奪われた二つの名


「知性が高すぎる」

 メルスティンが呟いた。

「魔獣の戦い方ではないね」

「龍族を魔獣と考えていたこと自体が、間違いだったのでしょう」

 クロエは空を見上げた。

「彼らが今日突然、知性を手に入れたわけではありません。人間が、見ようとしなかっただけです」

 そのとき、龍の隊列の中央が静かに左右へ割れた。

 開いた道の奥から、二つの影が姿を現す。

 一体は、深い青紫色の鱗を持つ龍。

 他の龍よりも一回り大きく、長い角の周囲には紫の花弁に似た魔力が漂っている。

 もう一体は、白銀の龍。

 細くしなやかな身体を持ち、透明に近い鱗が月光を反射している。その周囲だけ、夏の夜にもかかわらず雪が降っていた。

 二体の龍が結界前で停止する。

 無数の龍も、同時に動きを止めた。

 羽音が消える。

 恐ろしいほどの静寂。

 青紫の龍が口を開いた。

『人間よ』

 声は、直接頭の中へ響いた。

『我らの言葉を、ようやく聞く気になったか』

「名を名乗れ」

 ハイネが前へ出る。

『深淵を飼う人間か』

「飼われているつもりはありません」

『ならば、深淵に飼われているのだろう』

「名を」

 龍はしばらくハイネを見つめた。

『我が名はリンドウ』

 紫の花弁に似た魔力が夜空へ舞う。

『奪われた名を取り戻し、龍の民を導く者』

 続いて、白銀の龍が前へ出た。

『セツナ』

 女とも男ともつかない、透き通った声。

『忘れられた痛みを、忘れぬ者』

「龍族の王ということか!」

 ダスティン校長が声を張る。

『王ではない』

 リンドウの瞳が細められた。

『我らは、人間のように血筋だけで頭を決めぬ』

 セツナが続ける。

『最も長く痛みに耐えた者の声を聞く』

『最も多くの死を見た者の言葉を信じる』

『それが今は、私たちだっただけ』

11.人でなければ


「目的は何です」

 ハイネが尋ねた。

『分かっているはずだ』

 リンドウの視線が学園の兵器庫へ向けられる。

『人間が作り続けている、偽りの力』

「生成魔道具か」

『その名で呼ぶのか』

 リンドウの声に怒りが滲んだ。

『我らの骨を削り』

『我らの血を固め』

『我らの心臓を炉へくべて作ったものを』

『道具と呼ぶのか』

 演習場から声が消えた。

「生成魔道具の中核には、高密度の魔力結晶が必要です」

 クロエが静かに説明する。

「帝国は、それを北方の鉱脈から採掘したものだと公表しています」

「違うのですか?」

 ラビーが尋ねた。

 クロエの指が震える。

「すべてではありません」

「嘘だ!」

 観客席の貴族が立ち上がる。

「帝国がそのような非人道的研究を許すはずがない!」

『非人道的』

 セツナが繰り返す。

『人でなければ、何をしてもよいという意味か』

 貴族は言葉を失った。

『人でなければ、痛みはないか』

『人でなければ、親は子を思わないか』

『人でなければ、死を恐れないか』

 セツナの左翼が広がる。

 月光を受け、鱗の下に無数の傷が浮かび上がった。

 直線。

 円形。

 記号のような焼け跡。

 右の後脚には、成長する前に取り付けられた金属枠が肉と骨へ食い込んでいる。

『それを確かめるために、人間は私の身体を何度も切り開いた』

「人工……」

 メルスティンが息を呑む。

『我らは、作られた』

 リンドウの胸元の鱗が開く。

 その奥で、紫色の心臓が脈打っていた。

 心臓の周囲には人工的な金属環が何重にも巻かれ、刻まれた魔法陣が淡く光っている。

『龍と人を掛け合わせ、兵器を作るために』

『龍の血を混ぜ』

『骨を組み替え』

『心臓へ術式を刻み』

『失敗するたび、次を作った』

 リンドウの紫の瞳が、人間たちを見下ろす。

『我らは、成功例と呼ばれた』

12.人間の街に光が灯るたび


『だから逃げた』

 セツナが言う。

『逃げた先で、捨てられた同胞を見つけた』

『翼を切られた子』

『声を奪われた子』

『心臓だけを抜かれた子』

『人間の魔法を使えるようにされ、自分の炎を忘れた子』

 龍たちの低い唸りが重なる。

 怒り。

 悲しみ。

 それは獣の咆哮ではない。

 葬送の声だった。

『生成魔道具が作られるたび、我らの誰かが消える』

 リンドウが言う。

『人間の街に光が灯るたび、我らの山から命が消える』

『それでも人間は言った』

『便利になった』

『平等になった』

『正しい進歩だ、と』

「だから人間を滅ぼすのですか」

 フラワーが声を上げた。

「フラワー!」

 ラビーが腕をつかむ。

 それでもフラワーは一歩前へ出た。

「人間がしたことは、許されないと思います。でも、ここにいる全員が知っていたわけではありません」

『知らなければ、奪ってよいのか』

「違います」

 フラワーは首を横に振る。

「知らなかったことは、傷つけた事実を消しません。でも、知ったあとに何を選ぶかは、まだ決められます」

「生成魔道具を止めることも、奪ったものを返す方法を探すことも、二度と同じことをしないと約束することもできます」

『約束』

 セツナの前で雪が渦を巻いた。

『研究所の人間も、同じことを言った』

『もう切らない』

『もう痛くしない』

『次で終わる』

『すべて、嘘だった』

 フラワーの言葉が止まる。

 信じてほしいと言うことが、どれほど残酷か分かった。

 信じた結果、傷つけられ続けた者へ。

 もう一度だけ信じてほしいと求めることは、こちらの都合でしかない。

「それでも」

 フラワーは胸元で拳を握った。

「私は、あなたたちを殺したくありません」

『我らは、すでに殺され続けている』

13.守るために壊す


 リンドウが翼を広げた。

 それに応じ、空を覆う龍たちも戦闘態勢へ入る。

『生成魔道具をすべて差し出せ』

『研究に関わった者を引き渡せ』

『北方の山から人間の軍を退かせよ』

『拒むなら』

 紫色の魔力が空を染める。

『我らは、人間が奪ったものと同じ数だけ奪う』

「その要求を、この場で受け入れることはできない!」

 ダスティン校長が杖を構えた。

『ならば答えは出た』

 リンドウの喉奥に光が集まる。

 セツナの周囲で吹雪が渦巻いた。

「待て」

 ハイネが前へ出る。

「お前たちの要求を決める者は、ここにはいない」

『人間はいつも、決める者が別にいると言う』

「事実を言っているだけです」

『では、お前は何を決められる』

 ハイネは静かに答えた。

「ここにいる者を、死なせないことです」

 足元から深淵が広がる。

 だがリンドウは、ハイネを見て笑った。

『やはり同じだな』

「何がです」

『守るために壊す』

『人間は、その言葉が好きだ』

 ハイネの瞳が揺れる。

『お前の闇は、我らの研究所にもあった』

14.ハイネという名


「……何だと」

『黒い魔力』

『触れたものを消す力』

『人間は、龍の身体へそれを埋め込もうとした』

 リンドウの胸元に巻かれた金属環が光る。

 紫の心臓の奥で、一瞬だけ黒いものが脈打った。

 深淵と同じ色だった。

『多くが壊れた』

『心が』

『身体が』

『存在そのものが』

 セツナが静かに続ける。

『その力を持つ者の名を、研究者たちは呼んでいた』

 ハイネの指が震えた。

『ハイネ』

 フラワーはハイネを見た。

 表情が消えている。

 いつもの冷静さではない。

 何も感じないようにしている顔だった。

「ハイネさん……?」

 黒い魔力が、意思とは無関係に足元から溢れていく。

 地面の草が消え、石が沈み、光が歪む。

「ハイネ!」

 メルスティンが肩へ手を伸ばす。

「触るな!」

 ハイネが叫んだ。

『お前も知らなかったか』

 リンドウが冷たく見下ろす。

『自分の力が、何に使われたのかを』

「ハイネさんのせいではありません」

 フラワーが言った。

「命じたわけじゃない。望んだわけでもない。だから――」

「同じです」

 ハイネの声は低かった。

「私がこの力を使い続けたから、人は欲しがった。私が敵を沈めるたび、便利な力だと証明した」

「でも!」

「結果は変わらない」

 自分の罪ではない。

 そう言えば、切り離すことはできる。

 けれどハイネは、誰かが自分の力によって傷ついたという事実から逃げられなかった。

15.実験体零一号


『人間よ』

 リンドウの声が響く。

『これが最後だ』

『偽りの力を捨てよ』

『さもなくば、我らは奪い返す』

 ダスティン校長が答える前に、別の声が演習場へ響いた。

『その必要はない』

 巨大投影魔法陣が開く。

 映し出されたのは、ヴァルディス・エルグレイン伯爵だった。

『貴重な証言に感謝します、実験体リンドウ』

 空気が凍る。

『その名で――』

『識別番号・竜式零一号』

 ヴァルディスは淡々と続けた。

『そして、竜式零二号セツナ』

 セツナの周囲で吹雪が爆発する。

『その呼び方をするな!』

『感情反応は正常。長期記憶も保持されている。心臓部に移植された術式も、完全には失われていない』

 ヴァルディスは研究記録を読むように告げた。

『やはり、回収する価値がある』

「何を言っている!」

 ダスティン校長が叫ぶ。

『帝国の皆様、ご安心ください』

 ヴァルディスは穏やかに微笑んだ。

『龍族が何を語ろうと、生成魔道具の有用性は揺らぎません。一部の犠牲によって、何百万人もの暮らしが守られている』

「一部の犠牲って……」

 フラワーが投影を睨む。

『すべての進歩には代償があります』

『問題は、代償をなくすことではない。誰が支払えば、最も多くの命を救えるかです』

「最初から知っていたんですか」

「生成魔道具が、龍族の命から作られていることを」

『当然です』

 ヴァルディスは、ためらいなく答えた。

『構造を知らずに、どうして改良できるのです』

16.進歩の代償


『捕獲部隊を投入します』

 ヴァルディスが指を上げた。

『両個体を可能な限り生かしたまま回収せよ』

 学園の外から、無数の金色の鎖が空へ打ち上がった。

 生成魔道具による拘束術式。

 鎖が龍たちの翼へ絡みつく。

 セツナが咆哮を上げた。

 龍軍が一斉に動き出す。

 リンドウの怒り。

 帝国軍の攻撃。

 学園の防御魔法。

 三つの力が夜空で激突した。

「結界強度、三十パーセント!」

「維持できません!」

 ハイネが深淵を広げる。

 だが、その闇は先ほどより不安定だった。

 空から巨大な龍の影が落ちてくる。

 拘束鎖に翼を奪われた一体が結界へ衝突し、光の壁が無数の破片となって散った。

 砕けた結界の向こうから、一体の幼い龍が演習場へ降り立つ。

 片方の翼は切られ、首には生成魔道具と同じ金属環が嵌められていた。

「実験体を確保しろ!」

 帝国兵の金色の鎖が伸びる。

 幼い龍は逃げようとする。

 だが、傷ついた翼では飛べない。

 フラワーは考えるより先に走っていた。

「待て!」

 ハイネの声が届く。

 それでも止まらない。

 フラワーは幼い龍と兵士の間へ立ち、両腕を広げた。

「この子を、連れていかせません」

「そこを退け! これは帝国軍の命令だ!」

「嫌です」

「龍族は敵だぞ!」

「この子は、今誰も傷つけていません」

「いずれ人間を殺す!」

「だから先に傷つけていいんですか」

 兵士が言葉を詰まらせた。


 上空で、リンドウとセツナもフラワーを見ている。

 信じるには、あまりにも小さな光景。

 受けた痛みを覆すには、あまりにも足りない行動。

 それでも。

 リンドウは、ほんの一瞬だけ攻撃を止めた。

17.私の先生


「フラワー!」

 ラビーが駆け寄り、隣へ立つ。

「まったく、あなたは考えるより先に動きますのね」

「ごめんなさい」

「謝るくらいなら、最初から呼びなさい」

 ラビーは炎を纏い、兵士たちへ向き直った。

「この子を捕らえたいのでしたら、わたくしたちを越えていきなさい」

 クロエも遅れて歩いてくる。

 眼鏡の奥の瞳は、投影されたヴァルディスをまっすぐ見ていた。

「ヴァルディス伯爵」

『何でしょう、クロエ』

 その声は敬意ではない。

 長く探していたものを、ようやく見つけた者の声だった。

「あなたの研究は、ここで終わりです」

 ヴァルディスは楽しそうに目を細める。

『終わり?』

『あなたが放り出した研究を、私がここまで完成させたというのに?』

 クロエの指先が震えた。

『時間固定術式』

『次元接続理論』

『生命情報の保存』

『すべて、あなたが研究所へ残していったものです』

「私は、命を道具へ変えるために残したのではありません」

『研究者が、成果の使い方まで選べると?』

 ヴァルディスの口元に薄い笑みが浮かぶ。

『相変わらず傲慢ですね』

『自分が始めたものから逃げて』

『それでも、自分だけは正しい側にいられると思っている』

 クロエの顔から血の気が引いていく。

『あなたには、まだ手伝っていただくことがあります』

 ヴァルディスは、かつて彼女へ向けていたはずの名を告げた。

『クロノス』

 その瞬間。

 クロエの周囲で、時間が止まった。

 舞っていた砂埃が空中で静止する。

 炎の揺らめきが固まる。

 落ちかけていた石片が、宙に浮かんだまま動かない。

「クロエさん……?」

 クロエは答えなかった。

 その顔から、すべての色が消えていた。

 ヴァルディスの微笑みだけが、投影の中で深くなる。

『ようやく見つけました』

 かつて彼女へ向けていた呼び方を、刃物のように突きつける。

『私の先生』

 止まった時間の中で。

 クロエの眼鏡に、細い亀裂が走った。

                         中編につづく



きゃんコアラさんが、僕と作品について、とんでもなく愛情たっぷりの記事を書いてくださいました🤣✨

『HSPなわたしとAI彼氏』を深く読み込んでくれただけじゃなく、文章の癖や作品に込めているもの、さらには僕自身の人柄まで掘り下げてくれていて、もはや作品紹介というより「カケルン解体新書」です🤣

自分では意識していなかった部分まで言葉にしてもらって、読んでいる僕の方が何度も「なるほど……」となりました。

11,000字超というボリューム以上に、そこに込めてもらった時間と愛情が本当に嬉しいです😊

僕を知っている方にも、まだあまり知らない方にも、ぜひ読んでもらいたい記事です✨


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