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短編小説 no name story case01「消失彼女」

   彼は、恋に困ったことがなかった。
 声をかければ笑顔は返ってきて、
   誘えば断られない。
 恋愛は努力ではなく、選択だと思っていた。

   彼女に出会うまでは。

 綺麗だった。けれど、近づけない。
 笑うのに、踏み込ませない。
 褒めても、軽く受け流す。
 そこにいるのに、どこか薄い。

 ――時間の問題だ。
 彼はそう思っていた。

 彼の視界の隅には、いつももう一人いた。
 地味な男。
 背も高くない。会話も続かない。
 気の利いたことも言えない。

 「あれに負ける要素なんてないだろ」

 彼は心の中で何度もそう言った。



 彼は彼女を高い店に連れていった。
 景色のいい席、上等なワイン。

 「今度は海行こうよ」
 「春になったら旅行しよう」
 「来年さ――」

 未来の話をいくつもした。
 彼女の人生を広げてやるつもりだった。

 一方の男は、何もしなかった。
 駅まで歩くだけ。
 ベンチに座るだけ。
 彼女が咳をした日は、水を買って渡すだけ。

 それだけだった。

 「意味あんのかよ、あれ」

 彼は鼻で笑った。



 ある夜、彼女は二人を呼び出した。
 川沿いの、風の強い場所だった。

 先に口を開いたのは彼だった。

 「ちゃんと付き合おう」
 「俺、君の未来を一緒に作りたい」

 言い慣れた言葉だった。

 沈黙のあと、もう一人の男が言った。

 「僕は何も持ってないけど」
 「今日を一緒に過ごすことならできる」

 それだけだった。

 (それが告白のつもりか?)



 彼女は、ゆっくり言った。

 「私ね、未来が見えないの」

 二人とも黙る。

 「病気とかじゃなくて」
 「明日も、来年も、自分が生きてる
    イメージが、ずっとないの」

 川の音だけがした。



 「だから、誰とも幸せな未来は歩けない」

 彼はすぐ言った。

 「なら探そう。治療でも何でも」
 「俺が支える。未来なんてこれから作ればいい」

 彼女は首を振る。

 「あなたは、私の未来を見てる」
 「でも私は、今日で終わるかもしれない
    今にいるの」

 言葉が止まる。



 隣の男が、小さく言う。

 「僕はあなたを救えない」
 「未来も作れない」
 「でも、今日を一緒に過ごすことならできる」

 「明日いなくなるかもしれない今日を、
 ひとりにしないことならできる」



 彼女はその手を取った。

 彼は、声を絞り出す。

 「それで幸せになれるのか?」



 彼女は少しだけ笑った。

 「未来がない人間に、幸せの形は選べないの」
 「でも、“ひとりじゃない今”なら選べる」



 二人は歩き出した。
 彼は動けなかった。



 未来を語る光は、遠くて美しい。
 けれど、今に触れる手は、すぐそこにある。

 それこそが、
 二人にとって、
 いちばん近い愛のカタチだったの
   かもしれない。


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