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初心者でも行ける絶景を見に行って靴底が はがれた日

10年前の2016年、制定されたばかりの「山の日」8月11日。

山の日だから、山に行こう。そんなベタな。
「海の日」だから海に行く、みたいな、普段はそんなタイプじゃない。でも初めての「山の日」だから。なんかいいかなと。本当はとにかく高い所へ行きたかった。

ポルシェをデザインしたジウジアーロデザインのカッコいいお気に入りの登山靴は、ずっと車に載せたままだった。行き当たりばったりを信条としているので、いつでも履けるように、忘れないようにと車に入れていた。
その頃、気持ちが塞ぐと近くの往復2時間ぐらいの里山を登っていた。

その日は快晴、これは行くしかないと、突発的に八方池行きを決めて、車を走らせる。途中のコンビニでおにぎりとおやつをサクッと調達。
とにかく早く行かないと混むかもしれない。なんせ山の日ですから。
駐車場に到着するとまださほど混んでいない。よかった。早出できる地元民の特権か。久しぶりの山の空気。思い切り深呼吸。

普段から標高634メートルに住んでいるのでたいして変わらないとも言えるけど、いやいや違う。真夏なのに、朝だからかひんやりする。
登山靴に履き替え、身支度を整え、いざ出発。

八方池は登山というよりハイキング。木道はしっかりと整備されているし。上までゴンドラリフトで連れて行ってくれるから。
歩き出して、時折振り返って、下界の街を眺める。小さくてジオラマみたいだ。
上を見ると青空が透き通っている。
木道を歩くとポクポクと靴の音が心地いい。木琴の上を歩くみたいだ。ウキウキ楽しくなってくる。
のんびり自分のペースで上がって行くので、お先にどうぞと後ろから来たチームに何回も道を譲る。

道の脇の植物の写真を屈んで撮影。標高が上がると植生も違う。小さなカマキリを見つけて、あいさつ。

始めは順調だった。
ところが木道を歩く靴の音のリズムが不協和音になり始めたのだ。
何か挟まっている?

ん?あれ?靴底がパカパカしてる!!!
なんで!?

この靴は買ってからは数年経っているものの使用回数はそんなにない。
見た目も新品に近いのだ。

「なんで、なんでなのー?」

八方池手前の木道で漫画みたいにカパって靴底が剥がれた。触れば触るほどボロボロと崩れる靴底。(後で知ることになったがこれは加水分解という現象)

騙し騙し歩く。パカパカして歩きづらいったらない。八方池まであと半分といった感じか。
45分行くも帰るも出来ない。
どうしよう。
頭が真っ白に。
詰んだ…
ひとしきり、そのままパカパカさせながら木道の階段を転ばないように慎重に一段一段上がる。骨折してる人のよう。
いつまで経っても八方池に着かない、このままじゃ。転んで怪我もしそうだ。

助けを乞うにも周りに誰も居なかった。さっきまであんなに往来激しかったのに。
静けさの中、近くにいるのはトンボの群れだけ。
これは自分でなんとかしなくちゃ。
何かで縛らなくちゃ。
リュックの中をゴソゴソと漁る。
数年経って今はダクトテープをこういう時のために持つと知った。
しかしその時は靴底が剥がれるというのは私の辞書には存在していなかったのだ。

冷静になって、とにかく紐、紐を探す。
紐がなかったら、手拭いを割いて紐をなう覚悟だったけど、切れた鼻緒を助けてくれる三四郎もたけくらべの美登利もここにはいない。
手ぬぐい好きで100枚近くある手ぬぐいコレクションが家で眠っている、しかし、なぜか今日は、ここにはない。
今日に限って冷感タオル。真夏ゆえに暑さ対策でこっちにしたのだ。化繊で強度があってちぎれやしない。

ガサゴソを続ける。リュックの底に、手が伸びる。

あった!紐!救世主!

日焼け止めなどの細々としたものを入れた巾着袋の紐、これを使うしかない。ジッパーのポーチじゃなくてよかった。巾着袋最高!助かった。
もう、今考えると、紐状のものならうどんでもそばでも結んでしまいそうな勢いだったと思う。良さそうなイネ科の植物が目に入る、いやいや、ダメダメ。藁にも縋る思いとはこのことだと身に沁みて実感した。しかし傍らの高山植物に手を出すわけにはいかない。
救世主の巾着袋の紐を外して、2本を結んで長くして、靴底と本体をぐるぐると巻きつけ、しっかりと結んだ。

重症患者のような登山靴。
デザインしたジウジアーロ御大も真っ青な有様。
高かったのにな、この靴。涙目。

この惨状はもう、マルコの気持ちだった。
『母を訪ねて三千里』の。
マルコはアルゼンチンを歩いている最中、ロバに死なれ、靴が壊れて、足の指からも血が出て、それでも歯を食いしばって歩いた。
あのアニメの光景がありありと脳内に再生される。
マルコより流血を免れているだけでも私はラッキーなのだ。そう気持ちを奮い立たせて高みを目指す。
マルコの主題歌が脳内再生される。
この時の私の応援歌だ。

小さな頃見たアニメだけど、かなりの影響を受けている。何十年も経った今でも歌えるほどに。
ところどころ替え歌をして口ずさむ。私は名前が子で終わるので、もちろんそこは自分の名前で。

『♫はるか草原を ひとつかみの雲が
あてもなくさまよい とんでゆく
山もなく谷もなく 何も見えはしない
けれど〇〇子
おまえはきたんだ
アルプスにつづく この道を
さあ出発だ
今陽が昇る
トレッキングポール両手につかみ
リュックに高地の風はらませて
かあさんのいる
あの空の下はるかな上をめざせ』

いつも思うけど、『さあ出発だ』のところで転調するのが、子ども心にもシャキッとするというか、奮い立つってこういうことみたいな気分にさせる素晴らしいメロディだ。大人になっても何度となくこのメロディに助けられてきた。
アメデオはいないけど、ひとりだけど、寂しくなんかない。
見えないマントを翻して歩くんだ。
マルコに励まされ、木道をひたすら登って行く。
当時母を亡くしたばかりで二人暮らしからひとりになって、なかなか喪失の傷が癒えないままの私。高い所に行けば少しでも近くに行ける気がして。塞ぐ気分を変えるために山に行こうと思ったのだ。
亡くなった母もあの空の下にいるかもしれない。そう考えたら、急におセンチになって、鼻の奥がツーンとした。
母のことを考えてなのか、この状況のことなのか。
わからないけど。
気を取り直して
目的地を目指す。
しかし紐で縛っても、なんだか歩きづらい。

他人様の目が気になる。
準備不足を露わにしているようで恥ずかしい。

だって剥がれる概念ないんだから、靴底ヨーシ!って指差し確認しないのよ。

ここまで来たら行くしかない。
その一心で上を目指す。

しばらくすると人間って慣れるもので、歩き方を習得して、スピードが上がってきた。
その頃には人目も気にしなくなってきた。
開き直って強くなってる。

念願の八方池。雲もなく真っ青な空と池。山々が池に映っている。名前も知らない山々。近い。とにかく壮大。

この景色を見るために上がって来たんだ。

10年後の今はわかる白馬三山。あの時見た白馬岳にすでに登っているんだから、人間ってわからない。

わぁ、すごい景色だ。
正面の山が迫ってくる。
現実なのに、写真みたい。
感想の語彙が貧相。
言葉にならない。

抜けるような青空、いい時に来たんだと思う。
ピタッと風が止まり凪の状態に。

水鏡。
うわー。
綺麗。
来てよかった…

すぐさま一陣の風で水鏡がかき消される。

一瞬の山からのご褒美だったな。
満足したので、お昼ごはん。
山の上で食べるおにぎり、美味しい。
その頃、ごはんがあまり食べられなくなっていた私。

この環境なら何を食べても美味しいはずだ。
岩の上でお湯を沸かして、カップラーメン食べてる人がいる。
ああいうのもいいなぁ。
大きいリュックの人はどこへ行くんだろう?登山する人だね。たいへんだなー。

この10年弱の後、15キロの荷物を担ぎ上げ、山の上でテントを張り、お湯を沸かしてラーメンも食べるし、豆を挽いてコーヒーを淹れる人に自分がなってることをこの時の私はまだ知らない。
もちろん亡くなった父母も知らないだろうな。空の上から見てくれていますか。

あの時は知らなかったが、原因は車に載せっぱなしのせいで高温に晒され靴底のクッション部分が加水分解を起こしてボロボロに崩れたのだ。
その靴は今でも大切に取ってある。

今は二足目を大事に履いている。

今から10年前のお話。
山の入り口に立ったばかりの失敗談でした。
失敗も経験値。
あの時、紐で縛った靴の一歩が
糧になった。

今でも山から帰るたびに車から一番に靴をおろすことにしている。


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